social adaptation

fox capture plan をよく聴いている。

ピアノとコントラバスとドラムの3人のバンド。

弦楽器と演奏していることも多い。

楽器だけなので、余計な言葉がなくて、とても心地良い。

元気のない時に聴くと、元気のない自分でいても幸せであることを思い出せる。

これ以上何かしようと思わないで、漂っていられる。

ひとりの時間が愛しく思えてくる。

 

子どもたちがたくさん来てくれれば来てくれるほどに、帰った後が寂しくなる。

会えない時間が長くなってしまうときは、そんなに寂しいなんて感じないんだけれど。

馴化。

痛みも寂しさも悲しさも違和感も、続くほどに馴れてしまう。

環境への適応戦略として生き物が手に入れた方法なのだろうけれど

私はまだ馴化しきれずにいるようだ。

それは、私がまだこの暮らしを当たり前に思えず新鮮に感じているという表れで

喜ばしいことだと思う。

小さなことに悲しんで、小さなことに喜ぶことができる。

それが私の生活と言葉と身体全てを変えていくように思う。

 

 

 

金髪少女のKちゃんのことについては、たくさんの動きがあった。

オンライン勉強会で、先日の私とKちゃんの権力争いについて聴いてもらった。

すると、平等の位置に戻れるような代替案を見つけることができた。

この子は、自分がどうするべきかはちゃんとわかっている。

でも、今それをする勇気が出ないんだ。

そのように私がKちゃんのことを見ることができれば、

すなわちRe-spect、尊敬することができれば、

私はKちゃんを裁くことなく、彼女を勇気づけるために行動しようと思えただろう。

きっと、「どうすべきなのかはちゃんとわかっているんだね。私に何かお手伝いできることある?」って、聞けると思う。

そして、先生に今日は会いたくはないんですということを伝えられると思う。

 

その後Kちゃんとは何度か会った。

スマホの充電器を貸してほしいと、私の夜勤中に事務室に来たこともあった。

「充電器壊れていて、前借りていたのは昨日返しちゃったからもう一度貸して」と言う。

貸し出し可能な充電器は私には見つけられず、事務室で使っている備品しかないんだけど…と言うと、

ちょっと考えて、「明日の朝返すから、それ貸して」と言った。

「わかった。じゃあ明日の朝、返しに来てね。」と言って、私の席にあった充電器を渡した。

「ありがと。」笑顔で帰って行った。

なんとか、平等の位置に戻れたかな。

根に持たないでいてくれる、さっぱりしたKちゃんのおかげだ。

 

黒い髪の方が、Kちゃんはずっと可愛いのにな。

でもそれは、私の好み。

彼女に学んでほしいこと以外は、彼女にお任せしよう。

…中学生が金髪に染めるということが、周りにとってどういう意味を持つか、ということは、

多分彼女は私以上によくわかった上でそうしているんだろうと思う。

彼女は、可愛くなりたいと思って髪を染めたわけではないらしいから。

「友だちが茶髪にしてていいなって思って、染めたくなった」って言ってくれたとき、

「友だちが可愛くなってたから?」って尋ねたら、

「いや、そうは思わなかったけど…」って答えたから 笑

だからこの件については、私は何も言うべきことはない。

夏休みからって言っていたのを夏休み前に染めたということだけが、約束を守らなかった点で、そのことについては以前伝えることができたから、もう十分だ。

 

Kちゃんはこの週末、施設の海の合宿行事にも参加していた。

合宿は、職員と子どもたちだけの行事だ。普段できない自然体験をして、集団で楽しんで、様々なことを学んでもらう。

大きな成長が見られる良い場だ。

今年は私は留守番だったが、また引率する機会があればいいなと思っている。(職員の方は体力勝負ではあるが…)

 

それから多分、昨晩からKちゃんはおじいちゃんの家にひとりで泊まりに行っていると思う。

お母さんやきょうだいたちと離れて、夏休みが終わる間際まで。

ミーティングでKちゃんの長期外泊を許可するかどうかという話し合いをした。

みんながいいと思うと言ったので、

私は施設としてそれがOKなのかどうか、もう一度ルールの確認をしてもらった。

私は「うざい」人だ。

でもね、それは形だけのこと。

上司が、施設のルールと、今のKちゃんの家の状況、母の許可など含めて、許可することはできる条件はそろっているので、と私を説得する形となり、

私は個人的には賛成だったので、わかりましたと納得する形となって、

無事Kちゃんに外泊許可が出た。

その後、一番厳しい上司が、お母さんとKちゃんに外泊許可を伝えていた。

 

私は、自分もアイヒマンであることを感じている。

役割に従順である。

この施設はある意味で牢獄だと思っていて、私はある意味で看守であると思っている。

その認識は、どれだけ利用者さんたちと仲良くなり、どれだけ職員さんたちと馴染み、この施設にいることが私の日常となっても、変えてはならないと思っている。

私個人としては、こんな生活は窮屈すぎてたまらないと思っているから、

特例として様々な小さなルールの免除が行われていることについて、人の心があるなら当然それで良いと思うのだけれど、

でも、この施設のルールはルールとして守られなければ、もっと大きな措置のルールに抵触してしまうと、利用者さんたちの生活が守られなくなってしまう。

つまり、この施設から強制的に退去になってしまう。

そもそもが、社会のルールを守ることができない利用者さんも多い。

そんな中で、ルールを四角四面に守っていくべきだと言う建前はとても大切だと思っている。

たとえ悪法であっても、守るべきだと思っている。

もしもどうしようもないのならば、その悪法を変えなければならないと思っている。正当な手続きを経て。

だから、私は形式的には、うざがられる役割を引き受けていこうと思っている。

それが気楽にできるようになったのは、私と職員さんたちの関係が良くなったからだと思う。

形の上での話だけだから、意味があるのかどうかわからないけれど…

でももしも、措置元が何か言ってきたとしても、反対意見も出たけれど、このような議論の末にこの度は許可をしました、と言える。

私は施設の安全運転を考えているようだ。

形骸化しているだろうけれど。

 

でも、大人の世界って、本質が見えて動いていることはほとんどなくて、形さえ整っていれば通ることが多々あって、たったひとつのハンコが足りないだけで全てが通らないというものなのだって、学んだ。

好きではない。

でも、そこで生き延びていかなきゃならない。

Kちゃんは、アウトサイダー ぶりたくて金髪にしたのだろう。

誰も私を支配なんてできないのよっていうメッセージなんだろう。

そのままで、社会に適応できていけるんだろうか。

そういう人々のコミュニティに入っていくつもりなんだろうか。

いい子ちゃんでしかいられない私には、わからない世界だ。

そして私は、どこまでもアイヒマン的に小賢しいようだ。

私の真心と私のアイヒマン的保身とが両立できなくなった時に、私はこの職場を辞めるのだろう。

 

 

社会適応的に生きていくことと、私が自分の良いと信じるものだけの世界に進んでいくことと、

そこには大きな矛盾がある。

でも一方で、今私に降りかかってくる物事は、もしも私がここに居なければ、別の誰かに降りかかったに違いないとも思っている。

私がどれだけ従順であろうと抵抗しようと、世界の方は何も変わらず、この流れが否応なくやってくるだけだと思う。

だから、私は、自分のうまくやりたいという私の頭なんてちっぽけなもので、何を考えても無駄なことだとあきらめた上で、

それでも目の前の人々のために、未来の人々のために、今私ができる最大限のことをしてみようとあがいている。