エピソードを生きる

今日はパセージ第4章でした。

 

ご一緒に学べる方たちがいて、私は本当に救われています。

 

パセージのメンバーさんたちは、子どもさんとのエピソードの中で生きていて、
エピソードをもとにして考えておられます。
なので、パセージのテキストに書いてあることが、
頭の中にある意見としてのレポートではなく、
体でわかり、心で感じることができているのだなあと思います。
だから、洞察力の優れたメンバーさんたちは、
ご自身と子どもさんの感情、思考、行動をそれぞれよく観察されて、
パセージを自分のものにしていかれるのだと思います。

 

レポートは現場から離れたところにあります。
自分や誰かの意見です。
それは、エピソードのあたたかい交流とは別種のものです。

短歌や詩は、意味記憶ではなくてエピソード記憶なのだそうです。
ありありと思い浮かべることのできる光景、心情、
それらは、エピソードを生きてはじめて描けるものなのです。

 

レポートで語られたものをもとにする態度は、アドラー心理学とは与しないと思います。
アドラーはいつだってエピソードに基づいて話をしました。
私が誰かとつながることができるのも、
私が誰かとのエピソードを生きているからです。