スポーツ

今日は野田俊作ライブラリのオンライン勉強会。



午前中はずっと寝ていた。
自分がリーダーをしていたわけではないのに、昨日のパセージプラスで疲れたようだ。
とても楽しいけれど、ものすごく頭を使った。
自分の事例を出して暴いていくのはエネルギーを使うと実感した。
いつもパセージやプチパセージや自助グループの後、メンバーさんがお腹すいたとか疲れたとかおっしゃるのは、きっとこういう感じなんだろう。
学ぶことには気力も体力も要る。
だけど私は、何よりも楽しいことだと思っている。
私の作る場が、優子先生の作られる場のように、あたたかく勇気づけに満ちた場になるようにと願っている。
そういう場を作っていられるのなら、もうメンバーさんが疲れたとか頭が沸騰したとかおっしゃることに対して、
落ち込んだり気にしたりすることはやめて、たくさん学んでくださったのだなあと喜ぼうと思う。
きっと、スポーツのようなものだ。



野田先生が一時期ナラティブについて説明しておられた。
私と誰かとの間には、いくつものエピソードがあって、それらのエピソードが連なってストーリーを作っている。
でも、私とその誰かとの間には、いくつかのストーリーがある場合もあると思った。
例えば私と母との間には、プライベートな母娘のストーリーもあり、アドレリアンの姉弟子と妹弟子のストーリーもあり、オンライン勉強会の仲間というストーリーもある。
それぞれのストーリーで使われる私のペルソナは、微妙に異なっている気がする。

同時並行的に、私はひとりの相手に対しても、私を作っているようだ。
目の前に一枚の織物が見えた。
このどこか一部分だけを取り出して「私」とすることなど不可能だと思えた。
しかも私は刻一刻と変化している。
私も母も仲間たちも、成長しようとしていて学ぼうとしているのだから、我々の変化はとても大きい。
だから、「これが私」だなんて言えない。
ライフスタイルは一貫性を求めるが、おそらく私は、ライフスタイルの意識しない部分も多く持っているのだろうと思う。
そういう全体で私なのだ。

こういう思考の方法も、慣れてくると使えるようになってくる。
すべては「かのように」で、お稽古。
これもまたスポーツのようなものだ。