日曜日のお出かけ

一日中、色々な役割としての仕事を何かやっているような毎日になっています。

それでも、あまり疲れないです。

これまで休憩と称していた時間は、実際は無駄に思い悩むことに使っていて、

私はそれにたいへんなエネルギーを費やしていたのでしょう。

今はそんな暇があれば、眠ります。

あるいは、本を読みます。

エネルギーを蓄えるか、もし使うのであれば建設的なことに使いたいと思います。

 

もともと体力がなかったので、私は身体的に省エネで生きることに慣れてきました。

どうやら精神的なエネルギーも、同じように有限であるようです。

マイナスの感情に囚われたり、あと私の場合は、調子に乗って緊張したり、

そういう感情の起伏が大きい状態が、とても疲れるようになりました。

もしかして老けただけ…?

いえいえ、静かな、穏やかな状態の私でいることができるようになったから、

今までエネルギーを浪費していたと、やっとわかったということでしょう。

 

 

自助グループのお仲間が、チラシを配るのを手伝ってくださっていて、

今日は印刷したチラシを我が家まで取りに来ていただきました。

これから何箇所かに配ってきますと言われるので、

私も助手席に乗って、連れて行ってもらいました。

子どもたちは「がんばってね〜」と言ってくれて、

2人で仲良くお留守番をしてくれました。

 

たわい無いおしゃべりや、

お互いのこれまでのこと、興味関心のあるものの話をしたり、

自助グループのことなども。

友達に誘われて、家族に留守を頼んでちょっと出かけてくるって、

いつ以来でしょう?私が高校生だった頃以来かもしれません。

子どもたちが大きくなって、たくさん協力してくれるようになって、本当にありがたいです。

それから、この場所で、また、

心置きなく、ちょっと出かけられる友達ができたんだなあと、

しみじみ嬉しいです。

 

 

2年前は、Sちゃんと自助グループで一緒に学んでいました。

子どもたちが家にいない日中は、その日に連絡して、

すぐに会ってお昼を食べに行けるような関係でした。

でも県外にお引越しをしてしまったので、私たちは離れてしまいました。

今は年に何度か会って、色々な話をします。

 

未来に何が起こるのかわからなくて、私はとても不安になるのです。

この幸せは、長くは続かないかもしれないと思うのです。

よい関係は、きっと保てると信じられるようになりました。

だけど、色々な外側の事情が、私と相手とを一緒に居させてはくれないかもしれない。

心からお互いに理解し合おうとして、お互いにどん底のときに支え合った友達が、

Sちゃんを含めて私には何人かいるのですが、今はみんな遠く離れて住んでいます。

もちろん会いに行くし、会いに来てもらっているけれど、

一緒にちょっと出かけられていたときは戻ってきません。

その代わり、会えたときは、その時間をお互いにとても大切にしようとします。

 

 

知っているんです。

たとえずっと近くに住んでいても、いつかは、本当の別れが来ることを。

不安になったって、それはどうしようもないことを。

でも、それを知っているから、私たちは物語を生きられるのだと思います。

ただ朝が来て夜が来る繰り返しではなくて、

たった一度きりの瞬間を重ねていくということ。

それを思えば、誰かと過ごせる時間を、自分が向き合うべき自分だけの時間を、

無駄になんてしていられないな、と思うのです。