サレンダー

明後日に自宅へ帰ることになった。

長く母の家に帰省できて、本当に良かったと思う。


当たり前だと思い込んでいることは、失いかけて初めて

それは当たり前でなくて、有り難く尊いことだったのだと気づく。

健康も、

子どもたちの居る生活も、

日々の忙しさも煩わしさも、

なんてことのないおしゃべりも。

私は早期回想の時代から、当たり前の日常が崩れることを知っているのに、

いつも失いかけてから、動揺して、

何とかできないだろうかともがき始める。


今は、一瞬一瞬を大切に過ごそうという決心をして過ごせている。

それは以前の私とは違うところだと思う。

できる限り、今この瞬間の良いことを探そうとしている。

今この瞬間の幸せなことを探そうとしている。



ほんとうは、とても悲しい。

これはどうにもできないことだとわかっている。

だけど、私の中に、今は後悔は見つからない。

私のカルマでは、このような運命になっているのだと引き受けようと思う。

そしてまだ私には、ほんのわずかではあるけれども

母のためにできることがある。

子どもたちと私が仲良く穏やかに過ごすことも、そのうちのひとつだ。

母と仲良く過ごすこともそのうちのひとつだ。

ちょっと料理をしたり、ちょっと家事を手伝ったり、ちょっと買い出しに出かけたり、

それが大したことじゃないことはわかっている。

でも母が、同居の大切な人が、

私の行動から、

子どもたちの無邪気で好意的な行動から、

私と子どもたちの気持ちを大切に受け止めて

くれていることを感じる。

それがとてもありがたくて、嬉しい。


小さな小さな物語だ。

暑い中それぞれに買い物袋を持って、3人で手を繋いで帰ってきて、

おかえりなさい、ありがとうって扉を開けてもらったこと。

母たちの頂き物の立派な果物をたくさん、

みんなで食卓を囲んでご相伴に預かったこと。

いつまでも同じように繰り返す夏じゃない。

いつまでも繰り返すかのようなふりを私はしているけれど。

すべてが美しく思えて、愛(かな)しい。

これは愛だから、しかたがない。