好きなものが増えていく。
私が自分を閉じ込めているだけで、私が飛び出す勇気を持てば世界はもっと拡がる。
ある日駅前でジャズコンサートをしている横を通り過ぎた。
気持ちの良いフレーズを繰り返し続ける。言葉はいらない。
こんな快楽を、私は知っていたことを思い出した。
川谷絵音を好きなのに、今日まで私は彼のichikoroというバンドを知らなかった。
聴いて、一瞬で虜になった。
高校生の時にジャコ・パストリアスを初めて聴いた時のよう。
ああ私はこういうのもとても好きだった。
自由になっていっているんじゃないかな。私は。
娘とか妻とか母とか、色々な役割にふさわしいように制御していたのだろう。
十分すぎるほど、好きに生きているつもりだったけど。
施設の中で厳しい制限の中で生きなければならない人たちと接するようになって、
私の手にしている自由について認識が変わったように思う。
私は自分の望むことを追い求める自由がある。
私には必ず思い通りにならない大きな波がふりかかってくる。他の全ての人と同じように。
でも、その波に乗ることだってできる。
本当は、その意味で、みんな自由なのだ。
自分で自分を縛っているだけ。そのことに気づかずに、誰かや何かのせいにしているだけ。
好きなことをするためには、引き受けなければならないことがある。
いいとこ取りはできない。
プロの音楽家たちや舞台の人たち、芸人の生き様は、私に勇気を与えてくれる。
その好きなことのために他の全てを捨てる人生を選んだ、ということを尊敬する。
すごい音楽は、この一音一音に、音楽家の全てが懸けられているんだって感じる。
私は素人芸が嫌いだ。
素人とプロとの違いは、実は上手い下手ではないと思う。
上手い素人もいる。下手なプロもいる。
何が違うと思うんですか?と聞かれて、うまく説明できなかったのだけど、
マクドナルドとかケンタッキーみたいなのが素人芸で、
そのお店で全て作っている喫茶店とか定食屋がプロの芸なのかな、と答えた。
素人の方は、誰だって美味しいと思えるような味。ひとつひとつの店舗は会社のマニュアルに従って経営される。自分が引き受けるべき責任の範囲はひどく限られている。
それに対してプロは、まずいかもしれないけれど、そこにしかない味、空間、おもてなし。経営し続けられるかどうか、お客さんに喜んでもらえるかどうかは、全て自分の責任。
そんな違いがあると私は思っている。
今日は自助グループだった。
私はきちんとプロでいたいと思えた。
実は夜勤明け、帰宅後1時間で出発というハードスケジュールだった。
体調のせいにしてうまくいかなかったって、今まで私はよく言い訳してきたと思うけど
どんな状態の自分であっても、今の自分にできることをすることに集中できたように思う。
私の技術は未熟だけれど、私はやっぱり
アドレリアンセラピーをすることが好きだ。
集まってくれる方々の語られた一言一言を、血の一滴一滴として受け止めたい。
私の一言一言に人生を懸けてみたい。
美しい物語が生まれる場を、作り続けていきたい。
お話をしてくださった方の物語が、バチンと変わって、
表情が輝くその瞬間が、好きだ。
その気持ち良いフレーズを繰り返していたい。
グループセラピーはすごいなと思った。
それぞれの方の音色が重なって、新たな響きを作る。
今日私たちの奏でた音楽は、何よりも美しかった。
そんな風に毎回毎回、感じている。
虜になっている。