登り棒の上

今日は絶対的休日でした。

 


自分の競合性に向き合う機会が最近、とても多いです。
早期回想の世界に浸っていると、また少し私のことがわかってしまいました。
気づいてしまうことはとってもへこみます。
本当は私はもっと大人な自分でいたいものだと思っているからです。
でも、気づいてしまったら、もう気づいていなかった自分には戻れません。
まず受け止めて、もう少し大人になるためにどうするか、考えるのです。

 

思い出したのはこんな早期回想です。

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幼稚園の年長のとき、私はある男の子2人にすごく嫌なことをされました。
私の両親が、幼稚園やその子たちの親御さんに連絡して、問題は明るみに出ました。
その後日のことです。

私は仲良しの女の子の友だちと、登り棒の一番上まで登って、そこでふたりでおしゃべりしていました。
景色がよく見えて、とても楽しかったです。
すると、その男の子のうちの1人が、登り棒に近づいてきました。

私は、嫌だなって思いました。
その子は登り棒の下で、「なあ、ごめんな。」って言いました。
私はその子を見下ろして、黙っていました。
「なあ、ごめん。もう絶対しないから。」
その子は泣きそうな顔をして、私を見上げて言いました。
でも私は嫌でした。早く向こうに行ってほしいと思いました。
友だちが私に、「ねえ、何のこと〜?何を言ってるの?」って聞きました。
「俺、謝ってるねん!ごめんって!」男の子は登り棒の下で声を張り上げました。
私は、「えー何のことかわかんなーい!」って、友だちの方を向いて言いました。
男の子は、「ごめんって言ってるのに!」と泣きながら言って、去って行きました。
私は男の子の去って行く後ろ姿を見てほっとしました。
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よくない早期回想です。
私はこの早期回想をオンライン勉強会で仲間に話して、その意味がおぼろげにわかったように思います。


私は軽蔑する人間です。それはもう徹底して。
そのことは、何年も前に講座でカウンセリングや心理療法を受けさせてもらったときに気づいたことでした。
でも、ああここまで私は徹底して軽蔑し切るんだということに衝撃を受けました。
登り棒の上と下。
見下ろす私と見上げる彼。
無視する私と泣いて謝る彼。
それでも私は許さないのです。絶対に。


でも、私は仲間に話しているうちに、彼の良いところに気づくことができました。
彼は精一杯、謝ってくれたのです。
それはとても勇気のいることだったと思います。
自分が悪かったということを、彼は思っていたと思います。
私が嫌なことをされたときも、彼はもう1人の男の子を止めようとした場面もありました。
私は彼らのことを決して許さないけれど、
でも彼は自分が悪かったということを認めて、私に許しを請うたのです。
それは彼の良いところだと、私は初めて思えました。


だけど私は彼と一緒には居たくないのです。許すこともできません。
それはそれでいいと、思います。
でも、彼の誠意だけは受け止めることができるかもしれません。
仲間が一緒に早期回想の旅をしてくれたから、

もしも今の私なら、と代替案を考えることもできました。


「なあ、ごめんな。」って言ってくれたときに、私は登り棒から降りようと思いました。
多分何も言えないと思うけど、

とりあえず登り棒から降りて、同じ地面に立つことはできそうです。
それで、黙って向き合おうと思います。
きっと彼は続けて「なあ、ごめん。もう絶対にしないから。」と言ってくれるでしょう。
私は、「わかった。謝ってくれてありがとう。でも、私は許せない。ごめんね。」と言おうと思います。
彼はどうするでしょうね。
わからないけれど、私が登り棒の上で謝罪すら無視し続けるときよりは、
彼は傷つかずにいられるんじゃないかなと思います。


私は絶対に許しません。そして私は自分が絶対に正しいと思っています。
だけど、相手の立場に立つことも、しなければならないと思うのです。
私は許さなくてもいい。
でも、相手の物語は相手の物語として、尊敬しなければ、
私たちはどこまでも傷つけ合ってしまうと思うのです。
とても勇気がいるけれど。

 

そんなことを、現実と夢と早期回想と、いろいろなものが入り混じりながら思う最近です。
聴いてくれた仲間に心から感謝しています。