贅沢

今日は野田先生の論文のオンライン勉強会。

 

今日はお客さまを呼べるように家中片付けた。

見えているところは差し当たって、やっと片付いた。

不要な物や本を売ることも、やっとできた。

明後日が、次男のお誕生日会なのだ。

家は狭いしコロナのこともあるので、ひとりのお友だち(とそのお母さんとごきょうだい)だけをお招きすることにした。

お友だちを招いてのお誕生日会は、我々にとって人生初である。

 

子どもたちの望んでいる夫婦揃って仲良く暮らすという理想を実現できない、という申し訳なさがあるので、

私も元夫も、子どもたちの喜んでくれることを最大限考えて、やってみたいと思っている。

そのうちの一つが、お誕生日イベントである。

私の家ではちょっと早い目のお誕生日会。

彼らの父親とは、お誕生日当日に3人で祝うらしい。

私からと彼らの父親からと、それぞれからプレゼントもケーキも渡す。

嬉しいことが増えた〜と喜んでくれている。

プレゼントやケーキが本質的でないことはわかっているけれど、少しでも嬉しいことがあれば、何よりだと思う。

ちょっと甘くなってしまったかなあ…

彼らと一緒に、限られた時間を楽しく過ごしたいのだ。

享楽的かなあ…

 

私は享楽的であることをたいへん良くないと思っているようだ。

いくつかの早期回想にもそのように書いてある。

でも今は、欲しい物を欲しいと言うことも悪くはないと思えるようになったし、

ケーキやジュースや贅沢品を、ちょっとしたハレの日に楽しむのも悪くはないと思えるようになった。

私自身の快適さに焦点を当てて行動することも、悪くはないと思えるようになった。

 

これらは大変画期的なことだ。

自分の快適さを大事にして暮らそうと思うと、自ずから家事をきちんとする必要が出てくる。

清潔で片付いた部屋、整理された好みの衣類、栄養があって美味しい食事。

それらが整っていることが私の快適さである。

当たり前のようだけれど、毎日毎日快適に暮らすためにはけっこう手間がかかる。

でも散らかすのは私だけなので、この人に気をつけてもらっておけばなんとかしやすくはある。

快適な空間にいると、心地良くて、必要な物にすぐアクセスできて、仕事の能率が上がる。

家事の能率も上がる。そうすると、より快適な環境を整えるのが楽になる。

 

子どもたちが来ると、

居心地いいね〜と言って、そしてなぜか瞬く間に床とベッドの上が散らかるけれど、

すぐにきれいに片付けてもらえるようになった。

いいよ、彼らに散らかさないなんて遊び方はできないのだろう。

 

彼らといることが、私にとって一番の贅沢だ。