手を結べるところ

アドラー心理学の基本を学ぶことは、そんなに難しいことではないと思います。

かなりシンプルな理論だし、技法はとても具体的ですから。

パセージを受講して、いくつか先生方の基礎講座などを受講して、

実際の生活で実践を重ねていけば、

十分に学び、身につけることができると思います。

 

有資格者になろうとすれば、それだけでは足りませんけどね。

パセージリーダー(日本アドラー心理学会認定家族コンサルタント)になろうと思えば、

パセージの構造や意図を理解する必要がありますし、

パセージのコースの動かし方について、訓練が必要だと思います。

それは先輩のリーダーさんの見取り稽古によって、習得できるものだと思います。

でも、一緒に学んでいく自助グループの仲間がいれば、

そんなに難しいことではないと思います。

 

カウンセラー(日本アドラー心理学会認定カウンセラー)になろうと思えば、

さらにそれ以上に、多くの修行が必要だと思います。

自慢ではありませんが、

私は一度カウンセラー養成講座を受講して、そのときには試験に合格できなくて、

2年後に再試験を受けて、

しかもその再試験も1回目は不合格、2回目でやっと合格できたという劣等生なので、

カウンセラーになるのは難しいという意見を持っています。

でも私とは違って、一度養成講座を受講して軽やかに合格される方もいらっしゃるので、

この意見はあくまで私の私的見解ですが。

 

カウンセラーになるために、私に足りていなかったところは何だっただろうかと、

たくさん考えました。

不合格をいただいてから、合格してからも。

人によってその不足部分は違うと思います。

私にとっては、相手の話を聴くということ、

相手の目で見、耳で聴き、心で感じるということだったと思います。

私は頭でっかちなのです。ずーっと思考がうるさいタイプです。

しかもそのことを、かなり積極的に発言するタイプです。

クライアントさんについての私の推測が当たっていればまだましですが、

外れていたら最悪です。

もし当たっていたとしても、そのことを私が全部しゃべってしまえば、

クライアントさんは自分で学び、大切なことをつかむことができません。

で、こういうことは、カウンセラー養成講座受講中に、自分で痛いほどわかったのです。

わかったけれど、どうやって話を聴いて、どうやってその話について聞けばいいのか、

どうやって推測すればいいか、どうやって推測したことを伝えればいいか、

それについてはわからなくて、手も足も出せないような状態になっていました。

 

頭で理解できるのは、ここが限界だったと思います。

私がなんとか話を聴けるようになったのは、場数のおかげも大きいです。

パセージで、自助グループで、たくさんの方のお話を聴かせていただいて、

パセージテキストを使って、ブレークスルークエスチョンズを使って、

みんなでその方のエピソードを考えていくという体験を重ねて、

やっと体でわかったということがあります。

 

もうひとつは、「相互尊敬、相互信頼、協力、目標の一致」

という相手との関係を築いていくための構えを、

その体験の中で、心で感じる瞬間ができた、ということだと思います。

私は常にこのようにいられるわけではありません。

すぐに私は自分の思考の中へ潜り込んでしまいます。

だけど、自助グループやパセージの2時間半の間だけは、

目覚めておこうと、目の前のメンバーさんのためにお役に立てる自分でいようと、

そう祈って、そのように努めようとしています。

 

自分の制御と、相手への有効な働きかけ、

そういうことがアドラー心理学のセラピストとして、

理論と技法と思想に基づいて動けるようにならなければ、

アドラー派のカウンセラーではないと思います。

 

 

でも、アドラー心理学を学ぶすべての人がカウンセラーを目指さなくていいと思います。

他の形で、アドラー心理学を世のため人のため使っていくことは、いくらでもできると思いますから。

アドラー心理学の技法を正しく使うということが、カウンセラーに求められていることで、

これは一種の特殊技能だと思うからです。

パセージ程度の技法であれば、多くの人が習得できるものだと思うので、

そんなに向き不向きもないように思うのですが、

カウンセリングの技法は、ちょっとそういうわけにはいかないのではないかと思います。

 

もっと言うと、アドラー心理学を学び、実践していこうとする人たちは、

カウンセラーなどの有資格者を目指すのでなければ、

細かい理論のことも理解しなくたっていいと、私は思います。

理論はとても面白いところですから、ご一緒に学べる人が増えれば私はとても嬉しいですけどね。

でも、それは知らなくても、十分にアドラー心理学を実践することができると思います。

 

ただ、共同体感覚という思想だけは、理論や技法についての理解や習熟と関わりなく、

アドラー心理学を学ぶ人たちが理解し、目標として持つべきものだと思います。

アドラー心理学の外の世界にいる人たちと、つながることができるのも、

この共同体感覚という思想だと思います。

 

技法としてアドラー心理学を学び、現場での対応に採用しようとする人たちのことを、

私は、アドラー心理学を学ぶ人、つまりアドレリアン、とみなしていません。

そういう人たちは、アドレリアンではないので、ご自由になさったらけっこうだと思っています。

でも、せっかくアドラー心理学のいいところを認めてくださるのなら、

思想についても興味を持ってほしいし、その思想に向かって実践をしてほしいと思うのです。

そうでなければ、アドラー心理学ではありませんから。

 

 

私の弟は、アドラー心理学を学んでいません。

でも、アドラー心理学を学ぶ親の家庭で過ごしました。

弟は援助職に就いているのですが、

近年、アドラー心理学のことを職場の人たちがみんな知っていて、現場で取り入れたりという話を聞いたりもあるそうです。

彼が言うには、喩えるなら

チベット密教の家で育って、自分自身は学んでいなかったけど、

チベット密教の雰囲気を感じて育って、

それで外の世界に行ったところ、浄土真宗の集まりの中にぽんって放り込まれて、

え、これも仏教なんですか?!ってびっくりしてる感じ、

だそうです。

よくはわからないけど、なんかぼくの知ってるアドラーとは違うんだよねって。

 

アドレリアン2世は、それだけではアドレリアンではない、と私はみなしています。

理論と技法をまったく知らないから、アドラー心理学を学ぶ人であるアドレリアンではないのです。

でも、アドレリアン2世というのは、アドラー心理学の思想を受け継いでいる人なのだと思うのです。

そして私は、思想が受け継がれるということが最も大切なことだと思うのです。

弟がアドラー心理学を一緒に学ぶようになったら嬉しいなとは思いますが、

でも別に学ばなくっても、彼は彼の方法で、彼の良いと思うことを、

きっとアドラーの思想にもとづいて、無意識的にしていくだろうと思います。

それは、私が望む世界のあり方と、まったく一致しているから、

私は弟に対して、何も言いたいことはありません。

 

 

アドラー心理学の思想だけは、アドラー心理学を学んでいない人たちとも、理解しあえるところだと思います。

そこの部分は、科学ではないから。

世の中を照らす灯火だと思うから。

様々な見解を超えて、手を結べるところだと思うのです。

 

私がカウンセリングで、パセージで、

クライアントさんやメンバーさんと心が通い合えると信じられるようになったのは、

理論も技法も、頭でわかることは今この瞬間にわかることができなくてもいい、

この、あなたのために私は何ができるだろうかという思想だけは、この思いだけは、

私の行動を通して、私の言葉を通して、

きっとわかってくださると信じるからです。

それをわかってくださったら、子どものために、相手役さんのために、

何か自分の行動を変えてみようと思ってくださるはずだからです。

 

つまり、私がカウンセラー試験に合格できなかった一番大きな要因は、

アドラー心理学の思想を、心からわかっていなかったからなのでしょう。

逆から見れば、思想さえわかっておれば、

あとは理性の問題ですので、理論と技法を勉強することで、

きっとカウンセラーになることもできるということです。