24日土曜日はプチパセージ、
25日日曜日はパセージ最終章だった。
今日はアドラーの著作のオンライン抄読会だった。
なかなかに疲れている。
プチパセージでは「おおい療法」にがっつり取り組んでみた。
少し芸の幅が広がった(?)ような気がする。
以下は私の個人的見解である。
「おおい療法」の方が「あばき療法」よりも、治療者側が道筋をはっきりと見定め、クライアントさんを上手に導いていく必要があると感じた。
「あばき療法」では、クライアントさんと一緒に物語を見ながら、メタの位置でなんでも相談することができる。
しかし「おおい療法」では、クライアントさんの大きな劣等感などに焦点を当てることなく進めていかなければならないので、
言うなれば、カーテンで部分部分を覆いながら、覆ってないところについて相談をしていくことになる。
覆っているんだけれど、何も覆っていないかのように、常に治療者側は明るい側面だけに注目して、クライアントさんを勇気づけていく。
私のように拙いカウンセラーの場合は、一対一のカウンセリングで「おおい療法」をするのは、極めて難しいように思った。
プチパセージでは、事例提供者さん以外のメンバーさんたちが、たいへん積極的に事例提供者さんの良いところと子どもさんの良いところを見つけて、
適切な側面に正の注目をたくさんたくさんし続けてくださって、
そしてみんなで話し合うことで場があたたかく、楽しいものになっていたから、
メンバーさんたちのお力のおかげで、なんとかうまく進んでいけたのだろうと思う。
メンバーさんたち同士の相互尊敬、相互信頼が保てていれば、グループで行う「おおい療法」はとても素敵なものだなと思った。
他のメンバーさんたちも明るい雰囲気のまま、適切な側面を探すということをより良く学ぶことができると思う。
「おおい療法」では、治療者側がきちんと方針を持って、効果的に組み立てていき、しかもおそらく、それをそうと気づかせないような技術がいるのだろうと思う。
グループだと治療者側の意図を隠しやすくて、一対一だと露わになりやすいように思う。
だからグループの方が「おおい療法」はより行いやすいと私は感じるのかもしれない。
この度のパセージも、終わってしまった。
これからもご一緒に学んでいきたいと言ってくださるメンバーさんたちがおられるので、とても嬉しく、ありがたく思う。
今回も、メンバーさんたちの変化と成長が本当に嬉しかった。
やっと私はロールプレイに慣れてきたかな、と思う。
代替案を出すことに対して、不必要な緊張をしなくなった。
パセージのお作法と、メンバーさんたちの創意工夫で、みんなで考えていくのが面白い。
初対面の大の大人同士が、いきなり4歳の女の子になりきったりしなきゃいけない。
そういう遊びが、きっと私たちを近づけるのだと思う。
真剣だけど、深刻にならない。
いつだって私たちは現場から離れて、メタの位置でも話し合うことができる。
パセージの構造から学ばせていただくことの多いコースだった。
きっとベイトソンの勉強を並行して行っていたからだろう。
私の仲間たちが、私を通じて新たな仲間たちへ、学びを渡していく。
私はそうやって人々の間にいて、あちらへこちらへ、野田先生からいただいたものを受け渡していきたい。
そうやって私は渦になって、
私とつながる人たちのたくさんの渦が私の周りで回り始めて、
きっともっと大きな渦になって、少しずつ世界を変えていくんだろう。