自己執着

昨日はオンライン事例検討会。

今日はオンライン野田俊作ライブラリ勉強会。

明日はプチパセージ。久々に対面でアドラー心理学について学ぶことができるのが嬉しい。

 

臨床の技術としてのカウンセリング、アドラー心理学の理論の勉強、アドラー心理学の育児としてのパセージ、異なったアプローチではあるけれど

そのどれもに、一貫してアドラーの思想が流れていると、今日の勉強会で強く思った。

 

 

同じ行動をしていても、その目的や動機が異なれば、意味が全く異なる。

人のために自分のことを後回しにして、自分が不利益を被り、相手の利益のために動くとき、

自己犠牲という美徳に酔っていないか。

かえってその不利益を被ること自体が、称賛を得たり感謝されたり、いい人願望メシア願望を満たすことになっていないか。

もしそうだとすれば、それは人のお役に立つような立派な行動をしているけれど、

共同体感覚に向かう行動ではなく、自己執着の行動であるといえるだろう。

 

子どものためにという言葉で、

子どもに自分の理想を押し付けたり、愛しているんだから言うこと聞きなさいと言ったり、

あるいは子どもをしつけなければならない場面で子どもの不評を買うようなことをやめたり、

それらも暴力であったり責任の放棄であったりするわけで、

共同体感覚には向かっていない。

 

 

私自身も自己執着にまみれ、暴力的な衝動を抱えている。

まずは自覚するところから始まる。

そして、できるところまで手放していきたい。

 

難しいな。

誰も私を称賛してくれなくとも、私は私の良いと思うことを為していけるだろうか。

いや、やはり仲間の存在がなければ無理な気がする。

本当に、みなさんにどれだけ助けて支えてもらっていることだろう。

これを読んでくださるあなたにも。

いつもありがとうございます。