教育して

今日はパセージプラスと、野田先生の論文のオンライン勉強会だった。


パセージプラスでは今回も私のエピソードをじっくり聴いていただけた。
たいへん贅沢な体験だ。
みなさんに私のエピソードを聴いていただけて、考えていただけて、意見をいただけて、本当にありがたい。
しかも優子先生にエピソード分析をしていただけるのだ!


私は自分がエピソード分析をする立場ばかりで、
このパセージプラスが始まる前に自分のエピソードを扱ってもらったのは、昨年7月の練成講座だった。
なんと1年近く前になる。
カウンセラー養成同期の仲間にエピソード分析を使ったカウンセリングをしてもらったのだった。
いけませんね。
まったく見えるものが違う。
クライアントさんの立場になってみて、はじめてわかることがたくさんあると気づいた。

エピソード分析をする側の、ひとつひとつの問いかけが、
言葉づかいも極めて洗練されていて、
どこまでもあたたかく、勇気づけに満ちたものでなければ、
こうするするとエピソードが紡がれて、仮想的目標や私的感覚を導き出せはしない。
私がカウンセリングをするときに、クライアントさんに苦労をさせて頭を沸騰させてしまっていたのは、
やはり私が拙かったからなんだなあと思う。
あまり落ち込んではいないけれど、申し訳なかったと思う。

自分が事例提供者になっていると、リーダーの動きが見えないので、
まだあまりメタに立ってリーダーの動きをじっくりと観察できてはいないのだけど、
次回こそ見取り稽古をしっかりしたいと思う。


これから、この地でパセージプラスも定期開催できるように努めたいが、
今のところ、自分がプラスのリーダーをできる気が全然しない。
これは勇気がくじけているのとは違って、どちらかというとsurrenderに近い。
私は本当にエピソード分析の技術も、リーダーとしての動きも拙いなあと思う。
当たり前だ。比較対象が指導者の先生なんだから。
そしてだいたいが私は傲慢な調子乗りで失敗するタイプなので、自分はうまくできないなあと思っている方が良いのだ。
私は拙いし未熟だが、だが、熱意はある。
それに、メンバーさんたちを仲間だと思っている。
そのことだけは優子先生と同じだと思える。
今の私には、そのことを核にして、お稽古を積むほかに道はないと思う。

優子さんのパセージプラスを受けたかったけれどもご都合により受けられなかったみなさまには、
今後私のパセージプラスを受けていただきたいと思うけれども、
もう今から、拙くてごめんね!ってお伝えしておく。
でも、どうかあきらめて私とご一緒に成長してくださったらありがたい。
場数を踏まなければ、良い腕のリーダーにはなれないから。
でも、私には熱意と、良いモデルの理想だけはある。
どうかみなさま、私を育ててください。