物置に仕舞い込んでいた古い物たちの段ボールがなかなか片付かない。
それから売る本も多すぎて、読み耽ってしまったりもするし、
少しでもよく売れる状態にするために時間がかかる。
なぜなら私はほとんどの本を古本屋で購入したからだ。
そのため、値札シールをきれいに剥がさなければならない。
古本で買った本をまた古本屋に売って、何とかして小銭を儲けようというセコい考え、
いや、リユースである。
先日は古着の話をしたが、
私は本は基本的に古本を買う。
中古家具も好きだ。
中古物件だって、(乗らないけど)中古車だって、何も問題がない。
新品でないと嫌なものは、衛生用品と布団ぐらいだろうか…
私はエッセーが好きで、サブカル系の著者のエッセー本をたくさんたくさん買い込んでいた。
もう学ぶものは大してないので、大半を売ることに決めているが、
それでも様々な著者の、子どもの頃について書かれているエッセー本だけは手元に置いておこうと思っている。
早期回想が書かれているからだ。
こういう早期回想を持っている人は、将来こんな大人になってこんな文章を書いている、ということをじっくり観察できるからだ。
これは大変面白く、学びになる。
わかぎゑふの『花咲くばか娘』はぶっ飛びすぎていて凄かった。
家族布置について練成講座で学んだので、わかぎゑふの家族布置に関連するところを大変興味深く読んだ。
こうやって自分の考えをブログに書くのは、いわばエッセーを書いているようなものだ。
商品としての価値のある、プロのエッセーとは全く違うけれど。
やはりプロの文章は面白い。構成も素晴らしい。
そうだ、あきらめたけれど、私は小学4年生ぐらいからけっこう長い間、文筆家になりたかったのだった。
半分は夢が叶ったと言ってもいいかな。
私の文章を読んでくれる読者がいてくださるということ。しかも、固定客。
それが文筆家になりたい私の理想だった。
練成講座で子どもの頃になりたかった職業という特殊診断質問について学んだ。
そのとき私が答えたのは別の職業だったのだけれど、それは小学3年生の時のなりたい職業だった。
その後、大幅に路線を変更したのだった。
…私はこういう「大幅な路線変更」の多い、分岐点の多い人生を歩んできたなあと思う。
私をよく知っている人たちを、ひどくびっくりさせてきた。
文系が得意なくせに理系を選択したり、
家から離れたくなかったのに急に遠い田舎の大学に進学したり、
進学も就職もしないで結婚したり、
農学を専門にしようとしていたのに、臨床心理の専門家を目指し始めたり、
この度の離婚もそうだ。
きっとライフスタイルに何らかの形で関係しているのだろう。
自己分析などあてにはならないが、
ただ一つだけ、私は人を驚かせようとして行動はしていない。
私が迷った末に最終的に出す結論が、いつも、多くの人の予測に当てはまらないというだけだろう。