ただ言葉だけ

今日は自助グループで、パセージに興味のあるという方がお2人、

内容はプチパセージのようなことをしていました。

コロナ以前に、自助グループに来てくださっていた方と、そのお友だちがプチパセージに申し込んでくださっていたのですが、

3ヶ月以上お待たせしていて、ようやく今日来ていただけたのでした。

 

自分の行動、子どもさんの行動に注目することや、

感情の取り扱い方など、アドラー心理学の考え方にはじめて触れられて、

びっくりされて、その後、

確かにそうすると良いことを学んでもらえそうだし、良い関係を保っていけそうだと、

世界ががらっと色を変える、

その瞬間に立ち会えるのがとても嬉しいです。

前回の自助グループで学んだことを実践してみたんです、

ぶらさげて暮らしていたんです、と

驚きと自信を持ってお話ししてくださることがとても嬉しいです。

私はここで、ちゃんと意味のあることができているんだって思えます。

 

 

私は初対面の人と話すのが苦手です。世間話も苦手です。

こんなことを言うと、みんなに笑われるんですけど。

自分でも笑いますけど。

私はおしゃべりだけど、私の関心のあることだけをしゃべっていたいので、

あまり世間のことや人の関心に関心がないんです。

アドラー心理学やパセージに関心を持ってくださる方とお話しすることは、

いくらでもできます。

でも、やっぱり、まだ関心を持ち始めたっていう状態の方に、

アドラーってねこんなに素敵なんですよって、

そうやって宣伝することにはあまり気が向きません。

それをしなくっちゃ広めていけないだろうと思うけれど、

そこは本当に、一緒に学んでいこうとしてくださるメンバーさんたちのお力によって、

少しずつ少しずつ、輪が広がっていっているのを感じます。

 

昨日自助グループのブログでご紹介したのですが、

今回のパセージも感想を書いていただけて、本当に嬉しく、ありがたく思っています。

私はちゃんとお役に立てたんだなって、思えます。

これからも、こうやって私を使っていただこうと思えます。

 

 

時々、思うんです。

私は一生懸命やっているけれど、

これだけ熱意を持って、これだけエネルギーを費やしてやっているけれど、

ばかみたいに思えてくることがあるのです。

自助グループでは1回300円とか600円の収入、

出雲パセージのときなんかは交通費で大赤字、

仕事だなんてとても言えるようなものでもないし、

社会的に認められる肩書きもない。

会場を借りるときなどは

高い受講費を取るために、怪しい輩なのではないかと疑われ、

色々と説明をして納得していただいても、結果高い会場費を払うことになる。

口コミを頼りに細々と続けて、

メンバーさんたちはずっと私といるわけではなくて、

一時的にご一緒に学び、忙しい日々の生活に戻って行かれる。

私はここでずっと同じことをして、

人々が来てくださっては、また去っていく。

そしてまた新しい人が来られて、また去っていく。

ほんとにこれは、私の自己満足でしかないんじゃないかって。

 

 

でも、そういう尺度で測れないところの、

私はちゃんと意味あることをしているんだということがわかるのは、

メンバーさんたちの実践のお話と、

パセージやアドラーに出会えて良かった、という言葉なのです。

これは誇張でも、宣伝でもなくて、

その言葉があるから、私は他の色々なことに囚われず、

この道を進もうと思えるのです。

そして、メンバーさんたちが時々パセージや私を思い出して、

ふと連絡をくださったり、自助グループに来てくださったりすることが、

色々なご事情の中で、学び続けていこうとしてくださることが、

どれほどありがたいことかと思うのです。

 

 

私の活動のしかたは、確かに、

もっときちんと仕事にした方がいいと、昨日U先生が親身に助言してくださったように、

大概常識はずれなのでしょう。

でも、全国のアドラー心理学自助グループは、どこも似たようなものです。

アドラーの常識は世間の非常識、世間の常識はアドラーの非常識」

という格言(?)がありますが、まったくそのようです。

金銭的なもの、社会的な立場、それらを不要だとは思いませんが、

仕事をしていく上でそういったものも付随してくればいいなとは思いますが、

もしも明日私の命が尽きるとして、それらにいったいどれほどの価値があるのでしょう。

私が誰かと心を通わせて言葉を交わしたこと、

それだけが本当に価値あることなのではないかと思うのです。

その人に残る言葉の中にだけ、私は生きていると思うのです。

 

だから、私はお話しをしてくださる方の、

その小さな物語の世界が変わるその一瞬に、

その方のすべての物語が変わる可能性を見、

私に許されたすべての瞬間を大切に生きていこうと、あらためて思うのです。