手放す

今日は野田先生の論文のオンライン勉強会でした。

 

相変わらずレポートには着手していません。だんだん焦ってきました。

レポートや試験前の逃避あるあるで、今日は家の片付けをしていました。

子どもたちの工作材料や廃材工作などで埋め尽くされた和室と、和室の物入れを一掃しました。

最近、自分たちが散らかしたものは自分たちで片付けなければならないということを学んでくれた子どもたちは、

今までは抵抗していたのですが、和室に山をなしていた様々なものを処分することに、今日はあっさりと同意してくれました。

みんなで片付けて、きれいになってきました。

これでやっと人に来てもらえるようになりそうです。

 

 

必要なものだと思って物を買っているはずなのに

どうして要らなくなっていくんでしょう。

遊びで作ってみた物が、どうして捨てられない物になっていくんでしょう。

管理できる範囲を超えた物は、ほこりをかぶっていきます。

 

私は物を管理するのが苦手です。

そのことをきちんと受け入れようと思います。

私の手に負えるのは、わずかな物だけです。

だから、手元に留めておく物は、少しだけがいいのだろうと思います。

 

娯楽も浪費も、ある範囲の中で行えばいいと思います。

でもそれに没頭し過ぎると、生活の中心がずれていってしまうと思います。

瞑想は、そういう物質的享楽から私を人間に戻してくれます。

メタの次元から、私を見ることができるんだと思います。

 

生活の中心は、どんな人間関係を築くかということだと思います。

たとえ短くても、魂に触れるような関係性を結べたら、

それは幸せな人生だと思います。

何かに執着することをやめれば、きっと私は人々にとって有用な人間になれると思います。

 

けれども、最後まで私は知識欲は手放せないでしょう。

だから、せめてそれ以外をそぎ落としていこうとしています。

見栄を張るのも、意地を張るのも、もうやめよう。

色々な物を手放して、明け渡していくのはとても勇気のいることです。

でも多分、私は大した物を持ってはいないし、執着しているものだって、大したものではないだろうと思うのです。

執着を手放した時にはじめて、その執着している対象と、よい関係が築けるようになるのだと思います。