今日は野田先生の論文のオンライン勉強会だった。
「アドラー心理学と人権思想」を読み終えた。
これまでに読んできた野田先生の論文のおかげで、少しずつ理解できるようになってきた。
野田先生は、(まともな学者は皆そうだと思うけれど)、論文は30年後の学習者、学者たちに向けて書いていると仰った。
ということは、2013年に書かれたこの論文は、まだまだ私たちのパースペクティブより遠くを見越して書かれているということだ。
勉強のしがいがある。
私たちは野田先生の初期の論文、1984年から1991年までの論文の想定読者であるということだ。
しかし、私は野田先生の初期の論文についても、まだまだ全くもって理解が追いついていない。
ということは、私はまだ先生の想定していた読者のレベルに達していないということだ。
勉強のしがいがある。
私には今生でなすべき役目がたくさんあることがわかる。
私は虚無主義に足を踏み外しやすいのだけれど、「かのように」で踏みとどまり、
美しい物語を生きているかのように生きていこうと思う。
世界全体の調和の中で、私という部分が奏でているパートがある。
私は他のパートと相互に関係しながら、世界の中で共鳴する。
この美しい世界には、もちろん、今ここに生きていない人たちも存在している。
目に見える実在だけを在るものとして信じるのも、確かなものは何もないと信じるのも、
どちらもつまらないことだ。
もっとクリエイティブに生きられるはずだ。幸せも、自分で創り出せるはずだ。