補償

今日はカウンセリングだった。

一応の終結

だが、ちゃんとお役に立てたのかどうかはあまり自信がない。

これからも様々なかたちで、可能な限りご一緒に学んでいくことができればいいなと思う。

 

 

私は「役立たず」が、大きな私的感覚のマイナス側にあるようだ。

自分が役立たずであることは堪える。

今、多くの事柄で、場面で、私は役立たずな状態である。

今までであれば、かなり落ち込む状況であったと思う。

でも今は落ち込むことに焦点を当てず、いずれ私がお役に立てるようにと、勉強と生活を整える方向に力を注いでいる。

劣等感に向き合って、正面から補償しようとしている。

 

私的感覚のプラス側について考えてみると、

私にとっては、何事も、「役に立つ」ことが大切である。

役に立たない知識は知りたくないし、(なぜなら脳味噌の容量は少ないと思っているから)

自分の役に立たない資格なども不要だと思う。(なぜなら、使えない資格など取るだけエネルギーの無駄だと思うから。)

そういう意味で、私はオタクにはなりきれないのだ。

役に立つものしか好まない。

極力自分のエネルギーを無駄使いしたくない、めんどくさがり屋でもある。

 

 

オタクになりきれないということは、学問をする上で不利なことだと思っている。

ただし、役に立つことが大切だということは、臨床家として強みだと思う。

だけど私は不器用で、拙いのだ…

場数を踏んで、精進するしかない。