視点

ロシア文学に目覚めたと先日書いたが、相変わらずチェーホフにはまっている。

この2週間で読んだのは、

「かもめ」「桜の園」「プロポーズ」「熊」(浦雅春訳)

「犬を連れた奥さん」「イオーヌィチ」「可愛い女」「嫁入り支度」「かき」「小波瀾」「富籤」「少年たち」「カシタンカ」「ねむい」「大ヴォローヂャと小ヴォローヂャ」「アリアドナ」(神西清訳)

「脱走者」「チフス」「アニュータ」「敵」「黒衣の僧」「六号病棟」「退屈な話」(松下裕訳)

浦雅春訳は全てが戯曲、あとは短編だ。

どの本にもかなり気合の入った解説がついていて、チェーホフという人物についても、少しずつ詳しくなってきた。

 

ドストエフスキーの短編も、チェーホフのように突拍子もない設定の面白いものがある。

このふたりの舞台設定や、登場人物の属性や、生じる事件や、物語のプロットは、大変に似通ったものがあると私は思う。

そう思うのだけれど、大きく違うのは、ドストエフスキーの方が大仰で、重厚長大、感情を大きく揺さぶられるということだろうか。

それは時代も関係しているかもしれない。

チェーホフは、長大なロシア文学の文化から外れたところに生まれた後の世代だから。

 

けれども、そういう外的に測れる要素より、

ドストエフスキーは自身が様々な神経症的な登場人物と一体になっていて、完全に憑依してなり切って人物を描いていることが特徴なのではないかと思う。

ギャンブル依存症だったというドストエフスキーが、

「賭博者」でギャンブラーが賭け事に目の色を変えて、あと一度で終わり、あと一度で終わり、と思いながら賭け続け負け続けていく時の臨場感と焦燥感は、私の心臓まで苦しくさせる。

このままではあかん、もう破滅や!とこちらがヒリヒリする、その予想以上に堕ちていく。そこに恐ろしいほどの爽快感まで感じる。

悲恋の迫力は、私も一緒に自殺したくなるぐらいだ。

読み終わった後はぐったりである。スポーツのようだ。

 

チェーホフは、それとは対照的に、どこまでも突き放した描き方をしているのが特徴だと思う。

登場人物にあまり感情移入ができない。

悲劇は淡々と進んでいく。

噛み合わない台詞の応酬で、登場人物どうしも何が起こっているのか把握できていない。

けれども、こうでなければならない必然が緻密に積み重ねられて、配置されて、物語が組み立てられている。

読み終わった後は、その物語の構造に気づけた時は、私は雷に打たれたように衝撃を感じる。

 

チェーホフの「かもめ」という戯曲は、劇中劇がある。

「かもめ」の解説で、メタ演劇性という言葉が使われていて、納得した。

チェーホフはいつもメタの位置にいる。

医者であったチェーホフは、いわゆる二重見当識を保ちながら、舞台を差配しているのだろう。

そして登場人物たちには、その構造が一切見えていない。

そこがとても可笑しくて、奇妙で、悲しいのだ。

チェーホフの視点はひとつところに定まっていて、そこから舞台を見ている。

私も同じように、客席からお芝居の舞台を見ている。

 

ドストエフスキーは、言うなれば落語のようなものか。

ある登場人物になりきっては、また別の役になりきり、急に舞台背景について説明をし、推測をし、進行係をつとめ、また別の役になりきる。

だから私も、その渦中に溺れてしまう。

視点がころころと切り替わる。

ああ、映画のようでもある。

 

 

私は映画も芝居も好きだけれど、どちらかというと芝居の方が好きだ。

その理由は芝居がライブだからだと思っていたけれど、

視点が定まったところから観れるから、というのも大きいのかもしれないと、今気づいた。

私自身が、視点が目まぐるしく変わるタイプなのだ。

 

 

昨日のベイトソンゼミで、右と左の話があった。

左右というのは実は定義不可能なのだとベイトソンは書いている。

「アナログの文字盤時計の7から11までがある方が左」

という定義はわかりやすいのでは、というお話しがあった。

けれど、時計の視点に自分を置いてみれば、7から11は、時計である私の右側にあることになってしまう。

だから正確に表現すると、「アナログの文字盤時計に対面した時、7から11までがある方が、対面した人物にとっての左側」となるように思う。

私は幼い時から、右と左がわからなかった。

ベイトソンの説明を読んでも、オンライン勉強会でみんなと議論しても、それでもやっぱり未だに、右と左がわからない。

それは、私の視点がいつも、鏡の中の私と鏡に対面する私とを行き来するからなのだろう。

だからその「右」は、どちらの「私」にとっての「右」なのか、見えているものを「右」というのか、本人にとっての「右」なのか、相手にとっての「右」なのか、いつも混乱するのである。

 

地と図の反転について有名な、白黒のシルエットの絵がある。

向き合ったふたりの人物の顔に見えるか、杯に見えるかという絵なのだけれど、

たいてい、「何が見えますか?」と尋ねられる。

どっちの絵のことですか?と、私は子どもの頃困惑していた。

はじめは、二つの絵がちらちらと切り替わってしまって、細部を見ることができない。

しばらく見ていると、だんだんとコツを掴んできて、

人の絵を見るときはここに焦点を当てる見方、杯の絵を見るときはここに焦点を当てる見方、という風に、自分でどちらの絵を見るかが自在に調節できるようになってくる。

しかし周りのみんなはどうやら、どちらかの絵しか見えていないようであることに驚いていた。

先生としては、こういうところに焦点を当てて、見方を変えれば、もう一つの別の絵が浮かび上がってくるんですよ、ということを伝えたかったのだろうけれど、

私は、安定した見方をするために、その工夫が役立った。

 

同じ現象として、黒板に書かれた立方体の見取り図も、私の視点が定まらないために前後が動いてしまって、

どのように見ればいいのかを理解することが非常に困難だった。

「お前は賢いはずやのに、なんでこれがわからんのや!」と、

4年生の時の担任の先生が苛立って叫んでおられたのを覚えている。

 

 

私はどうやら視点が安定しないらしい。

現場にいる人は、右といえば自分にとっての右なのだろう。

対面している相手の右手は、自分が同じ場所に立った時の右手の位置にあるはずだから、

私にとっての左側に相手の右手が「見えている」ことに、おそらく疑問を抱かないのだろう。

そして、鏡に対面した時は、私の右手が右側に「見えている」ことに、おそらく疑問を抱かないのだろう。

鏡の中にいる相手が何を見ているか、そんなことは気にしないのだろう。

 

 

私はドストエフスキー的に視点をあちこち動かし続けて生きながら、しかし、チェーホフ的な視点の定まった舞台に憧れるのかもしれない。

チェーホフの物語について語りたかったのだけど、今日はこのあたりで。

 

 

うなりと倍音

今日は久しぶりにベイトソンゼミに参加した。

ようやく自分のリズムを取り戻してきたように思う。

 

 

今日のゼミの内容ではないけれど、ベイトソンがモアレについて書いていた。

モアレというのは、すだれを二枚重ねた時、縞模様を二つ重ねた時などに現れる模様のことだ。

そのモアレの一種として、うなりを取り上げていた。

うなりというのは、ピッチの違う音を同時に鳴らした時に現れる音のことだ。

 

高校生の時私は吹奏楽部にいたので、この「うなり」という現象は非常に馴染み深い。

トランペットが下手くそすぎた1年生の頃、

合奏が始まるというのにトランペットパートだけがなかなかチューニングが合わなくて、

学生指揮者の先輩に怒られたことをよく覚えている。

「トランペット外に出てチューニング合わせてきて!先に始めてるから!」

 

音程を一定に保って吹くというのはとても難しいことなのだ。

パート全員でピッチを合わせなければならない。

そしてもちろん、他の楽器のパート、合奏する全員でピッチを合わせなければならない。

トランペットは目立つ音なので、ピッチが合わないとわんわんわんわんうなって、たいへん気持ち悪い。

先輩方は一定の音程を保って吹いている。

私はまず音程が安定しない。

多少なりとも音をまっすぐ伸ばせたところで、大抵ピッチが低いのである。

そこで、トランペットの管の長さを少し短く調整して、ピッチを高くしやすくするのだが、

吹くたびごとに長さを調整したところであまり意味はなくて、

身体の状態、口腔内の状態、息の速さなどなど、様々な条件を調整することによってピッチを変化させるのだ。

それが全くできなかった。

 

パート練習の時などは、先輩方がピッチを低めに合わせてくださったのだが、

今度は過補償が起こっていたのだろう、私のピッチは高くなり、先輩のピッチは私のピッチより低くなり、

結局、ピッチはさらに大きくずれて、わんわんと酷くうなるのであった。

 

学生指揮者の先輩は、「トランペット仲悪いの?仲良く息合わせてくれる?」と仰った。

そんな問題なの?と思ったけれど、

息を合わせるということは、心と身体を合わせるということだと、今はわかる。

技術の問題も大いに関係がある。

けれど、心の問題も大いに関係がある。

ごくわずかなピッチのずれや、タイミングのずれが、音楽をまとまらなくしてしまうのだから。

約50人が出す約50の音が、まるでひとつの有機体であるかのようにひとつの音楽を作るということは、

演奏するということにおいて心と身体がひとつになって全員が息を合わせなければ、達成できないことである。

それは気が遠くなるような困難なことであると思う。

でも、皆の息がぴたりと合って、ひとつの音楽を形づくれた時、これ以上何もいらないと思えるほどの幸せを感じる。

そういう時は倍音が鳴っているのだ。

ピッチが合った音が響き合うと、そこに倍音が現れる。

そういう時、言語化されない不思議な感動に包まれ、私はパラダイスを見る。

 

 

おそらく人間関係もこういうものなのだろうと思う。

どちらもがピッチを合わせようとして、過補償してしまって、余計にうなりが大きくなってしまうことも時にはあるのだろう。

まずは私が、相手のピッチに合わせることだ。

ピッチを合わせるには技術が必要だが、それはお稽古によって必ず習得できる。

相手の音をよく聴いて、自分の音を一定に保って吹く。

うなりが生じれば、相手の音をよく聴いて、自分がピッチを調整することで相手に合わせる。

 

 

先日のオンライン事例検討会で、カウンセリングで抵抗にあった時について話し合った。

素直に抵抗してくださるということもありがたい、という意見が出た。

抵抗は、うなりなのだろう。

クライアントさんとカウンセラーで、ピッチがずれているということに気づかせてくれる、ありがたい現象だ。

ふたりの音がうなったままでは、どんな素晴らしい楽譜を演奏しようにも、聞くに耐えない。

まずは演奏を止めて、うなりを解消させる。すなわちピッチを合わせることが必要だ。

 

互いののピッチが合って、音が響き合った時、倍音が聴こえることがある。

それはカウンセリングでも、グループカウンセリングでも、グループワークでも、オンライン勉強会でも、友だち同士のおしゃべりでもそうだ。

まったく違った次元が広がることが、まったく違った景色が広がることがある。

 

私は人との関わりの中で、倍音を聴きたいのだと思う。

それはとても難しいことだ。

でも、この関係の中に私は生かされているのだと心から感謝する時、

私の音は相手の音とひとつになって、どちらがどちらの音なのか思いなのか分からないほどに溶け合うことがある。

そういう時私には倍音が聴こえている。

 

ある人たちとは決して響き合えないのだと、決してピッチが合うことはないのだと、そう信じてしまいたくはない。

互いに、合わせたくないピッチがあるのだ。

言い換えれば、合わせられるピッチだって、どこかにあるんだと思う。

あまりにずれが大きくて、大きなうなりで頭が痛い。

でも私たちは、楽器を吹くのが下手くそなだけだ。

そう信じてみたい。

 

ロシア文学

二ヶ月ぶりに書いている。

ブログ休んでるけど最近どうしているの?と、たくさんの方が聞いてくださった。

そういう方たちが私にはいるから、私は生きていけるんだなあと思う。

 

 

10月後半から、尋常じゃない出来事が次々起こっていた。

ここがどん底だと思ったら、まだまだ底は深くて、奈落に落ちていく気分を味わった。

アリスがウサギの穴に落ちたとき、深過ぎて落ちていくのを忘れるくらいだった、あんな気分だった。

底には何があるのか、いや、底なんてあるのか、見極めてやろうという不思議な爽快感さえあった。

 

愛のタスク、交友のタスク、仕事のタスク、それぞれにとんでもないライフタスクが降りかかってきた。

アドラーが、2つのタスクで困難にぶつかると神経症になりやすく、3つのタスクで困難にぶつかると精神病になりやすいと書いていたのを読んだことがある。

私、病気になれるのかなとちょっと期待したけれど、私の精神はどうやら健康すぎたようだ。

病気を言い訳に使うことさえできなかった。

私の力ではどうしようもないことばかり。

でも、自分の状況を誰かのせいや環境のせいだと言い募ったところで、私の状況は何も変わらない。

私はこの状況の中で生きていくしかない。

しかし私はこのどん底を味わいながらも、幸せに暮らすことだって選べるんだと気づいた。

 

他人に憐まれるという貴重な体験も得た。

私にとってそれは、悪意を持たれたり傷つけられたり大切なものを失ったりするよりも、何よりも嫌な、耐え難いことだとわかった。

私は決して他人を憐みたくないと思った。

そして私は私を憐みたくないと思った。

 

 

そうだ、ロシア文学を読もう、と思い立った。

抗えない運命に翻弄され、非力な人間が足掻くのがロシア文学だと、野田先生が仰っていたのを思い出したからだ。

ドストエフスキーの『貧しき人々』、『賭博者』、『悪霊』、短編集や

チェーホフの『ワーニャ伯父さん』、『三人姉妹』、『桜の園』、短編集を読んだ。

あまりに悲惨で救いようがないのに、あまりに面白くて、驚くばかりである。

これが文学なのだ、と知った。

物語というものがやっとわかった気がする。

多作な作家たちなので、まだまだ読むべきものがあって楽しみだ。

 

アドラー共産主義との闘いを学び始めてから、ロシア革命共産主義について少しずつ学んでいるところだが、

ドストエフスキーはちょうどその直前の時代、チェーホフはほぼアドラーの同時代人だ。

ドストエフスキーも晩年はアドラーと同じ時代を生きていた。

文学を通して、その時代のロシアを肌で感じられる気がする。

そして共産主義の恐ろしさ、全体主義の恐ろしさ、非人道的な世界の恐ろしさを肌で感じ、子どもたちに託す日本の未来のために、何かしなければと思った。

 

 

もう私の物語は、私のためだけの物語ではないということがわかってしまった。

私は否応なくこの時代に生まれ、この地に生きている。

私は食べるために生きているのではない。

理想のために死のう。いや、生きよう。

 

私には私を思い、必要とし、愛してくれる方がたくさんいる。

どん底に落ちたからこそ、そのことを心から信じることができた。

そしてその方たちと共に、私はどんなときでも美しい物語を作っていくことができるのだとわかった。

そうすると、もう私は決して自分を不幸だとは思えないのだった。

 

渦潮

久しぶりの更新になってしまった。

コロナワクチンの二回目を接種して数日だらだら過ごしたり、

オンライン勉強会のレジュメ作成に追われたり(現在進行形)、

日本アドラー心理学会の総会に参加したりしていた。

昨日はアドラーの著作のオンライン抄読会、

今日はコーラスの練習とベイトソンのオンライン勉強会だった。

 

15日の総会の初日からあまり食欲がなく、

昨晩からやっと調子が戻ってきた。

昨日は一日寝ていた。

ひとりの長距離移動は楽しいが、やはり疲れる。

でも移動による疲れだけではなかった。

 

私にはわからないことが多すぎる。

一体誰が何を攻撃しようとしているのか?

あるいは、誰が何を攻撃しようとしていると思われているのか?

なぜ第三者の立ち合いが必要だと思われているのか?

そこにかかる費用は会費から賄われるが、事前に説明はあったのか?(少なくとも私は知らない)

いつの間に講座の主催者が変更になったのか?

講座を受講しようと計画している自助グループの仲間たちに、どう説明すればいいのか私にはわからない。

 

 

掲示板やSNS上では様々な意見が書き込まれている。

陰性感情が増幅される場となっている。

今回の総会では、そのような陰性感情のぶつけ合いは起こらなかったのでよかった。

その後のすべてのプログラムも、総会前の野田先生の追悼式も、極めて穏やかに進行された。

それはよかった。

 

よかったけれども、にこやかに挨拶し合うその裏で、ネット上では全く違う言葉が交わされていることが怖いと思う。

アクセスする情報源によって、相反する情報たちがそれぞれ事実と呼ばれることになる。

どこまで行っても噛み合わない。平行線である。

 

異なる二つ以上の情報源からの情報によって、その差異によって新しい情報が生まれるとベイトソンは言う。

同じ情報源からいくら多くの情報を集めても、視点を変えたりメタの位置に上がったりすることはできないのだ。

 

 

 

もうずいぶん前から、私は怒りはあまり感じていなくて、見ているのが辛くなっている。

大きな渦に飲み込まれている気分だ。

ここから抜け出そうと足掻けば足掻くほど、苦しくなる。

渦から抜け出すには、流れに身を任せて足掻くことをやめることだという。

そうすると、渦の真ん中に引き込まれて、やがて渦の外へ流れ出ることができるのだそうだ。

 

これまで何か発言することで足掻いていた私だが、この1年は、足掻くのをやめていた。

それで、私の方が正しいということもないのだろうと、わかることができた。

怒りを感じていない状態は、落ち着いていられてよい。

だが、まだ私は渦に流されて目を回しているところだ。

私が怒りを感じそうになることは、私が何か言いたくなることは、私の執着がそこにあるということを示す。

すべて手放して、渦に、相手に、任せてみたいと思う。

私の考えが正しいというわけではない。

私にとって難しいことに挑戦することが、私を質的に成長させるはずだ。

本当は難しくなんてなくて、私がしたくないだけのことだ。

すべきことをする、その勇気が足りなかっただけだ。

相手の話を聴き、相手に任せてみたい。

それでも、怖がらなくても、誰かが私から奪えるものなんてないのだ。

私は何も持っていないのだから。全部捨てたのだから。

闘う気などない。渦から抜け出して、オルタナティブウェイを見つけてみたい。

 

公園再デビュー

今日も子どもたちと一緒に近所の公園に行った。

ブランコとすべり台と小さな砂場と、あとでっかいバネのついている動物の乗り物が端っこに点在している、

広い芝生の公園だ。

昨日も0歳〜3歳ぐらいの子ども連れのお母さんお父さんが多かった。

今日は幼稚園ぐらいの子たちもいた。

 

お父さんたちは、特に女の子のお父さんたちは、とろけそうな顔でお姫さまたちと遊んでいた。

時々私の弟から送られてくる写真も、同じような様子である。

女の子は、可愛い。

男の子の可愛さとは別種の可愛さである。

 

うちの子たちはブランコに走って行って、いつまでもいつまでも漕いでいた。

20分ほど漕ぎ続けただろうか。

それからバネの動物たち(幼児用)で激しく遊んで、

それから次男は砂場に行きたいと言って、私を連れて行った。

 

小さな砂場には幼稚園年長の女の子が2人、お喋りしながら熱心に砂を掘り返していた。

近くのベンチにお母さんたちが座っている。

次男は遠巻きに見ていたが、グルグル回りながらだんだんと距離をつめていく。

トンビか。

ふと、大きい男の子が2人、サッカーボールを抱えて公園に走って来た。

「あ!あの子友だちだよ!」と次男は駆け出して行った。

後で聞いた話によると、同じ学校の2年生と3年生で、ひとりは学童で一緒の仲良しらしい。

するとサッカー大好きの長男も駆け出して、

少しの間、4人でサッカーをしていた。

 

これはまだまだ帰れないなとあきらめた私は、空いているベンチを見つけて腰を下ろした。

ふと見ると、サッカー少年は3人になっており、

次男は砂場で女の子たちに混じって砂を掘り返し始めていた。

これはますます帰れないなと思って、その後45分ぐらい、私は彼らをぼーっと眺めて過ごした。

 

長男は自分の身に付けたあらゆる種類のキックを使って、男の子たちと遊んでいた。

高く、遠くまでボールを飛ばせるようになっていた。

ずっと走り回っている。元気だ。

3人ともボールを受け止めきれないと、笑って走る。

時々小さい子の近くにボールが来そうになると、お父さんたちが蹴ってくれる。

そうだ、私の父もこんな感じだったなと思い出した。

 

子どもたちが小さい頃はよく公園に連れて行っていたけれど、

次男が幼稚園に入ってからは、私が一緒に行くことはほとんどなかった。

もう少し一緒に遊びに行ってあげたらよかったなと、珍しく後悔した。

でも、天気のいい日はこうやってまたここに来ればいいんだ。

長男ももう少しは、つきあってくれそうな気がする。

 

私もここにいる親たちと同じように、普通のお母さんに見えているんだろう。

普通であることは、かけがえのない幸せだと思う。

普通のお母さんをさせてもらえて、本当にありがたく思った。

 

 

次男と一緒にいる女の子たちが、私の方を見ていた。

私が手を振ると、次男もこっちを見た。

次男は女の子たちのスコップを借りて、砂場の砂を盛大に掘り返して、大きな砂山を作っている。

何度か私の前をちらちらと見ながら女の子たちが通っては、砂場へ返っていく。

にこにこ見ていたら、意を決してひとりの子が話しかけてくれた。

「あのね、だあれ?」

「私?私は、砂場にいる水色のTシャツ着た男の子のお母さんだよ。」

「あ、やっぱりそうなんだ。あのね、マスコットをお砂場に隠したんだけどね、見つからなくなっちゃったの。」

「へえー。マスコットってどんなの?」

「あのね、これぐらいの。ぜんいつと、たんじろうが見つからないの。」

「それは大変だね。小さいんだ。」

「うん。公園にいる子みんなで探してほしいって思うぐらい、たいへんなんだ。あの子も一緒に探してくれてるの。」

「あ、そうなんだ。見つかるといいね。」

「うん。もうちょっと探してみる!」

そうか、次男は仕事を見つけたんだ。

砂場の砂をすべて掘り返すのは、幼稚園時代の彼の任務のようなものだったものね。

3年間掘り返し続けた技をここで役立てたのだ。

 

そろそろ帰ろうという雰囲気に公園中すべての親がなった頃、

私も砂場へ近づいた。

「一緒に探してくださって、ありがとうございます!1個見つけてくれたんです!」

と急にお母さんたちから話しかけられた。

動揺する私。

「え?あ、そうなんですか、お邪魔してなかったですか?」

「いえいえ!一生懸命探してくれて…ねえ!」

「ほんと助かりましたよ〜」とお父さん。

「なんか、お友だちだそうで」

「あ、そうなんですね。お友だちだったんだ、しゅんすけ」

「え?友だちじゃないよ」と照れて立ち上がる次男。

「そんなハッキリ言わんでも…」と苦笑いするお父さん。

「一方通行だったか」と笑うお母さんたち。

「いや…別に…」と照れて次男はブランコへ走り去った。

 

うー暑い〜と、汗だくの長男もブランコにやって来た。

あとちょっとだけ!と言って二人はブランコを漕いだ。

「ほら、お兄ちゃんにありがとうって行っておいで」とお父さんお母さんに言われて、女の子が近くに来た。

「ありがとう。」と私に言う彼女。

「いいえ。遊んでくれてありがとう。」

にっこりして立ち去る彼女。

「あら、お兄ちゃんには?」と言われている。

そんなのさ、難しいよね。

「お兄ちゃん、バイバーイ、ありがとうねー!」とお母さんたちに言われて、満更でもなさそうだが照れ臭そうな次男。

「何々?何があったの?」と長男。

「砂場に埋めて見つからなくなったマスコットを、探すの手伝ってあげてたんだって。」

「へえ。砂場でそんなことしてたんだ。」

話しながら帰っていると、女の子たち家族が後ろから歩いてくる。

 

「あれ?家同じ方向なのかな?」と次男。

振り返って女の子を待っている。

「あのね、私のお家、こっちなの!」

ふたりで走り始めた。

ぼくんちはね、こっちだよ!こっち来て!ほら、あの黒い建物見えるでしょ、あの向こうにあるアパートだよ!」

「あら、家紹介してるわ」と爆笑するお母さんたち。

「うちもすぐそこなんですよ。」と私。

「じゃあ、登校班も一緒ですね、きっと。うちは来年1年生なんです。よろしくお願いします!」

マスクしていなかったので、何となく距離を取りながら、それではまた〜と言ってさよならしたんだけど、

女の子たち家族がお家に入った後、

ちょっと困ったなと、3人で顔を見合わせた。

長男「ぼくたち違う学校だよね。」

次男「うん。」

長男「完全に、小学校になったら毎朝会えるって思われちゃったよね。」

次男「うん。」

私「運が良ければ会える、森の妖精みたいな存在になっちゃうね、君たちは。だってここには住んでないもんねえ。」

長男「あー、トトロみたいなもんか。」

次男「ま、でもまた公園に行けば会えるでしょ。お家はわかったんだし。」

 

帰宅してから、ずっと歌を歌って上機嫌の次男。

私は君の恋を応援しますよ。

 

贅沢

昨日はプチパセージだった。

久しぶりのメンバーさんの事例をみんなで学ぶことができて大変良かった。

定点観測のように、それぞれのメンバーさんのこれまでを知っているから、

みなさんがどれほど成長され、子どもさんたちとの関係が良くなったかを感じられる。

素敵な親子のお話を聞かせていただけて本当に嬉しい。

しかも、いつだってより良い代替案(オルタナティブウェイ)がある。

より良い工夫を考えていくことができる。

やっぱりパセージっていいなあとあらためて思った。

 

 

今日は子どもたちが買い物につきあってくれた。

公園に寄っては散々遊んでなかなか買い物に行けず、

本屋に寄っては立ち読みに熱中してなかなか帰れず、

帰路は薄暗くなっていた。

子育て中のお母さんの疲れた午後を満喫させていただいた。

 

今日買おうと決めていたのは、これ↓

 

f:id:meinelieblinge:20211002214735j:plain

ダッチオーブン

子どもたちの家で重宝していたのは、魚焼きグリルのところで使う、ビルトイン式のダッチオーブンだったのだけど

IH対応のダッチオーブンがあることを、以前長男と買い物中に発見していた。

 

臨時収入が入るので、子どもたちと相談して、思い切って買うことに決めた。

売り場に行ったら、この前ずらっと並んでいたダッチオーブンたちが見当たらない。

土鍋に売り場を占拠されていた。

あちこち探して、直径19cmのかなり安いものと、

直径20cmの予算よりちょっと高いものを見つけ、

そうしたら、ちょっと高いもののもう1回り大きい22cmのものも見つけた。

これから子どもたちどんどん大きくなってどんどん食べるようになっていくし…

「ぼく、お家でパン種こねて持ってくるよ。そしたらお母さん家で焼きたてのパン食べてもらえるよ!」

という長男の言葉にそそのかされ(?)て、ちょっと高めの直径22cmのものに決めた。

赤と黒(塗装なし)があって、赤いのがとっても可愛いかった。

「別に色はどっちでもいいですよ。同じなんだから。」

と、えらい冷めたご意見の次男。

大きさについては、絶対に大きい方が良いと熱く語ってくれたのだけど 笑

長男は、「でもさ、もし赤い靴と黒い靴だったら、考えるでしょ?ずっと使うんだから色も気に入ったやつがいいよ。」と優しく言ってくれた。

次男「別に色はどっちでもいいよ。」

そうかなあ?とか言いながら、でも鍋の色なんて確かにどうでもいいことはわかった。

「でも、片手鍋も赤いし、フライパンも赤いんだよね。だからダッチオーブンも赤いのでそろえたい!」という私の意見を認めてくれて、

それから赤い22cmのダッチオーブンの箱を探した。

どれだけ探しても、黒しか見つからず、どうも20cmの赤も見つからない。

やっぱり人気なんだ!

展示品の赤が最後の一個のようなので、

私「よし、展示品購入できるかどうか交渉に行ってくるわ!」

長男「交渉頑張ってください!」

と売り場の人を探しに行って、無事にその子を連れ帰ることができた。

かなり重いダッチオーブンは、長男が抱えて持って帰ってくれた。

その任務のために買い物についてきてくれたのだけど、たのもしいし助かったし、楽しかった。

 

 

帰ってから早速、ダッチオーブンにサワラと玉ねぎとピーマンととろけるチーズを入れて調理した。

味付けは塩とオリーブオイル。

加熱時間は20分ぐらいだったかな。

たいへん美味しくいただきました。

 

ものづくり

今日と明日のプチパセージも参加希望者がおられず、中止になってしまった。

しかしおかげさまで頼まれ仕事の文案作成に専念することができた。

 

昨日練り直した構想を、今日は形にするところまではできた。

粗雑ではあるが、それはそれで私のストレンクスなんだろうと思うことにした。

緻密な依頼人と共に、これから詰めていけばいいことだ。

夜はさすがに疲れてきたので、まだ引用や資料に当たらなければならないところが残っているが、今日は仕事を切り上げることにした。

 

作業がのってきて集中力が発揮されてくると、今度は切り上げるのが難しい。

集中力が発揮されるまでは気分転換しかしていないような暮らしぶりになるのだが、

集中し始めると、他のことに見向きもせずに、ただそのひとつだけを満足いくまで仕上げたくなってしまう。

とは言え、満足できるようなものには決して仕上がらないので、途中でがっかりしたり疲れ果てたりして立ち止まる。

それで休憩することができる。

メタメタぐらいからこのメカニズムを眺めてみれば、よいバランスであると思う。

同居人にとってはこういう人と暮らすのは面倒だったろうと思う。

ピリピリしていたしなあ…。

でも今はひとり暮らしなので邪魔も入らないし、私がご迷惑をおかけすることもない。

快適ではある。

 

けれど、誰かと話すことがないので刺激が少ないし、

子どものお迎えまでにとか、夜ご飯作るまでにとか、そういう時間制限の中で集中しなければという縛りもないので、作業効率は実はあまり高くないような気もする。

とうとう食材が尽きたので、明日は買い物に行って、

ひとりで喫茶店にでも行ってみようか。

パセージなどの他の仕事があれば、その合間を縫って作業ができるので、

刺激も時間制限も手にできて、私にとっては一番よい環境になるのだけれどなあ。

まあ仕方がない。

 

私は文筆稼業に向いていない。

丁寧で緻密な論を組み立てられるように修行しなければ。

しかし根気がなく、理想が高すぎる。

やはり文章も、共同作業でなければよいものを作れないようだ。

依頼人との文章のやりとりによって、だんだんと形作られていく過程が好きだ。

 

ものづくりはきっと何だって、チームワークが必要なんだろうと思う。

私の作業を支えてくれている音楽だって、作詞作曲と編曲と演奏と、映像作成や配信といったところまで、

想像できないぐらい多くの人たちの力で出来上がっているのだろう。

ステージを作るのだって講座を開催するのだって同じことだ。

 

自分ひとりで何かを成し遂げたかったけれど、その執着を捨てられるようになったのは私の成長だと思う。

よいものを作りたい。

 

ものづくりは、関わったことのある人やないとわからんことがあるんやって、昔私の父が言っていたことを思い出した。

よいものを作ろうとするのに必要なのは何だって同じやって。

父は電機系のエンジニアだけれど、演奏家でもある。

そこに、ものづくりの共通項を見つけていたということだ。

そうか、私のアナロジカルな発想は父譲りなのかもしれない。

父は感性は鋭いが、論理を言語化するのは苦手なタイプだ。

 

まあ、私の論理に飛躍があるのはやむをえないことかもしれない。

拙いながらも、言葉を尽くしてみよう。