卓球と小数

ここ数日、雨が続いている。

外でサッカーやかけっこをしなくていいので、体力は温存できている。やはり私はインドア派である。

だがここの遊びの部屋には、雨の日でも身体を動かせるようにと、卓球台がある。

広い部屋なので走り回れるし、手打ち野球もできる。

壁はボルタリングができるようにもなっている。

同じ部屋に1歳から14歳まで、8人ぐらいが色んな遊びをしていて、夕方は特に賑やかだ。

他のスタッフが忙しくてあまり遊べないので、常駐できる私がいると子どもたちが喜んで集まってきてくれる。

色々な遊びに誘ってくれる。すごく嬉しいなと思う。

 

 

小学生の卓球の上手な男の子2人が、卓球を教えてくれた。

自慢ではないが、私は本当にスポーツ全般、大変苦手なのである。

卓球のラケットの持ち方から、サーブの打ち方から、ルールから、優しく教えてくれた。

私はスポーツが苦手で良かったなって思う。

子どもたちにいろんなことを教えてもらえるから。

こうやるんだよって教えて見せてくれるときの誇らしそうな顔が大好きだ。

 

今日途中で一緒に卓球をしてくれた別のスタッフは、とても上手で、そういうスタッフは遊びながら子どもたちの技術をより一層高めている。

子どもたちは上手なスタッフに勝とうと熱が入る。その真剣な顔も大好きだ。

 

上手でも下手でもよくって、スポーツというのはみんなで楽しむことができるんだって、私は生まれて初めて思えた。

落ち着きがないと言われているこの子たちは、運動がとても得意だ。

練習熱心だし、面白い遊び方を見つけるのも得意。

何より、とっても元気。

一緒に遊ぶ仲間になれて良かったと思う。

 

それで、今まで私は意図的に勉強については子どもたちと一切話したことはなかったのだけれど、

今日は勉強についても仲間になれるといいなと思って、もう一歩、踏み込んでみることにした。

今日は夕方遅い時間から私が学習室の担当に当たっていたので、遊びの部屋の時間が終わる頃、「この後は、みなさま学習室へお越しくださいませ〜」と言ってみると、

行くよ行くよ〜、と卓球の先生が返事してくれた。

学年が上がって、勉強に苦手意識がある様子なのだけど、勉強しようという気になってくれたということがとても嬉しかった。

 

 

学習室で、私が来るのを待ちかねていてくれた。

「たくさん持ってきちゃった!」と国語と算数のたくさんのドリルを並べながら、算数のドリルに線対称の図形を書いたのを見せてくれた。

 「難しかったけどできたんだ。」

「ほんとだ、難しい図形なのに上手に書けてるね。」

 「うん!」

「今日は何をしたい?」

 「うーん…これやろっかなあ。んー…」

パラパラ眺めながら、どれも難しそうに見えるのか、ドリルを脇によけた。

 「これやろっと!」

雑学クイズの本を開いて、ノートに答えを書こうとし始めた。

それは勉強ではないなあと思いながら、気にしないことにした。

「ドリル見てもいい?」

 「いいよ。」

丸つけをしないまま、途中で問題を解くのをやめてしまっているページがところどころある。でも、ほとんど間違っていない。

「なんかね、けっこう合ってると思うよ。図形、得意なんじゃない?」

 「ううん。図形苦手。」

「あれ、そうなんだ。どれも合ってそうなんだけど…。じゃあ、どんなのが得意?」

 「…!色鉛筆取ってくる!」

「???」

彼は突然学習室を飛び出した。

そして、色鉛筆と地図帳を抱えて走って戻ってきた。

 「ぼくね、国旗描くのが得意!」

 

目がキラキラしていた。

算数の苦手意識を払拭したいだとか、計算か漢字に取り組んで欲しいだとかいう私の願望は、まったくもってどうでもいいものに思えた。

自分の得意なものを見つけて、私に教えてくれた。そのことが、何よりも、彼にとって大切なことに思えた。

「そうなんだ!」

 「うん!」

やりかけては消して、切り取った跡のたくさんあるノートに、丁寧に長方形を書き、国旗を描き始めた。

 「これ、どこの国かわかる?」

「えー、わかんない。」

 「へへへ、この地図帳で調べてみんさい。」

「どれだこれは?…あ、アイスランド?」

 「そう!じゃあ、アイスランドはどこにあるでしょう?」

「えー、どこだろ?」

 「ヒント!ヨーロッパの近くです!」

地理も大変苦手な私は、地理が苦手で良かったな、と思った。

できることをできないフリをしたって、子どもたちの目を欺くことはできない。

私は本当にたくさんのことがわからないし、本当に苦手なのだ。素晴らしい!

そしてやっとのことで私はアイスランドを見つけた。

彼はにこにこしながらアイスランドの国旗を塗っていた。

 

「ねえねえ、算数のドリル、丸つけしてみてもいい?合っているところたくさんあると思うから、どれだけできてるのか見てみない?」

 「うん、じゃあ丸つけしてください。」

丸つけをすると、基本的な問題はほぼ正解していた。特に計算問題はほぼ間違っていない。

「見て!こんなに合っているよ。」

 「あれ?ほんとだ。」

「Rくんは運動するときに、判断するのもすごく早くて上手だし、賢いと思うよ。」

 「そうかなあ」

「うん。賢いと思うよ。あのさ、間違っているところ見直ししましょうってよく言われない?」

 「言われるー」

「でもそれって、嫌じゃない?」

 「うん、嫌だ 笑」

「だよねー。運動みたいにさ、間違えたこと気にせずにどんどん練習していったら、Rくんはどんどん上手になると思うんだけど、国旗が出来上がったら、ちょっと計算もやってみない?」

 「やってみる。」

「よーし、じゃあ、どのページする?続きからしよっか?小数の掛け算。」

 「いいよー。」

「筆算か、体積か、どっちがいい?」

 「じゃあ筆算!」

「オッケー!」

 

その後、とても集中して、3桁かける2桁の小数点のある掛け算の筆算に取り組んだ。

字はとても読みにくい。数字も重なって書いていたりするから私には判読が難しい。

でも、彼はちゃんと正確に読み取っている。

自分でわかるんだったら、何の問題もないと思う。

答えだけは、丁寧に書いているのでちゃんと私も読み取れる。

そして計算スピードは、私より断然早い。(ちなみに私は計算も苦手だ!)

 「あれ?まだ5分しかたってないの?」

「やったー!全部合ってるよ!」

 「えー?ほんとだ!…まだ時間あるし、もう1枚やろっかな。」

「うん、どれやる?」

 「じゃあ体積する!」

「いいねー」

 

体積の問題も、桁数の多い小数の計算だったけれど全て正解し、単位も間違えなかった。

「完璧です!すごい!」

 「やったー!明日からも、一緒に勉強しよ!」

キラキラした目で、言ってくれた。

すごく嬉しかった。

この子は、大丈夫。勇気を持って生きていける。

本当に些細なことだけど、私にできるのは些細なことしかないけれど、

でも、彼の物語は、多分、今日大きく変わったと思う。

 

 

多くの大人たちは、不足を伝える。良かれと思って。子どもの成長を願って。

でも、子どもにとって、自分の不足をわざわざ指摘されることは辛いことだ。

いや、大人にとっても、不足を指摘されることは辛いことだ。

特に、自分で苦手だな、とか、良くないなと思っていることを指摘されることに、おそらく建設的な意味はないと思う。

特に、勇気をくじかれている子どもにとって、それは余計に勇気を失わせることにつながると思う。

パセージで不適切な行動に注目しないというのは、陰性感情の制御という意味合いもあるけれど、マイナスの側面には使い道がないからなのだと思う。

適切なところに正の注目をする、というのがパセージの基本的な技法だ。

どんな些細なところにも、どんな不適切な行動の中にも、必ず適切なところがある、と信じて探す。

これもひとつのお稽古だ。

私はパセージリーダーになって、かそけき適切なところも見つけ出すことができるようになってきた。

そのことが、今、子どもたちと関わる上で本当に助けになっている。 

 

また、私は決して子どもを褒めてはいない。

だから私は子どもと対等な関係でいられていると思う。

私はあるときは子どもたちに教えを乞う、苦手なことばかりの不器用な大人であり、

私はあるときは、子どもたちから教えを乞われる、経験豊富な大人である。

私たちは協力し合って生きている。

 

資料には、これでもかというぐらい、子どもたちの大変な境遇や不適切な行動や不安な状況について書いてある。

でも、目の前にいる子どもたちは、今、私と関係を作っていける。私と関わってくれる。

私が仲間になることができれば、彼らの世界が少しでも広がり、彼らの物語が良い物語に変わっていくんじゃないかなと思う。

私に世界を変えることはできないけれど、私たちは、物語を変えることはきっとできる。