トンネルを抜けて

今日は特急列車に乗って自宅に帰ってきた。

 

運転席からの眺めが見られる、先頭車両の一番いい席に座ることができた。

街を抜けて、緑の田畑を超えて、深い緑の山を通って、

一瞬一瞬通り過ぎていく景色の中を走って行った。

 

私がここに住むようになったのは大学生のときからで、

故郷のあの街とこことを数え切れないほど行き来してきた。

大学時代はどちらが私の場所かわからないなと思って、

所在無くふわふわと生きていた。

両親が離婚してすぐだったし、

初めて一人暮らしするようになったし、

私一人の家にいても、車窓から景色を眺めて移動していても、

父の家にいても、母の家にいても、

どこも自分の場所ではないようでもあったし、

どこもかも自分の場所であるようにも思えていた。

私は一人であると、いつも感じていた。

誰かとつながりたくてたまらなかった。

だけど、誰かと一緒にいても、私は私のことを考えていた。

私は自分を中心に世界が回っていると思い込んでいた。

 

何が変わったかというと、

中心が私から外れたことだ。

私は言葉を駆使しなくても、心でつながることができるとわかった。

でもこれが本当にわかったのは、ごく最近だ。

徐々に変わってきていたけれど、

すっかり変わってしまったのはごく最近だ。

 

 

子どもたちの存在は大きい。

思い通りにならない夫の家族という存在も大きい。

私は夫と二人きりの生活のときは、大学時代の延長のように、

私は一人だと思い込んでいた。

私は私のことを考えていた。

業の深い私は、自分と違う子どもの世話をするという仕事を得て、

はじめて、私を脇に置くことができるようになったのかもしれない。

もう私は一人では居られないのだと感じた。

それは嬉しくもあったし、寂しくもあった。

私だけの私はもう戻って来ないのかと、喪失感があった。

 

一人きりで世界を泳いでいたつもりだったのに、

親に保護される生活を終えてから、そういう私一人の生活しか知らなかったのに、

子どもと暮らすようになって、

忙しくて楽しくて充実した、世界の脇役である私は、

私でなくなったように感じていた。

 

それから子どもたちが大きくなって、

まだまだ子どもの世界で仕事も与えてもらいながらも、

私は私としての世界を取り戻したように思っていた。

 

だけど、ほんとうは多分どれも違っていたと思う。

私はずっと私だったし、

私はずっと世界の中心ではなかったし、

私はずっと一人ではなかったのだ。

 

私がばらばらになってしまった家族をなんとか結びつけておかなければと

連休の度にここからあの街へと行き来しなかったとしても、

私が思う以上に私たちはお互いを思っていたし、

私と同じように、お互いがお互いにつながっていると感じていたはずだ。

ただ、あのときに、今会おう、今会っておこうって

高齢の祖父母の家にも、弟を誘って、何度も何度も行ったことは

あんなに自由に動けたのはあのときだけだったから

ほんとうに良かったと思っている。

 

でも私は間違っていた。

そんなに必死にならなければならないことなんてなかった。

ほんとうは、私は私ではなくて、私もあなたも分けられないのだ。

それを私とあなたに分別をするから、苦しくなっていたのだ。

私は私を考えている限り、私は水に浮かぶ氷だ。

氷が融ければ、我も彼もない、水になる。

 

 

いつだって、これが最後かもしれない。

今日と同じ毎日が続いていく大前提の上に生活はあるけれど

そんなことは絶対に事実ではない。

事実でないとわかりながら、瞬間瞬間を大切に生きていきたい。

これは最後かもしれないという覚悟が、

物語に一回性を与える。

その一度だけのチャンスに、私は何をするか。

そう考えたとき、はじめて、アドラーのいう共同体感覚に近づけるように思う。