今日は絶対的休日。
こういう日に限って、色々と用事が入ったりもする。
世の中うまくできていると思う。
オンライン勉強会の資料作りもできた。
次男の要望で、仮面ライダーとウルトラマンのオープニング曲集をかけさせられている。
私は保育園と幼稚園の頃、なぜか仮面ライダーブラックと仮面ライダーブラックRXを見ていた。
幼稚園の頃は再放送の仮面ライダー1号と2号も見ていた。
たいへん面白く見ていた。
曲もしっかり覚えていた。
それから、仮面ライダーにまつわる早期回想を思い出した。
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保育園に行っていた3歳のとき。
男の子たちが昨日放送されていた仮面ライダーブラックの話をしていました。私は横で聞いていて、「そうやんなあ!」ってあいづちを打ちました。
すると、1人の男の子が「見てないくせに嘘つくな!」と私に言いました。
「嘘ついてないもん!昨日仮面ライダーブラック見たんやもん!」と私は言いました。
「嘘や!だって女は仮面ライダー見ないんだぞ!」
「私は見たもん!」
「じゃあどんな話だったか言ってみろよ、なあ!」他の男の子たちを見ながら、私に意地悪く言いました。
「みんなでまるく集合してたときに1人多くて、ブラックの偽物が混じっていたんやろ!」
「…そうやけど…」男の子はびっくりしてひるみました。
「私が見てたんわかったやろ!」私は誇らしげに、大きな声で言いました。
他の男の子たちは「え、見てたんや」ってつぶやきました。
「でもお前は女なんやから見てるわけないんや!嘘や!」と男の子は言い始めました。
「嘘ちゃうもん!」
「嘘や〜!誰かから話聞いたんやろ!」
男の子はそう言い捨てて、私に背を向けて他の男の子たちと話を始めました。
私は男の子たちの輪から抜けて、教室の後ろのロッカーのところへ1人で行きました。
私は正しいことしか言ってないのに、とても悔しかったです。
世の中はなんて理不尽なんだと思いました。
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よくない早期回想だ。
私は女だから、正しいことを言っても男に信じてもらえない。
私は女なのに、女らしくない。
私はそんな思い込みを持っているのかもしれない。
これもマスキュリンプロテスト(男性的抗議)にまつわる早期回想である。
女であるという劣等感を克服するために、
私は論理的に客観的事実を積み上げて現実的な説得力のある話をすることでもって、
私の言い分を正しいと認めてもらうことを優越性の目標として追求してきたのだろう。
男に(もっと広い意味では、私より強い者に)論理で勝とうとしてきた。認めてもらおうとしてきた。
この早期回想も、数年前に思い出したときとは変化している。
以前は、私は最後1人になったとき、もっと絶望していたのだった。
うなだれてロッカーの前で、多分半泣きになっていたと思う。
そうしたら保育園の先生がびっくりして来られて、「みほちゃん、どうしたの?」って聞いてくださったのだった。
私はまさか、仮面ライダーを見ていたということを男の子たちに信じてもらえなかったから泣いている、なんて、恥ずかしくて言えなくて、「なんでもない」と言ったと思う。
しかしここの場面は、今の早期回想では全くなくなってしまっている。
そして全く同じパターンの早期回想が私には2つほどある。
どれも、私を助けてくれようと手をのべる先生にも、私の絶望は癒せないということが書いてある。
しかし今現在思い出す早期回想は、先生方に期待もしないし失望もしない、という風に変化している。
そしてこの仮面ライダーの早期回想では、もう先生が登場もしなくなった。
おそらく私は自立したのだろう。
おそらく私はずっと、庇護されてきたのだろう。
でももう、私は庇護される対象ではなくなった。
そもそも、私は庇護される存在であることが嫌だったのだ。
不名誉だと思っていた。
男は強くたくましくなれと言われていて、うらやましかった。
女はか弱く可憐で男に守られ愛されるのが理想だと、
私の両親は決してそうは言わなかったが、世の中はそのようなメッセージを絶えず私に送り続け、
私は自分が女であることに劣等感を感じ続けていた。
世の中は理不尽である。
それは仕方のないことだ。
何が起こるかも、私にはわからない。
でも、私の選択にふさわしい未来しかやって来ないと思っている。
私が女であることは確かな事実で、
そこに劣等感を感じようが優越感を感じようが、
今生での私の身体は女である。
この身体は私の選んだものではないけれど、
女としてどのように生きるかは選ぶことができる。
変えようのないことに劣等感を抱くのは、馬鹿げているなと思うようになった。
私は現実的なのだ。それは多分、私のストレンクスだ。
それは私が女であることと無関係に、私のストレンクスだ。
私を認めてもらうことを目標にするのも、馬鹿げているなと思うようになった。
私を庇護しようとしてくれる人は、たくさんいらっしゃる。
幼い頃から、今も、ずっとずっと、誰かが私を庇護しようとしてくれてきた。
そのことに私は気づかなかったり、疎ましく思ったり、当たり前だと思ったりしていた。
この誰かが手をのべてくれるあたたかい世界に、私は感謝したいと思う。
私は世界観が良い。
驚くほどに。
理不尽なことが、
私には変えられないことを根拠に信じてもらえなかったり、私の正しさが認められなかったり、
それから人間にはどうしようもないような災害が降りかかったり、
様々な悲しく恐ろしいことが私の身には次々に起こるけれど、
それでも必ず私には、手をのべてくれる人たちが現れる。
それはもしかすると、私が女の子だったからなのかもしれないと、思えるようになった。
男の子は、強くたくましく育てと思う。心からそう思う。
でも私は、女の子を守りたいと思う。女の子が安全に、安らいで、好きなだけ可愛らしくいられる世界を守りたいと思う。
昨日我が家に来てくれた女の子たちも、とてもとても可愛らしくて、この子たちのためにならなんだってしようと思ってしまう。
女の子は、男の子とは全然違う生き物だ。
そう、私もかつて女の子だったんだ。守りたいと誰かに思ってもらえる存在だったんだ。
そのことを、今、私は、よかったって思えるようになったかもしれない。
仮面ライダーは、男の世界だったんだ。
そこに女の子が立ち入ることは、あの男の子にとっては嫌なことだったんだろう。
だって、女の子は守られるべき存在だから。
仮面ライダーの物語の中でも、女たちはいつも庇護される存在だ。
私は仮面ライダーの物語に出てくる女には絶対になりたくなかった。
そんな風に思う女の子がいるなんてことは、彼には理解できなかったんだろう。
多分私のこと、ちゃんと女の子として認めてくれていたんだろうね。そのことに気づけるほど私は大人ではなかったけれど。
でも私は自分が仮面ライダーになれないことを知っていた。そういう意味で、私は賢い子どもだった。
私はこのわかりやすく描かれた世界の中で、どうやって生きていけばいいのか、ずっとわからなかった。
不器用だった。
今は、ようやく、仮面ライダーにもならず、仮面ライダーに助けられる女にもならず、
生きていく勇気を持てるようになった。
それは、もちろんショッカーになることでもない。
この世界の中で、人はもっと自由に生きることができるって気づいたのだ。
この紋切り型の世界の見方が、私を縛っていただけ。
私が私を縛っていただけだ。