覆面の世界

5月に、アドラー心理学のカウンセリングの技法と理論と思想についての、優子先生の講座を受講した。

本来はもちろん対面の、実習がメインの講座だったのだけど

自粛期間中だったので、急遽オンラインで、座学の講座として開講してくださった。

全国から受講されている40人近くの顔なじみのみなさんのお顔を見ながら、

同じ時を過ごすことができて、

まだあの頃は近所の人たちと世間話をするのもままならない状況だったので

人と繋がれて良かったと心から思えた。

 

最近のオンライン技術は目覚ましく、

全体の講義の他に、

6人ぐらいのグループディスカッションの時間も設けられていた。

私はそれなりにグループディスカッションに慣れてはいるが、

対面のやりとりとオンラインのやりとりとでは全然違って、

ひじょうに意思疎通を難しく感じた。

私たちのグループでは、回線状況はとてもよくて、ハード面での問題はなかった。

言葉はクリアに通じた。

表情もよくわかる。

でも、空気がわからなかった。

それぞれのメンバーさんの体の動きや、視線の動きや、

メンバーさんどうしでの視線のやりとり、言葉を使わない様々な働きかけが、

そういう多くの情報が、私にはまったく感受できなかった。

だから、グループの中で自分がどのように動けばいいのかもわかりにくくて

かなりのエネルギーを消費した。

 

特に、初めましての初学者の方たちもいたことが大きかったとは思う。

お互いによく知っている仲間とは、グループディスカッションの最中も、

今話すか、もうちょっと待つか、とりあえず聞いてみましょうか、というような

アイコンタクトを取れたこともあったように私は思っているが、

あちら側にとってどうだったかは定かではない。

 

オンラインで勉強会をしまくってはいるが、

私のしている勉強会は、どれもテキストをもとに学び合う形式をとっている。

みんなが同じ資料を手元に持って、そのテキストについて考え、話し合う。

エピソードを聴くという作業はしていない。

関連する話題として、逸話として、たとえ話として、

話し合いの最中に様々なエピソードを挙げることはあるけれど、

エピソードについて分析していくという方法は、

私はオンラインでは使えないと思っているからだ。

 

なぜなら、あるテーマについて話し合うグループディスカッション以上に、

事例をお話しされる方の空気や、動きや、様々な情報を感じ取らなければいけないからだ。

それは、本当に全身全霊を使わなければ感じ取ることのできない、ひとつの芸だと思う。

そして、その方の物語を美しい物語に変えていくためには、

イメージを抱きながら、推測をしながら、質問を重ねていかなければいけない。

その質問にどのように対応されるかによって、

推測が当たったり外れたりしていることを見極めなければいけないし、

その方がこの物語をどのように見ておられるかを感じなければいけない。

これは、たいへんに集中力のいることだ。

パセージの方法を使うにしても、カウンセリングをするにしても、

オンラインという身体的な情報をすべてそぎ落としてしまった状況で、

そんなことできるわけがない。

 

 

カウンセリングは、通常考えられる以上に、深い人間関係を構築する芸だ。

心理療法になると、もっともっと奥深い魔法になる。

そのようなものであるカウンセリングを、

オンラインでやろうとする人たちのことを、私は信じることができない。

第一、私が同じ場を共有しないで、

クライアントさんと物理的に離れた状態でいて、

もしも私の言葉が、意図が、気持ちが、うまく伝えられなかったらと思うと、恐ろしい。

実際に傍にいるということ、それ自体にも、とても大きな意味があると思う。

このことは、オンラインでしか繋がれない状況ということを体験して、

はじめて私は明確にわかったことだ。

こんなことがなかったら、私は気づくことができなかったかもしれない。

 

 

自助グループで使わせていただいている公民館は、

マスクを着用しなければ使用させてもらえない。

なので、広い部屋で、換気して、人数が少なくて、十分な距離を取っていても、

マスクを必ず着けていなければいけない。

自助グループを再開してしばらくは、

このマスクをつけた覆面同士のコミュニケーションが、私にはとても難しいことだった。

相手の表情がとても見えにくい。

そして相手からも私の表情が見えない。

そのために、お互いの空気がわかりにくく、様々な情報を感受するのが難しいのだ。

しかも、再開してからはほぼ毎回がプチパセージで、

つまり初めましての方と話し合い、初めましての方のエピソードもお聴きして、

みなさんと一緒にそのエピソードを考えていくので、

かなりエネルギーを消耗した。

それでも、同じ場所にいるリアルな相手なので、

毎回毎回、場が温まってくると、だんだんと通じ合うようになっていったと思う。

そして、マスクでの自助グループ活動に慣れていくにしたがって、

私もだんだんと情報を感受する能力が高まってきたらしく、

あまりたいへんなエネルギーを使わないでもわかるようになったきたように思う。

 

昨日のプチパセージは別の会場だったので、

安全な条件を満たせていたので、みんなマスクを外して過ごすことができた。

どれだけ楽だったことか…。ほんとうに。

それに、初めましての方は、私の表情がはっきり見えるから、

より緊張はほぐれやすかったのではないかなと思う。

 

 

人と人は、実際に向き合って顔をちゃんと見てコミュニケーションを取るようにできていると思う。

だって表情筋の複雑さってすごいものですよ。

表情ひとつで、目配せひとつで、多くのことを語り、伝えられるのですよ。

そういう風に人間は進化してきたのでしょう?

なんでこんな当たり前のことを、

もっともらしく書かなければいけないんだろうかと思うけれど。

人間らしい生き方が、これからますます遠ざかってしまいそう。

いいえ、人間らしい生き方が何なのか気づいた人は、きっと多くいるはず。

まずは私はそういう人たちと共に、このとんでもない世界から抜け出して、

よい物語を作っていきたい。

そのうち、いつか、よい世界に、正常な世界になればと思う。

それは遠い日になってしまうかもしれないけれど。

だけどそうであるなら、人間らしい生き方を、

きちんと子どもたちに伝えていかなければならないと思う。