オンライン勉強会でよく職場の話をさせてもらう。
しかし多分に私は自分の不出来さを隠蔽しているのだろう。
できる手立ての全てを注ぎ込んでは、いない。
今はここまでだと諦めることが、今日もあった。
暗い目をしているあの子のことではない。
私があの子にしてあげられることは、
あの子が私に近づいて話をしてくれない限り、ない。
私があの子と2人でゆっくり話せたあの日は、いくつかの偶然が重なっていたんだとあらためて思う。
私に心理士としての仕事が与えられていればとこんなに思ったことはない。
担当や上司を差し置いて、2人で話をすることは、今の状況ではできそうにない。
明日もなるべく彼女の動向を気にしながら、偶然が起こるのを待っていよう。
もうそれは偶然とは呼べないかもしれないけど。
私が今日あきらめたのは、低学年の女の子Sちゃん。
自分でも大概なことを言ったりしたりしているのに、自分が何かされるとすぐに「職員さーん!」と告げ口をしに来る。
子どもの喧嘩は子どもの課題なので、なるべく自分たちで解決してほしい。
でも数回呼ばれたら、何度目かには行ってみる。
案の定、相手役の男の子たちから「なんで職員さん呼ぶんー」とブーイング。
「あのな、お話し合いしたいのに話してくれないの。」としおらしく言う。
「俺何にもしてないで!」
「Sちゃんが悪いんだで!」
「違うし!Rくんがいけないんだよ!」
私はSちゃんに腕を掴まれながら、喧騒の中に佇む。
走り回る男の子たち。
「ちょっとこっち来てよ!」と叫ぶSちゃん。
私は座ってみんなを眺める。
Sちゃんは私の膝の上に座って、Rくんにこっちに来るよう叫ぶ。
「嫌だ!なんでそっち行かないといけないんだ?Sちゃんが聞かないからじゃん!」
「こっち来てって言ってるのよ!」
職員を味方につけて有利に立とうとしているんだね。
ごめんだけど私はこの構造はとても嫌だ。
こっち来て、と私を引っ張るSちゃんに、私帰るね、と言って私は無情にもみんなをほったらかして遊戯室から退室した。
呆気にとられる子どもたち。黙って私を見送る。
しばらくして、Sちゃんの大きな泣き声が聞こえてきた。
しまった。私が泣かせてしまった。
「Sがなんでかわからんけどむっちゃ泣いてるからなんとかして。」
と、Sちゃんのお姉ちゃんが事務室に来た。
行かなきゃだめかと逡巡している間に、お姉さん職員さんが行ってしまった。
お姉さん職員さんが泣きじゃくるSちゃんを抱っこして、事務室横の預かり室へ来た。
背中をトントンしながらあやしている。
Sちゃんはお姉さん職員さんの肩に頬をつけて、この世で一番可哀想なのはこの私よ、という顔をしている。
私にその「可哀想な私」を見せつけていること、私はわかっている。
お姉さん職員さんはSちゃんを抱っこしたまま、外に遊びに逃げた他の子たちを集め始めた。
誰よりも哀れに泣くことで、スペシャルな位置を手にしたんだね。
双方の意見を聞いて、お互いが嫌なことを言っていたから、みんなで謝りあって、一件落着ということで、
またSちゃんも含め、みんなで遊び始めた。
これがここの日常だろう。
一ヶ月ほど前、同じようにSちゃんが「職員さん来てー」と告げ口に来たとき、
私は同じようにSちゃんに腕を掴まれて遊戯室に入った。
あの日と今日は何が違ったか。
私はちゃんと、あきらめまいと頑張っていた。
「なんで職員さん呼ぶん!」
「Sちゃんが悪いんだで!」
「Rくん、こっち来て!話して!」
同じような叫び合いだった。
私はそうだ、Sちゃんの相手役のRくんの横に座ってみたんだった。
「どうしたの?」と聞くと、「話したくない」とRくん。
そうなんだ。と言って私は黙って座っていた。
RくんとSちゃんは延々とどちらが悪いかを叫び合って、
「職員さんがいるのはずるいからいたら絶対言わないから!」Rくんは繰り返し、
Sちゃんの思い通りには動かない私は「ちょっと職員さんあっち行ってて」とSちゃんに言われてお払い箱にされ、
私は笑いながら部屋の隅の高学年の女の子たちのところへ行ったんだった。
RくんとSちゃんは、2人きりで話し合って、納得し合ったらしく、
じゃあ遊ぼ、と私に声をかけてくれたんだった。
あの日はうまくいったように、今も思えるけど、今日はだめだったな。
Sちゃんは私が立ち去ったことで、私がSちゃんの仲間じゃないって感じてしまったと思う。
よくなかったな。
哀れそうなSちゃんの泣き顔も、痛い。
しばらくして、またSちゃんが事務室に来た。
お姉さん職員さんを呼ぶ。でもお姉さんは別のことで忙しい。
「ごめんねー、今行けないんだ」と言うお姉さん。私が立ってSちゃんのところへ行った。
「あ、Mさんが行ってくれるって」
「うん、Mさん来て。」とSちゃん。
「どうしたの?」「あのね、おトイレついてきて。」「いいですよ。」
Sちゃんは当たり前のように私の手を繋いだ。
「ここで待っててね、Mさん」「はいはい。」
トイレの中から、何やかやと話しかけてくる怖がりなSちゃん。
「さ、手洗いに行こうか。」「うん」
手洗い場に行ってから、また私の手を繋ぐSちゃん。
「ありがと!」「もういいの?」「うん!」
可愛いなあって思った。
「またね。」Sちゃんの頭を撫ぜた。
「うん!」にっこりして、Sちゃんは遊戯室に走って入って行った。
健康なところで、良い側面で、繋がっていたいと思う。
でもそれは、不健康なときや良くない側面のときに関わらないっていうことではない。
どんなに不健康だったり良くない側面でいたりしても、その中にあるそのときのその子の健康なところや良い側面で、繋がるということだ。
私があきらめちゃいけないよな、と思った。
私が密かにマクゴナガル先生と呼んでいる上司がいる。
映画ハリーポッターのマクゴナガル先生に容貌が似ているだけでなく、ピリッとしていて緊張感を与えるタイプ。だけどとても情に厚い。
子どもたちに対するとき、バチっとペルソナが切り替わり、生き生きとされる。まるで少女のようになる。
本当にこの子どもたちのことを大好きなんだなと感動を覚える。
今日、どういう経緯か全くわからないんだけど、Sちゃん大泣き事件の後、
6年生のRくんが、「ソーラン節踊るから来て!」と、マクゴナガル先生を呼びに来た。
上司はとてつもなく忙しかったのだけど、「わかった。ちょっと待っててね、行くから!」と言われた。
先輩職員さんが、「Mさん、Kちゃんの担当だよね?Kちゃんも一緒にソーラン節踊るから、Mさんも行ってきんさい。そういうとこで一緒に過ごしたら近くなれるから、ね。」と言われた。
成り行き上、なぜか私はマクゴナガル先生と共にソーラン節を踊る羽目になった…
Sちゃんもいる。Sちゃんと喧嘩してたRくんもいる。中学生のKちゃんと、6年生のRくん、Mちゃん。
YouTubeでソーラン節を流しながら、運動神経抜群でキレッキレの踊りを披露してくれるRくんをお手本に、みんなで3回も踊った。
一回終わるごとに、拍手したりハイタッチしたり、よっしゃもう一回!と、みんな大変なテンションだった。
運動とても苦手なのに、ノリノリで踊っているマクゴナガル先生のこと、素敵だなと思った。
色んなことが起こる。めまぐるしい。
やっぱりここの職場は、面白いなと思えてしまう。
全く私には合わないところだけれど。
楽しいこともたくさんある。
非現実に浸りたくて、仕事帰りに落語を聴きに行った。
小さな小さな寄席を、見つけてしまったのだ。
流行りもしないくだらない噺を演じるということに人生をかける人を、この土地で見つけてしまった。
今日のお客は私ひとり。
夕暮れの見慣れた町が、彼の背後に見える。
知らなかった景色だ。
失敗をしても、何度も繰り返して、芸を磨いていくんだなって、
そうやって生きていくしかないんだなって、思った。
落語なんかで世界が変わるわけがない。
だけど私は落語に、二度も救われた。
「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇だ。」
恐ろしく哀しいことが起こるから、
私はバランスを取ろうとしているのだと思う。