湿っぽい夏夜

お盆になったので、利用者さんが少なくなった。

ルーティンワークが少なくなるので、時間が経つのがゆっくりになる。

緩急が激しいところだ。

秋になれば、小さい子たちの夜間預かり業務が入るので、多分目を回していると思う。

暇ができるのは今のうちだ。

 

先月受講したオンライン研修を、来月に所内で発表しなければならない。

他人の報告をもう一度まとめ直して発表するなんてつまらないことこの上ないけれど

今時間があるのがありがたく、数日かけて原稿とスライドの内容は出来上がった。

あとはスライドの形式をきれいに整えることと、資料等を印刷することかな。

PCが私の意図通りに動いてくれないのは相変わらずなので、フォントが一部だけ変更できなかったり段落がずれたり、何かしらきれいにできず、私は疲弊する。

それでも昔よりは随分マシになったように思う。

 

 

indigo la  Endの曲は切なすぎるので敬遠して聴いていなかったのだけど、

1年ほど前、何かの拍子に「夜風とハヤブサ」を聴いて、カッコ良すぎてびっくりして、この曲だけ聴いていた。

今はindigo la Endのほとんどの曲を聴くようになったけれど、この曲が一番好きかもしれない。

湿っぽい夏の夜そのもの。

 

大したこともしていないのに、大した事件もなかったのに、

今晩はなんだか鬱々として元気がない。

明日の勤務も昼からだから、音楽を聴いて夜更かししよう。

 

 

そうだ、大したことをしていないから、鬱々としているのかもしれない。

ほとんどの価値観が私と反対の職員さんがいる。

その人と2人きりのシフトがよく続く。正直言うと、ちょっとしんどいなと思う。

彼女が良いと思うことは私は良いとは思えない。

彼女が重要だと思うことは私は些末だと思う。

彼女が気にしないで良いと思うことは私は気がかりだ。

でも、彼女が私にどんどん心を開いてくれているのは感じる。

私はなんとか彼女を裁かずに、ああ私と反対の私的感覚を持ってるんだな〜と噛み締めることで留められているのかもしれない。

 

ただ、わかるのは、彼女もいつも善意で働きかけているということ。

子どもたちにとっての良いことがあると、とても嬉しそうに笑っている。

共にそのことを喜び合える。そういう瞬間は、やっぱり、嬉しいなと私も思える。

 

 

私は利用者さんたちに対しても、職員さんたちに対しても、同じように難しいなと思いながら、良い関係を作っていこうと努めている。

私を仲間として接してくれる人々だけど、それは私が職員としてここにいるからであって、

私が窓の向こう側でこの人たちと接していたとしたら、多分違っていたのだろう。

その接し方の違いで一番目に付くのが、嘘をつく、情報を隠す、という点なのだと思う。

そこに私は引っかかっているんだろうと思う。

 

ここは、アドラー心理学が浸透するには最後から二番目ぐらいの場所だろう。

アドラー心理学の技術は隠しておこう。

対等で平等な平面で、協力して生きていくという思想を、私が生きよう。

職務と私が相容れないとお互いにはっきりわかったら、さようならすればいいだけだ。