昨日は智頭町にある石谷家住宅へ行った。
江戸時代から栄えた庄屋で、後に地主、山林経営で成功し、篤志家を輩出した石谷家の豪邸。
宿場町だった智頭町の、美しい町並みにある。
日本建築の美しさ、日本庭園の美しさを味わった。
欄間の彫刻も素晴らしかった。平面に立体を表す技術。
石谷家住宅と周りの山々、諏訪神社など周囲の景観が、客間の欄間に彫られている。
あれは山から見下ろしたところの景観なのだな。
その家の一部屋に居ながらにして、視点ははるか山の上に飛んでいく。
色彩に頼らないでここまで細やかに私の心にものを描ける。
二階のほとんど使われていなかったであろう小さな部屋の欄間には、大山と隠岐の島が彫られている。
雄大な景色だ。
この部屋には、他に装飾はない。
素晴らしすぎるのに、こんなところでひっそりと時を刻んでいる。
廊下を歩きながら座敷越しに眺める庭は、大きな池と手前に垂れている枝とを、柱と鴨居でくっきりと切り取っている。
しかし奥の座敷の床柱を背にして座ると、重なり合う木々の緑と苔むした石と見え隠れする滝、その向こうにそびえる山が迫ってくるのに圧倒され、手前の池がささやかなものに感じられる。
立体を、平面的に表す技術だ。
計算し尽くされた配置により、実際よりもずっと奥行きを感じられる。
しかも立ち上がると、あの緑が迫りくる感じは消えてしまう。
絵画と同じだ。遠近法は視点を定めなければ使えない。
床の間を背にして、あちこち平行移動しながら、きっと床柱が消失点を決める視点だろうと私は推測した。
外れているかもしれないが。
友だちとふたりで、作り込まれた美しい自然を堪能した。
涼しい風が吹き抜ける。
日本人の贅沢は、この静けさと水の音、木の香り。そして細やかな意匠なのだろう。
私もこの空間に融けていくようだ。
時間は確かに流れているが、まるではるか昔から止まっているようだ。
「私」は私ではないのかもしれないと思えた。
極楽浄土に近いような気がした。
何度も部屋を行きつ戻りつ楽しんだ後、倉の中が貸しギャラリーになっていると聞いて、のぞいてみた。
煤竹という希少な材料で昆虫を作っている変わったおじさんの作品を見た。
色々おしゃべりしていたが、帰り際、ラジオを聞いていたおじさんが安倍元首相が搬送されたというニュースを教えてくれた。
まさか現実にそんなことは起こるまいと思っていたので信じ難かった。変わったおじさんの言うことだし…
しかしラジオから繰り返しそのニュースが流れている。
私たちがあの清浄で豊かな庭と一体になっていたその同じ時間に、事件は起こっていた。
そのことが一番信じ難い。
日本家屋の連なる落ち着いた宿場町の町並みが、色褪せて見えた。
歴史は動いていく。どうなっていくんだろうか。
その中でとるに足らない私は、どうやって生きていこうか。
私を気遣ってか、ショックは大丈夫ですか?と尋ねてくれただけで、
友だちはあまりその話題に触れないで、いい時間を過ごせたことや職場での子どもたちの成長についての話題へ水を向けてくれていた。
どうせ人のいるところへ行けば、けたたましい情報が飛び交うのだろう。
今は、この国の豊かさを愛しく思い、この国の未来を担う子どもたちが立派に育っていくように願い、
ありふれた日常を粛々と過ごすことしか私にできることはないだろう。
レポートと感情論と犯人の詳細ばかりのニュースからは、離れていたい。
故中川昭一さんのことも思い出される。
肝心なことを今の日本のマスメディアはほぼ何も発信できない。
日本人として、もっと学び、賢くならなければ。
何が大切なことなのか、見失わないように。
ご冥福をお祈りします。