Listener

今日は絶対的休日。

あった方がいいなと思ったものを買いに行こうとか、ジャズバーに行こうとか思っていたけれど

結局全部やめて、一日中家で過ごしていた。

少しだけおせちを作って、少しだけ片付けと掃除をして、

それでも少し満足して新年を迎える準備ができた。

大したことはしていないけれど、やっぱり大晦日にすべきことをすると、気持ちがいい。

この一年はどんな年だったか、振り返る余裕ができた。

 

 

風が強い。雨を窓に叩きつけている。

昨年は出会うばかりの年だったけれど

今年は出会いと別れの年だった。

色々な別れがあったけれど、どの別れにあたっても、私は自分のできることを努められたように思う。

 

今年はようやく県外に出ることが自由になって、AIJのアドラー心理学講座をたくさん受講できた。

共に学ぶ仲間が増えた。今まで共に学んできた仲間とも再会できた。

本格的にカウンセリングを再開したことがモチベーションになり、

自分の事例を取り扱ってもらって、たくさんの学びを得ることができた。

 

 

音楽を意識したことが今年の大きな変化だった。

函館でのかささぎ座に参加したことが大きな出来事だった。

相手役と私の間にはよい物語があって、そこにはたくさんの音楽があることを思い出し、

私の感情は音楽によってあまりに揺さぶられることを知った。

そしてそれを使えば、私は自分の制御をより上手くできることを学んだ。

私は音楽的に生きていることを知った。

 

私は楽器の演奏や歌うことが得意ではないので、音楽は実は私の劣等感だったのだ。

だから音楽を意識することは、劣等感と向き合うことでもあった。

理想の高さが、ここでも私の足を引っ張る。

けれど、私は否応なく音楽的に生きていることを知った。

自分の一番好きなものに向き合ってみることができるようになった。

それで、新しい扉を開くことができたのだろう。

ジャズバーという新しい居場所ができた。

一緒に演奏しましょうと声をかけてくれる常連さんたちには、相変わらず、まだできませんと勇気のない返事をしてしまうけれど、

私はこの場所では珍しい「聴く」だけの存在として、所属できている。

 

 

職場では相変わらず、過酷な状況にある人々の生活を垣間見る。

私はここでもほとんど「聴く」だけの存在だ。

時々、一緒に掃除をしたり、料理をしたり、送迎したり、買い物したり、お手伝いをする。

それは実際に必要とされる支援。

でも本当は、話を聴いてくれる人がいるということ、味方がいるということが、必要なことだと思うから

私がここにいる意味は、「聴く」ためだと思えている。

 

 

来年は、元旦の早朝6時から初仕事。

誰かがしなければならない仕事を、今私がさせてもらえることをありがたく思う。

いつまでこれを続けるかはわからないけれど、こうやって経済的にも精神的にも自立できていることはとても良いことだと思う。

多分どこで何をしても、私は幸せに生きていけるだろうと思う。

そんな自信を持てた一年だった。

 

 

 

この一年も、たくさんの方々にお世話になりました。ありがとうございました。

そして、このブログを読んでくださってありがとうございます。

新しい年がみなさまにとって良い年になりますように。

 

 

通りすがり

雪が降っている。

あらゆる音を隠してしまおうとするかのように、静かに降り積もる。

すりガラス越しに雪の影が見える。

止めどなく舞い落ちる。今宵の雪は大きい。紙吹雪のようだ。

 

うるさいのは雪溶けだ。

溶けた水滴がぼたぼたと音を立てて、さらさらと水の流れる音が休みなく響く。

あの音を聞くといつも春が近づいてきたことを感じて、寂しくなる。

 

 

あまりものを考えたくなくて、この数日はジャーナルも書いていなかった。

家にいて持て余すひとりの時間は、歌っていた。

歌い始めると数時間でも歌っていられる。

半年ぐらい前に、カラオケのアプリを入手したのだ。

何度も繰り返して歌っていれば、それなりに上達はする。

歌い疲れるまで歌って、それで少し自分に満足して、眠る。

歌うことに集中していると、何も考えなくていいから。

ジャズバーに行けない時は、こうやって自分の機嫌を取っている。

 

でも寂しさの募った昨日と一昨日は、友だちと会う機会があって、本当に救われた。

何をそんなに考えないようにしているのか、見ようとしなかったけれど

わかっていた。

たった1ヶ月だけ私たちの施設に居た家庭が、今日の午前中に別のところへと去って行った。

私は一昨日が夜勤、昨日は明けの休み、今日は午後からの勤務だったから、さようならが言えなかった。

 

その家庭のひとりの中学生の女の子のことが、私はとても好きだった。

当初は私たちのところへ入所する予定だったから、そのつもりで色々な話をしていたのだった。

子どもたちは、大人の様々な事情に翻弄される。

子どもというのは自由ではないのだとあらためて思った。

家庭の中でも自由でいられないあの子が、楽しく通っていた学校から急に転校することになってしまった。

 

学校に迎えに行くといつも、数人の友だちと先生と一緒にバス停のガードレールに並んで、バスに乗って帰る友だちを手を振って見送って、みんなとハイタッチをしてから走って私の方へ来る。

「遅くなってごめんなさい、友だちと喋ってた」

上気した頬がきれいだった。

「いいよ。大事なことだもん。楽しかった?」

「うん。あ、待って!ちょっと止まって。おーい!」

窓から身を乗り出して友だちに手を振る。

あと1週間で転校という日だった。でもまだ友だちには話せていないらしかった。

「お友だち作るの、とても上手だと思うよ。」

「えー、そうでもないよー」

「いや、かなり上手な方だと思うよ 笑」

「ですかねー。お兄にはいつもうるさいって言われる」

「いいところはね、よくないところの裏返しなんだよ。だから、うるさいって言われたら、賑やかで楽しませられるのねって」

「あはは、めっちゃポジティブ!」

「自分のいいところは、自分では気づかないものだからね。そうやって探してみたらいいと思う。」

「うん、そっか。」

「周りからはよくないってことばかり言われたりしない?」

「ほんとそう。」

「それは、いいところと同じ特徴なんだよ。」

「なるほどね。」

 

頼まれている買い物をしたいと言うので、ふたりでスーパーに入った。

「この前ラーメン屋さんに行ってさ、お店の人に挨拶したら、ママがすいませんってお店の人に言って、後でママに怒られた。」

「…ん?なんて挨拶したの?」

「お疲れさまで〜すって 笑」

「バイトの子やん 笑」

「そうだよね。初めて行ったところだったんだけどさ。あれ、お疲れさまですじゃないかあって後で気づいたんだけど。お店の人笑ってたよ。ママは恥ずかしい!やめてってさー」

「あれ、こんなバイトの子いたっけ?って思われそうだね」

「うん。私そういうとこあるんだよねー」

「素晴らしい。ね、人と仲良くなるの上手なんだよ。どこに行ってもやっていけるよ。」

「イエイ!」

 

もう、あと何回話ができるかわからなかったから、できる限りあなたの良いところを伝えたかった。

ふたりで話ができたのはあの時が最後だった。

その後は2回ほど、私が小さい子たちの預かりをしているときに、一緒に遊んでくれた。

小さい子たちを部屋に送っていくねと言って、おやすみを言ったのが最後の会話だった。

そしておそらく、もう二度と、私たちは会うことはない。

 

他の職員さんには、家庭内での辛いことを話したりもしていたそうだ。

私には、楽しい話ばかりをしてくれた。

たまたま彼女が元気なタイミングだったからなのかもしれない。

もっと色々な話を聴きたかったけれど、もう叶わない。

きっとどんなことがあってもどこへ行っても、彼女は仲間を作って、居場所を作っていけるだろう。

でもあまりに、彼女の境遇は困難が多い。

そのことを思うと私は悲しい。

側に居たからといって私に何ができるわけでもないのだけれど、何も変わらないのだけれど、

せめて側にいて、役に立たなくても、側にいたかった。

 

 

この施設は、いつまでも居られる場所ではない。

困難を抱えた人たちが一時的に体勢を立て直すために身を寄せる場所だ。

ただ、入所して退所する普通の場合は、それなりに退所の準備も一緒に行うし、時間をかけて様々に話をすることができる。

入所しない一時的な利用の場合は、もっと、通りすがり。

 

でもきっと、人生はそういうものなのだろう。

私たちだって、いつ再び会えるかどうかも、本当はわからない。

また会えるっていう思い込みで、この物語が続いているという「かのように」で、またねって手を振っているだけなのだろう。

 

寂しいな。

言葉にしてしまったから、よけいに寂しい。

 

雪はもう降りきってしまったらしい。

静かに白く地面を隠している。

 

My Foolish Heart

今年があと半月で終わってしまう。

仕事はなかなかに忙しく、体調を崩しかけたりしていたが持ち直した。

忙しい割には、というか忙しいからこそ、努めて休憩をし、努めて楽しいことをしようとしている。

時間があればジャズバーへ夜遊びに行き、休みを取っては県外へAIJのアドラー心理学の講座を受講しに行っている。そしてできる限り子どもたちに泊まりに来てもらっている。

 

私の好きなことは、ライブなのだろう。

音楽も、落語も、それから勉強も。

 

対面でのグループワークはとても楽しい。

オンラインでは決して体験できない、視線の交錯や呼吸を合わせること。

グループで同じ時間と空間と物語を共有し、新たな物語を見つけていく過程が治療となる。

どんなワークを行っても、アドラー心理学のグループセラピーではそれが起こる。

そうやってみんなで場を作っていくことが本当に楽しくて、物語に没頭していると、ここがどこなのか忘れてしまう。

時計はただ時間を測るためだけに回っていて、時刻という意味をなくしてしまう。

気づけば瞬く間に日が暮れている。

 

どんなにおしゃべりを重ねるよりも、一度同じグループで共にエピソードを取り扱えば、そのグループでご一緒したひとりひとりの素敵なところがわかる。

皆それぞれが、皆の良いところを探して言葉にしていく。その見つけ方にもその人らしい良さが見える。

事例提供者は、自分が相手のために変わることを決断する。その決断は、どんな小さなエピソードの中にあっても、尊く輝いて見える。

 

書いていて思ったが、私は地元の仲間たちともこの体験を味わえるように、もっと自助グループを開催しなければいけないな。

現実逃避の旅行がてら、遊学してばかりではいけないなあ。

とか言いながら、来月もまた遊学する予定である。

今の仕事の忙しさは、クリスマスを過ぎる頃には一段落するはずだ。

あと少しなので、もうしばらくは自分の息抜きを優先させることにする。

 

 

この職場に慣れるにつれて、この職場の特殊性にあらためて驚いている。

群像劇のただ中にいるような状態だ。

自分にできることをしたいと望むほどに、やり切れない思いを味わう。

でも、そんな中でも、私と相手が美しい物語を作れる瞬間もある。

グループワークで職場の子どもたちとの事例を取り扱ってもらうと、そのことに気づかせてもらえる。

その度に、まだ私はあの子たちのためにできることがあるんだと希望をもらう。

私とあの子たちが良い関係でいられる時間がほんの一瞬でも増えていけば、この世界にあの子たちが所属できる場所が、ほんの一瞬だけでも増えていく。

そのことの意味の大きさがわかるようになった。

 

でもやはり、こうやって言語化することは今の私にはとてもエネルギーが要るようだ。

ジャーナルには日々のエピソードを書いて、相手の良いところを見つけて書いたりもしていて、あまり負担なく続けられている。

このブログに書くときの私の視点はもっと高いメタの位置にあるようで、普段考えていることをまとめ直しているようだ。

その作業は私にとってとても大切だし、ここに書くことは楽しみでもあるのだけれど、負担もある。

 

 

音楽を聴いていると、言語化しなくてよいので助かる。

それで音楽を聴いている。

私の頭の中を音で埋めてしまいたいと思う。

職場にいないとき、最近はそう思う時間が長い。

願っても祈っても、叶わないことばかりだ。

そのことにとても苦しくなる。

 

当たり前なのだけれどね。だって私が変えたいと願うことは、私のことではないから。

私は他の人を変えることはできない。

私が変えられるのは、私と相手とが関わるその瞬間の物語だけだ。

 

 

やはり、まだちょっと疲れているみたいだ。

でも、疲れているときにどうしたらいいのかわかってきたことはよかった。

あまり無理をしなくなったと思うから。

 

Someday My Prince Will Come

変わりなく過ごしている。

職場では様々な事件が勃発し、プライベートはごく平穏、カウンセリングでは冒険をし、自助グループやオンライン勉強会や講座で仲間と学び合う。

そういうパラレルワールドを行き来するような日常が続いている。

だから毎日色々なことがあるのだけど、

毎日ジャーナルを書くようになって、ここに書けないことを備忘録的に書き留めるようにもなり、ここに書くモチベーションが下がってしまっていた。

 

でも、私のブログを更新されていない時も読み返しているんですよとある人が言ってくださって、

とても嬉しかった。

私は他に得意なことがないけれど、昔からおしゃべりだけは得意だった。

自分の感じたこと考えたこと体験したことを、いつも誰かに伝えたくてたまらなかった。

私の言葉が、声が、誰かに届くということを、私は今もとても不思議に思える。

こうやって文字に置き換えることで、私のおしゃべりは時空を超えることができる。

目の前にいる誰かだけでなく、多くの人に伝えられる。

それが嬉しくて、きっとこうやって私は文章を書き続けるんだろうと思う。

いつだって私は、伝えたい何かを持っている。

私はいつも世界を新鮮に感じ、その感動を言葉にして伝えたくなる。

多分それは私の原動力なのだろうと思う。

そしてそれは、なかなかよいもののように思える。

 

 

言葉にすることは、言葉を大切に扱おうとすると、安易にはできなくなってしまった。

そうすると、言葉にできないことが増える。

ジャズバーで音楽に感動をすると、言葉を失ってしまう。

言葉にならなくても、私は音楽を聴きながら様々なことを考え、様々な体験が結びついて、イメージが膨らみ、新しい洞察が生まれたりする。

いつもの席に座りステージを眺めながら、音に身を委ねながら、私の心は遥か遠くへ飛んでいく。

私のパラレルワールドたちが、一体となるのを感じる。

私は自由だなと思う。

 

ジャズバーにいると、気づけば、職場で出会う人々のことを思っている。

ある夜 Someday My Prince Will Come が演奏された。

ピアニストのHさんに、後で私は「あのお姫さまは、自分で自分の楽しみを見つけて、どんどん駆け出していくようなお姫さまでしたね。来るかどうかもわからないような王子さまを待ってたりしないですね。すごくかっこよくていいなって思って聴いていました。」と言った。

Hさんは笑いながら「そうでしょ。王子さま逃げ出すわよ!」と仰った。

この方は、自分の人生を切り拓いて生きてきたんだろう。

力強かったり、キラキラして光ったり、どっしり重かったり、こんなにピアノの音色ってたくさんあるんだと知った。

演奏からも、Hさんの活動からも、お話ししてくださる言葉からも、私は、

本当に素敵な女性だなと思った。

 

Hさんに言わなかったことがある。

私は私の職場で出会う彼女たちに、こんなお姫さまになってほしいなと思ったということ。

誰かに幸せにしてもらう夢を追わないでほしい。

誰かに幸せにしてもらえなかった過去を手放して、新しい自分の人生を作っていってほしい。

白雪姫の呪いを解いてほしい。

王子さまに幸せにしてもらうんじゃない。女性だってみんな、自分の足で立てるんだよ。

自分で自分を幸せにしてほしい。

自分の世界を拡げていってほしい。

能力の限界を理由にして、自分の理想を描くことを諦めないでほしい。

できるだけ得をするようにとか、損をしないようにとか、そんなこととは関係のない、自分の良いと思う物語を生きてほしい。

そのために、私たちは現実的なお手伝いをさせてもらうだけだけど、

本当は私は、その人らしい美しい物語を作っていくお手伝いができたらと願う。

 

そんなことを聴きながら思っていて、泣きそうになっていた。

現実と理想は、私が思っていた以上にかけ離れているようだった。

すると突然トランペットの明るい音色が響いた。

私の心はステージに戻ってきた。

違う楽器、違う人生、違う年齢、何もかも違う人々が、こうやってひとつの曲を奏でていることを思った。

この瞬間は、今にしか存在しないことを思った。

音を奏でていない私も、この場で、この音楽を共にしていることを思った。

私たちは同じ時空を共にしながら、まったく違うことを思っているだろう。

でも、私たちはここに心地よく所属できている。

音楽は人々をひとつにする。

この現実は、理想よりも遥かに理想的な不思議なことだ。

 

音楽は、人生を豊かにする。

それは落語でもいいし、絵画でもいいし、踊りでも、小説でも同じだと思うけれど、

誰のものでもない自分の人生を楽しむことができる。

食べること、子どもたちの楽しめること、物質的に不自由のないこと、それらを、

必需品だけではなくて、母親たち子どもたちにとって少しでも良い環境を作ろうと思って、

私たちは様々に工夫をして提供しようとしているけれど、

でも本当に人生は豊かにできることを、伝えられたらいいなと思った。

地を這うような視点から、明るい空を見上げられるような、そんな勇気を持ってもらえたらいいなと思った。

私に何ができるかはわからないけれど。

 

私も、自由だ。

あの弾むような駆け出していくようなお姫さまに、私も近づいているように思う。

 

十六夜

金曜の夜から今晩まで、母と過ごした。

京都でアドラー心理学の講座「育児のアルゴリズム」を受けた。

仲間と別れて、ひとりで特急列車に乗って、寂れたわが町に帰ってきた。

誰もいない商店街のアーケードを抜ける。

輝く月が私を見ていた。

 

行きの特急列車の中で、私はアンデルセンの『絵のない絵本』を読んでいた。

貧しい画家が、屋根裏部屋を訪れるたったひとりの友だち、月の語る小さな物語を聴く三十三夜の物語。

 

月は孤独を癒してくれる。

 

「見てごらん。お月さまが美穂の後をついてきてるよ。」

「どうしてお月さまはわたしについてくるの?」

「どうしてだろうね」と父は笑った。

お月さまはひとりしかいないのに、夜道を歩いている子どもが世界中にはいっぱいいるかもしれないのに、

どうしてお月さまはわたしについてきてくれるんだろう。

私は不思議だった。

でも今は、確信を持って言える。

お月さまは、どの子どもにもちゃんとついてきてくれる。どの子の夜道も優しく照らしてくれるんだよって。

 

月の光は、太陽の光のように植物を育てるわけではない。

雨の日や曇りの日は隠れてしまうし、

毎晩毎晩姿を見せてくれるわけでもない。

それでも、孤独な夜にあなたに助けられた人は、どれだけいるだろう。

どれだけの詩人が画家が、あなたを描いただろう。

 

 

 

 

金曜の夜は、母にメタファーセラピーをしてもらった。

メタファーというものをきっかけにして美しい物語を作る力を得た。

 

良い文学、良いお芝居、良い音楽、良い絵画。

でも多分、子どもはそれらに触れる前から、自然と戯れ、メタファーの世界、空想の世界、物語の世界に生きているのだと思う。

その空想の世界を、大人になって社会適応していく過程で削っていくのが近代の作った社会なのだろう。

それは味気ない人工の世界だ。

世界の再魔術化。自然と人とが一体となって世界を作っていることを思い出せる社会になればいいなと思う。

 

美しいものを作るのは職人としての芸術家だけの特権ではない。

ひとりひとりの暮らしの小さな小さなエピソードも、本当は誰もが美しい物語に変えてしまえるのだ。

私たちは同じ時空を過ごし同じ出来事を共有して生きながら、全く違うものを見て、全く違う物語を生きている。

もしかすると、同じ物語を共に作れたとき、私たちは平等の位置にいるのかもしれない。

それを私たちは美しいと感じるのかもしれない。

 

 

 

 

講座では、1日目も2日目も、どちらもSちゃんの事例を取り扱っていただいた。

Sちゃんのことをみなさんと一緒にゆっくりと考えることができた。

とてもありがたかった。

彼女は過酷な環境に生きている。必死に戦って生きている。

でもそんなに必死にならなくても、あなたは大丈夫なんだよって、

私はいつもあなたのことを見ているよって、側にいるよって、伝えたいと思った。

いつも一緒にはいられないし、あなたの問題を解決する役には立たないかもしれない。

あなたを暖めることは、私にはできないかもしれない。

それでも、あなたが孤独でたまらないとき、ひとりじゃないって思えるように、月のようにあなたを照らしていたいと思う。

 

primitive passions

10月の週末は毎週、プライベートでも職場でもたくさんの行事がある。

仕事をしていない時間は夜遊びにも出かけ、ひとりで歌の練習もして、ジャーナルを書いて、

カウンセリングをして自助グループも開き、友だちと遊びにも出かけて、

かなり充実して元気に過ごしている。

 

 

次男の運動会では、彼が溢れんばかりのエネルギーで、一生懸命走ったり、応援したり、みんなを鼓舞したり、笑ったりしているところを見ることができた。

まだ小学校3年生なのに、母親と一緒に暮らせないことを、申し訳ないと思っている。

それはずっと、喉に刺さった魚の小骨のように、私はひとり、どうしようもなくそれを飲み込めずにいた。

だけど彼は、彼を慕ってくれるたくさんの友だちに囲まれて、本当に健やかに、真っ直ぐに育っているのだとわかった。

何も心配することはない。彼は大丈夫だ。

私はこうして遠くから、彼をずっと思って応援をしていようと思った。

そして会える時は、一緒に居られること、あなたが生きているということで私がどれだけ幸せでいられるかということを、できる限り言葉にして伝えていこうと思った。

 

運動会が終わって教室へ帰ろうとする子どもたちの中から、次男を見つけることができた。

声をかけると、「あ、お母さん、オレ2位だったわー」と悔しそうに言う。

「うん。ずっと見てたよ。頑張ってたね。気づいた?」

「うん、気づいてたよ。じゃあね!」

「じゃあね、また明日ね!」

「おう!」

少年は爽やかに去って行った。

隣にいた友だちに「今の誰?」と聞かれて、「ああ、オレのお母さん」と笑顔で答えていた。

おかしな会話だよね。

ごめんね。

でも、たくましく、明るく、この現実を受け入れてくれてありがとう。

私たちはこうやって、私たちの暮らしを生きていこう。

どんな状況でも、それをどうとらえるかは自由だ。

 

そしてさらに幸せなことは、私の友だちたちが、私のこの生き方を応援してくれることだ。

子どもたちは大丈夫だよと、様々な方法で立場で、子どもたちを気にかけて見守ってくれることだ。

これで良かったとは、やはり私は言ってはいけないと思うけれど、

もう、小骨は喉の奥へ落ちていったように思う。

 

 

 

 

秋晴れの中、幼児の親子数組を連れて、リンゴ狩りに出かけた。

ある親子はとても不安定な状態。

何がよいことなのか、私たちには一体何ができるのか、それらが本当にこの親子にとってよいことなのか、

私はいつもわからなくなる。

わからないけれど、すべきことは目の前に山積みで、ひとつひとつ、瞬間瞬間、手探りしているところだ。

 

リンゴの木の下のベンチに、3人で並んで腰かける。

お母さんがとても優しい穏やかな顔で、「美味しいね。」と言い、

Yちゃんが「リンゴおいしい!もっと!」って満面の笑みで、私の手からリンゴを一切れ受け取って「ありがと」と言った。

「Yちゃんこっち向いて」とお母さんが写真を撮る。

Yちゃんが笑う。

風が吹く。木の葉が揺れる。赤いリンゴが光る。

「いいですね。こんなところがあるんですね。」とお母さんが笑顔で言う。

まるで、まるで幸せだ。

この先どうなるかは何もわからないけれど、

今日の日が美しい思い出としてふたりにも残るのならいいなと思えた。

 

お母さんはリンゴを切ったことがない。

だから家でYちゃんはリンゴを食べたことがない。

そんな環境だ。

目を逸らそうにも逸らしきれない酷い現実が横たわっている。

でもそんな泥の中にも、輝くものがある。

私はたったひとりでも、その輝きを拾ってみようと思っていたけれど

職場のみんなは、それぞれに小さな小さな輝きを拾い集めていることに気づいた。

それができる人たちだから、笑顔でくるくると立ち働けるのだろう。

 

帰り際、みんながお土産のリンゴを買っていると、

「とっても美味しかったから、私も買って帰ります。」とYちゃんのお母さんも言った。

走り回る子どもを追いかけるお母さん、犬を触りに行こうとする子どもを止めるお母さん、

小さい子のお母さんたちはなかなかのんびりできない。

そんな他の親子の様子を見ながら、「みんな、大変なんですね」とYちゃんのお母さんはしみじみ言った。

「そうですよ。小さい子と暮らすのはとっても大変ですよ。お母さん、いつも頑張っておられますよ。」

そう言うと、「ありがとうございます」と微笑んだ。

彼女は決して子どもの世話ができているとは言えない。

それは本当にそうだ。

だけれど、Yちゃんを育てることが彼女のキャパをオーバーしているのも本当だ。

彼女が頑張っているのは、本当なのだ。

 

だからといってそれをそのままにするわけにもいかず、我々が支援してなんとか日々が回っている。

やがてここを出て行くことになればどうなるのか、

やがてここを出ていかなければならないのに、生活が我々の支援ありきになってしまったらどうするのか、

当然のようなどうしようもないようなことを措置元から言われる。

 

 

「支援」とは何なんだろう。

確かに、食べるためのお金と、寝るための部屋と、家事をする手、各種手続きをする頭が必要だ。

それらを我々は提供している。

でも、一番大事なのは、いつも側にいて、大丈夫ですよとあたたかく見守っているということなんじゃないだろうかと思うようになった。

母親たちの能力にはひとりひとり、限界がある人が多い。

そして、一時的な場合もあるにせよ、どうにもならなくなってここへやって来た人たちばかりだ。

それでも、なんとか前向きに生きていくことができるのは、私たちが側にいるからなんじゃないだろうか。

今は、そういう存在として彼女たちの側にいることが、私の役目なのだ。

私個人の価値観とは相反する部分は多々あるけれど、これが今の私の役目だ。

 

 

 

ウォークラリーで山の中腹まで歩いて、帰ったら職員みんなが作った豚汁とサンマの塩焼きとおにぎりを食べるという行事も行った。

久しぶりに高校生の女の子と、歩きながらゆっくり話をすることができた。

数日前の夜勤の時、3時ぐらいにその子のお母さんから内線がかかって来た。

私と話がしたかったらしい。今晩は調子が良いんだなと嬉しかった。

彼女は私と話をすると調子が良くなってしまうから、調子を悪くしたい時期は絶対に私に話しかけてこない。それはもう徹底している。

色々な話をしてくれたが、娘さんの話もしてくれた。

「ウォークラリーははじめは参加しないとか言っていたけど、行ってみたら楽しかったって。Mさんが一緒に歩いてくれたからだで。ほんと、ありがとうね。」

そんな風に言ってくれた。とても嬉しかった。

 

彼女も、本当に本当に変わった。

昨年は娘さんのことなんて二の次で、自分のことで必死だった方で、その上娘さんと職員が仲良くすることも警戒していたのに、

今は娘思いのお母さんの顔をしている。

何がどうなってこうなったのか、全くわからない。

真っ暗だった去年の夏を超えて、この親子は今、全く違う姿になっている。

もちろん私には見えないことがたくさんあるだろう。

でも、少なくとも娘さんは、もうあの泥の中へは沈んでいかないだろう。

しっかりと自分の足で確かな地面を歩いている。

 

 

 

輝く秋の日々。町が金木犀の香りに包まれている。

こんな風に、私は目の前にいる誰かを優しく包んであげられたらと願う。

荒んだ気持ちでいては、平等の位置を思い出すことができない。私自身が健康でいることが大切だ。

私には音楽と、芳しい記憶がある。

多分もう私は、大丈夫なんだろうと思える。

 

 

 

On the Sunny Side of the Street

それなりに忙しくはしている。

この1週間の間に、カウンセリングとエピソード分析の勉強会と自助グループを合わせて5回あった。

久しぶりにアドレリアンセラピストとしての武者修行をさせてもらった。

あまり疲れなくなったのは、不要な緊張が抜けてきたからだろう。

 

ブログを書かないときは、

ここに書くことが劣等感の補償になっていたり、

かまって欲しいというメッセージになっていたり、

そういう目的で書こうとしているなと感じるときだ。

私は、人に自分の文章を読んでもらいたくてたまらないのだ。

だから、様々な思惑がそこに貼りつく。

もちろんいつだって私に優越目標の追求の意図はあるけれど、

せめて明らかに劣等感を感じる時だけは、ブログを書かないようにしようと思うようになった。

ここに書くよりは、誰にも見せない文章で補償をする方がいくらかマシだと思って。

しかし誰にも見せない文章として、1ヶ月ほど前からジャーナルを書き始めたが、

このジャーナルには「自己成長を目指し肯定的なことを書く」という縛りがあるので、

いずれにしても私は劣等コンプレックスを使うことはできない。

無理やりにでも良い側面を探さなければならない。

途中きつい時期があったが、今はかなり物事の良い側面を見つけるのが上達したと思う。

 

そういうわけで、しばらくブログを書いていなかったが、特に忙しかったからというわけではなく、落ち込んでいたからである。

書く気力がないというわけではなく、書いて挽回しようという気だったから、

そういう私を成長させようと思って、ここには書いていなかった。

私は自分で自分の落ち込みをなんとかしたいと思うようになった。

今までは、友だちに頼っていた。

話を聴いてもらって、私の良いところを見つけてもらって、慰めてもらったり励ましてもらったり。

友だちはきっと、迷惑だなんて思っていなかったと思うけど。

というよりも、私の役に立ててよかったって思ってくれていたと思うけど。

でも今は、できるだけ落ち込みから抜けてから、友だちと話をしたいなと思う。

どうやら私は、ちゃんと自分で自分の機嫌を良くすることができるみたいだから。

限りある大切な友だちとの時間は、より良い時間にしたいから。

自分でどうにもできそうになかったら、聴いてもらうけどね。

 

 

そう、私には話を聴いてくれる友だちがたくさんいる。

その友だちは、日々増えていっている。

出かける先々や自助グループ、コーラスサークルでも、新たな友だちができる。

幾つもの良い友だちの輪の中に私が入っているから、その輪の広がりと共に私には仲間が増えていく。

本当にありがたく、幸せなことだと思う。

理想の友だちっていうのは、自分と違う相手をそのまま認めながら、自分の意見を素直に言えるような関係で、

横の関係、平等の位置に居る状態だと思っている。

 

 

そういう友だちや家族を持っていない人たちと、職場ではお付き合いをする。

私たち職員が友だちの役割も担うのだ。

中高生の数人と、利用者さんも数人を除いたら、私はずいぶんたくさんの人たちにとっての友だちになれたように思う。

 

でも、もし友だちだったら見過ごせないな、どう思っているのかよく話を聴いて、私の意見を言うだろうな、というようなときでも、

にこにこと見守ってあげるだけにしてください、という対応を求められることが多い。

ツッコミを入れることも我慢しなければならない。

本音で話ができないことがもどかしい。

そんな中で、私は一体どうやって友だちとしてつき合えるか、試行錯誤中である。

 

 

夜勤中、退所した方から電話がかかってきた。

夕方から2回ほど電話がかかってきたと日報に上がっていた。話の内容は同じことだ。

ちゃんとした精神疾患の方なので、かなり気をつけなければならない。

辛かった話を泣きながら繰り返しされるので、気が済むまで聴いてあげようと思って聴き続けた。

 「ごめんなさいね、こんな話…」

「いいえ。聴くことしかできませんけれど、それで少しでも楽になられたらいいなと思います。」

 「ありがとうございます…私…」

また泣かれたので、言葉がよくわからない。

でもいいんだ。とことんつき合おう。これは仕事だ。

 

彼女は慰めてもらいたいわけでもないし、励ましてもらいたいわけでもないようだ。

あなたは悪くないよ、相手がひどいよね、と言ってもらいたいのだろう。

でもそこに私が乗っかっても、彼女が満足する日はやってこないだろう。

「あなたはよくやってますよ、ゆっくりして、楽しいことをして。

酷い人のことは放っておきましょう。あなたのせいじゃないんだから。

あなたはあなたにとって良いことだけしてみましょう。もう泣かないでいいでしょ。

またいつでも電話してきたらいいですからね。」

そういうごくごく一般的な職員の対応では満足できなかったから、何回も電話をかけてくるのだから。

 

私が彼女を変えられるとも思えない。私から何かを学ぶ気があるとも思えない。

私にできるのは、何だろう?

 

 

 「ねえ、酷いと思いません?どうしてこんなことができるんでしょう?」

「うーん、そうですね…」

 「ごめんなさいね、答えにくい質問ですよね。」

「いいえ、ちょっと考えていました。すぐ答えられなくてすみません。

 わかってもらえない人とわかり合えないのは仕方がないって思うんですが、 

 でも、辛い思いをわかってほしくてお話ししたのに、そういう風に言われたらお辛いだろうなって。」

 「優しいと思います。」

「え?」

 「あなたは、優しい人ですね。」

「そうですか?それは、ありがとうございます。」

 「私の話をよく聴いて、よく考えて、お話ししてくれているんだなって感じます。」

不明瞭だった滑舌が、急に明瞭になって、

ご自身が楽しいと思えることについて話を始められた。

あ、この人は健康な側面で私と話をすることにしてくれたんだなって思えた。

とても嬉しかった。

「いいですね。そういうことを楽しめるの、素敵だなと思います。」

 「ありがとうございます。そうですよね、そう考えたら私、幸せなのかもしれないですね。」

「うん、幸せだな、楽しいなっていう時間がたくさんになればいいですね。そうすれば辛い時間が、短くなりますからね。」

 「あ、本当ですね…!」

また空気が変わった。光が見えたのだろうか。

 「遅い時間まですみません。もう寝ます。おやすみなさい。」

「そうですか。お話ししたくなったら、またいつでも電話かけてくださいね。

 ここには、いつでも誰かがいますから。おやすみなさい。」

45分話していた割にはびっくりするほどあっけなく、電話は切れた。

 

とんでもなくて、つき合いにくい方だと思う。

でも、この方が辛い思いをしているのは確かで、

誰かと繋がって、自分には仲間がいて居場所があるって思いたいということも、おそらく確かだ。

それは誰もが望むことだから。

私がたまたま、この方の寂しさに向き合う巡り合わせになった。

ただ聴いてもらうだけ、なんて、誰も望んではいない。聴いてもらってスッキリしたなんていうのも嘘だろう。

あなたの味方だよって、誰かに言ってもらいたいのだ。

きっと本当は、私たちは、望んでいることは些細なことなんだと思う。

大掛かりな仕掛けを作って、何層にも神経症的策動を重ねて、複雑怪奇でどうしようもないものをこしらえるけれど、

本当に望んでいるのは、小さな子どもが望むことと同じなんだと思う。

 

寂しい夜に、私が友だちになれたのならよかった。

いつだって陽のあたる場所を探して歩こう。

めちゃくちゃ緊張したけれど、彼女の電話のおかげで、大切なことに気づかせてもらった。

私も彼女も、同じだ。

 

 

 

音楽が私を支えてくれる。

明るく真っ直ぐな音色が、今も身の内で響く。

この世界は素晴らしいという「かのように」を、肯定してくれる。

どれだけ絶望的な人々のお話を聴いても、私はきっと陽のあたる場所を見つけられるだろう。