キリギリス

今日はオンライン事例検討会だった。

 

 

この家の準備を始めてからの家計簿を、ようやく今日までのところをつけてみた。

 

7月の頭に一度家計簿をつけてみたのだが、おそろしくめんどくさいと思った。

自己流でノートに書いてみたのだが、あえなく挫折したのだった。

レシートがどんどん出てきて、順番に書いていくのが不可能になったりしたからだ。

数年前、何年かに渡って市販の家計簿をつけていたことがあったが、これも途中で挫折。

 

荷物の整理をしている時に、日付と支払項目と金額の欄だけが書いてある、かなりフリースタイルな家計簿を見つけた。

買うだけ買っただけでまっさらだった。

これなら書けるかな?と思って、今日重い腰を上げてようやく試してみたら、自己流でノートに書くよりはずっと楽だった。

ただし、今日書けたのはは支出の部だけ。疲れ果てたので収入の部はまた今度。

私はどこまで自分の収入に興味がないのか…。

いやいや、お金の管理は大事である。

これまで人任せにしてきたが、なんとか続けていこうと思う。

これも自立への一歩だ。(続けられるように、ここに宣言してしまう!)

 

 

重い負荷をかけた後、それよりは負荷の軽いものに取り組むと、とても楽に感じるものだ。

事例検討会で色々な道筋や技法を仲間たちとシェアリングし、話し合うことで

実際の現場ではそこまでできなくても、できそうなことを取り入れてみたり、

取り入れられないまでも、他の可能性を考えやすくなったりする。

訓練というのは、そういう大枠があって、その中での一つ一つの細目についての練習がある、という構造なのだろうと思う。

 

 

地を這うアリのような、真面目で手抜きをしない勤勉さを尊く思う。

私にはそういう勤勉さが希薄である。

私はキリギリスのように、夏が終わることを予感させる歌を、秋がやってくるもの悲しさを、夏のさなかに歌うような、メタに立った道楽者だと思う。

その見通しがあるのなら冬支度をしろよと思うのだが、私は消えてしまうまで、この夏の残りの空気を味わっていたい。

 

現場で勤勉に働かないと物事は動かないのに、私はただ歌っているのだ。

やがて嵐が来るとか雪が降るとか、晴れ渡った空の下で歌うのだ。

現場にいないからこそ、そんなことができるのだろう。

それは怠惰でアウトサイダーな生き方だと思う。

しかも、人々を不安にさせるような役目だったりすると思う。

でも、そういう人がいてもいいと思う。

そういう人がいることの良さもあると思う。

 

おそらく多くの人からは不謹慎だと、無責任だと、後ろ指差されるのだろう。

仕方ないと思う。その批判は甘んじて受け入れる。

私はアリにはなれない。