今日はアドラーの著作のオンライン抄読会だった。
相変わらず日中は雑用。
金曜日の夜は珍しく、外出した。
大変良いお店を教えてもらった。
今後ひとりでも通いそうだ。
小さなお店なので、親しくしてくださるみなさんと、ふたりきりずつで行きましょう。
場所が変わると、話題も少し変わるような気がする。
そうやって時々、意識していなかった自分を見つけることがある。
私は趣味らしい趣味がないが、自分を知ることが最も楽しいようだ。
なのでひとり暮らしも、けっこう楽しんでいる。
ひとりきりは辛いけれど、私はいつだってひとりではないことを実感しているので、
この瞬間物理的にひとりで居るということに、寂しさは感じない。
もちろん、週末に子どもたちが来てくれるから、ということもとても大きい。
この土日も子どもたちとのんびり過ごした。
本を読んだり勉強をしたり、料理したり、そういう生産的な活動だけでなく
横になって身体を休めたり、掃除したりお風呂に入ったり瞑想したり、
そういうメンテナンスも楽しめるようになった。
心地よく過ごすということにあまり価値を見出さずにきたけれど、
緊張度が高かったんだと思う。
だけど、気を抜いたり力を抜いたり、くつろいで休息することによって、次の活動でより高く跳躍できるはずだ。
自分のことを怠惰だと思い込んでいたけれど、怠惰になることが不安だったんだろう。
メンテナンスをしていれば、自分の身体に意識を向けていれば、小さな変化に気づけるから
急に気分が落ち込んで調子が悪くなって布団から出られない、ということもないと思う。
気分が落ち込みかけたときに、ペースを落としたり、休んだりし始めればいいのだ。
そういえばひとり暮らしを始めてから、頭痛薬を飲むことがなくなった。
調子が悪くなりかけたら漢方を飲んで、本当に調子が悪くなれば病院に行くので、
対処療法的に痛み止めを飲むことがなくなったのだ。
これは今私が健康だからであって、いつまでもこういうわけにはいかないと思うけれど、
メンテナンスの概念がやっと私に備わってきたようだ。
私の身体を世の中のお役に立たせるのだから、私を管理することは私の責任なのだと思う。
今まで私は私の身体を何だと思っていたんだろうか。やっぱり甘えていたんだな。
誰かが管理すべきものだと思っていたんだろう。
物の操作と同様、自分の身体の操作も大変苦手だと思い込んでいた。
おかげで大変頭でっかちだった。
私は自分の身体も、ようやく自分の手に入れたようだ。
随分と生きやすくなったように思う。