またしばらくブログをサボっていた。
忙しかったからではないし体調が悪かったわけでもない。
色々なことから逃避して数日怠けていた。
頼まれ原稿を仕上げるまでに数日かかったのはある。
依頼されたのが15日、提出したのは19日の深夜だった。
書かなければ書かなければと思い続けながら、本読んだり映画観に行ったり、YouTube見たり、
そしてとうとう資格試験の勉強も17日からは怠け始めて、
19日の深夜にやっと書き始めた。
書き始めてから、2時間半で提出した。OKももらえてよかった。
2時間半で仕上げられるのなら早い段階でさっさと始めろと毎回思うのだけど、
ドストエフスキーと同じで、追い込まれないと私は書けないようだ。
だから、書いていた時間は2時間半だけれども、この原稿が出来上がるまでには、私は4日間を費やしているのだと思う。
頼まれ原稿を書くのが苦しくはなくなった。
いつからだろう。2、3年前ぐらいからかな。
それまでも、書き始めるまで大変時間がかかったのは同じなので、これは私の冗長性なのだろう。
ただ、以前は、書き始めるまでに書かなければ書かなければと思っている時間を、落ち着きなく焦って過ごしていた。
どうしよう早く取りかからないと、とか、いいものが書けるのだろうかとか、私はまたこんなことを引き受けてしまってどうしようとか、不安が渦巻いていた。
それが段々と不安のレベルが下がってきて、今回に至っては、私はほんと怠け者だなあと私を眺められるほどになっていた。
そろそろ書かないとやばいぞ、と自分を追い込んでからでないと書かないんだよね、ギリギリまで逃避したいんだよね、緊張しているから、と、メタメタで私が笑っていた。
それから、そうやって書きたいんなら、それなりのクオリティのものを書かなければならないぞ、と睨まれた。
仕事は「巧遅は拙速にしかず」を掲げるようにしている。
許される限り、私は自分の満足のいくまで手を入れ続けたいけれど、それはたいていの場合許されないので、
タイムリミットを早めて、仕事に関わる方たちが仕事をしやすいようにすべきだと思うようになった。
もしも拙速を選ばないのであれば、巧遅でなければならない。そのように思っている。
気分のムラが大いにある。
感情の起伏が激しい。
乗り気にならない時は全力で怠ける人だ。
そういう大人気ない自分を認めてしまったら、それを制御できるよう工夫するようになった。
その制御の工夫というのは、今日のベイトソンゼミの話題にのぼった「回路」の話にも通じるだろう。
例えばペルソナは、そのペルソナ特有の回路があって、何かのきっかけでスイッチをonにすると、それまでは電気の通っていなかったその回路が回り出すのだろう。
私は今のところ、頼まれ原稿の仕事をするとなると、ある程度の回数怠ける回路を回ってから、過集中生産モードの回路を回す、というシステムになっているようだ。
このシステムは、緊張度が高く、過集中で生活を疎かにして体調を崩しやすい私にとっては、緊張と緩和のバランスを考慮してあり、生きていく上で理にかなったものだと思う。
大体、怠けていると言ったって、私は怖がりなので本当に堕落することはできない人間で、
19日には自宅で自助グループの定例会をしたし、19日から21日までお母さん業を務めたし、ほとんど毎晩オンライン勉強会をしていたし、
原稿に着手しないということと資格試験の勉強に手をつけないということ、遊びの時間が増えているという程度のものだ。
これを怠けているとはとらえない人もおそらくいるだろう。
私は多分、理想が高い。
その高い高い理想から、自分を割り引いて見てしまう。だからとても劣等感が強い。
…ああそうだ、元夫とそういうところは似ている。それで私はしんどいことが多かったのだろう。
このブログも、言葉を磨くために毎日書こうという目標を掲げている。
でも実際は、毎日書き続けることはとても難しい。
私の場合、時間的な余裕とか体調の問題ではなくて、ネタの問題でもなくて、気分が乗るか乗らないか、という問題である。
そんなの、やればできるんだからただのわがままだ、と思って生きてきたけど、
私にとっては、わがままなんだろうけど、気分が乗るかどうかというのはとても大事なことなんだろうとわかった。
だから、私の仕事モードの回路を回すためには、気分が乗るための工夫が必要不可欠となる。
その工夫のひとつは、仲間と一緒に何かをするということ。
自助グループやオンライン勉強会や、もちろん優子先生の講座も、仲間たちとの学び合いの場である。
そこに参加できるということは、それだけで私の気分が乗ることなのだ。とても嬉しくて楽しいことだから。
だから、怠け者の回路を回さなくても、私は勉強を続けていくことができている。本当に仲間の存在がありがたい。
今の資格試験の勉強がしんどいのは、一緒に学ぶ仲間がいないからなんだとわかった。
ひとりで頑張るのはとても苦手だ。
だから、怠け者の回路を回して、これだけ怠けた(悪いことをした)のだからそろそろ仕事をしなければならない、という思考に追い込んでから、過集中生産モードに入るスイッチをonにするのだろう。
力技だ。
他にも、ここまで到達したら楽しいことをしよう、というご褒美制も取り入れたりしている。
あるいは、お菓子を食べながらとか音楽を聴きながらとか、ご褒美を注入しながらという工夫をすることもあるが、やり過ぎてもうあまり効かない 笑
こうやって振り返って分析するときは、とりあえずのすべきことに着手した後だ。
というわけで、今日は資格試験の勉強を再開したのでこんなことを書いたのであった。
相変わらず、サボっている最中にサボっていますとは書けない見栄っ張りな私だ。
しかしその見栄っ張りのおかげで、私は堕落しないのだろうと思う。