伏線回収

今日も休日気分。日中はかなりだらだらと過ごした。

夜は野田先生の論文のオンライン勉強会だった。

 

野田先生の論文で学ぶこと、ライブラリで学ぶことが、

私の現実にいつも良いタイミングで関わってくる。

アドレリアンコミュニティでの自分の役割で果たすべきことに、

いつも良いアイディアと、方針を与えてくれる。

 

 

 

私はアドラー心理学を学ぶ母に育てられた。

私の人生は、

母のアドラー心理学の学習の歴史と、

野田先生のアドラー心理学理解や教育法の変遷と、密接に関わっている。

私は自分の肌感覚を通して日本のアドラー心理学の動きを感じてきたようだ。

 

アドラー心理学には幅がかなりある。

様々な技法、理論、がある。もしかしたら様々な世界観もあるだろう。

結論だけ言うと、

私は野田先生の大成させたエピソード分析を中心とするアドラー心理学を学び続け、

継承していきたいと思っている。

なぜかというと、それ以外のアドラー心理学を使われる側だった身として、

今の洗練された技法の方が、ずっと心地よく、自分には貢献することができると信じられるからだ。

自分が自分の物語を作ることができると信じられ、美しい物語を生きていこうと思えるからだ。

 

テーマが、誤ったものを正すというものから、

小さな成長の物語を共に生きるというものに変わったと思う。

 

これは私の個人的な意見だけれど、

私は子どもの頃、自分はなくてはならない存在だとは思えていたが、

私は家族のために役に立っているとは思えていなかった。

自分がどのように貢献できるか、わからずに生きていた。

貢献したいという思いだけはあったけれど、それを探すために大学に行こうって思っていたので、

本当の意味での自信はもっていなかったと思う。

いつも背伸びをしていたのは、

しょうもなくて愚かで小さくてわがままな今の私のままで、貢献し所属できていると思えていなかったからだと思う。

これはつまり、勇気のある状態とはいえない。

アドラー心理学で育てられても、私はそういう人間だった。

 

これは母のアドラー心理学の使い方、学習の理解度、実践の熟練度によるものかもしれない。

けれども母がアドラー心理学を学び続けるうちに、母自身がひじょうに成長し変化したことも確かである。

私と母の関係は、ある時期からたいへん良くなった。

それは母が、私を見るのではなく、私と母との関係を見るようになったからではないかと思う。

私の誤りを正そうという構えから、私の、あるいは私たちの成長の物語を共に生きようという構えに変わったように思う。

そういう母とおつき合いしていて、私は、母の役に立てているんだと初めて知った。

私はもっと小さかった頃から、母の役に立っていたんだということも初めて知った。

そのときようやく私は、自分の人生を作っていくという勇気を持てたんじゃないだろうか。

私はちゃんと世の中に所属しているって、

背伸びしなくても、私にはちゃんと貢献して生きていくことができるし、

居場所を作っていくこともできるって、信じられるようになったんじゃないだろうか。

それは、ちょうど野田先生のアドラー心理学の理解に思想的理論的転換が起こった時期に重なる。

2007年頃のことである。

 

 

今私の子どもたちを見ていて、彼らは貢献する能力に満ち溢れていると感じる。

彼らは家族に貢献できていると信じている。

学校でも幼稚園でもお友達といても、私の自助グループの仲間たちの中にいるときも、

いつも自分のできる貢献を探して、役に立って所属しようとしている。

子どもの頃の私とはまったく違う。

私が母よりも熱心に、上手にアドラー心理学を実践しているからかというと、そういうわけではないように思う。

私が母よりも洗練されたアドラー心理学を学んだからだろうと思う。

 

新しいものがすべて良いなんて私は思わない。

けれども、学問も技術も、良いものは吟味された上で磨かれ洗練されていくものだと思う。

 

 

 

今日は次男の幼稚園最後のお弁当日だった。

昨晩、

長男は次男に、「それならお兄ちゃんがおにぎり作ってあげようか?」と言い、

次男は大喜びしていた。

「のりで顔も作ってあげるね」

「わーいありがとう!」

 

夜の勉強会が終わって食卓を見ると、

長男からのメモが置いてあった。

「明日のしゅんすけのお弁当のデザートに、ゼリーを作ってあげたいと思います。

 作ってもよいでしょうか。よろしければ下の⬜︎に✔️を書いてください。 

 父⬜︎  母⬜︎ 」

私も夫も✔️をして寝た。

しかし一体長男はいつゼリーを作るんだろうかと思いながら。

 

私が起きると、

食卓に顔のついたおにぎりが2つと、

「冷蔵庫にゼリーを冷やしていますのでしゅんすけのお弁当に入れてあげてください」

という長男のメモがあった。

どこから探し出してきたのか、ちゃんとお弁当用の小さなおかず用カップにゼリーを入れて冷やしてあった。

いつ起きたの?と聞くと、5時に起きて作ったんだよ、とのことだった。

長男、マメだ。きっとモテるだろう。どうでもいいが。

次男は、「今日は人生で一番いい日だ〜♪」と言って幼稚園に向かった。

 

私はこんな風に自立して、人に貢献して生きてきただろうかと、

こんな風に人生を楽しみ、自分で人生を作ってきただろうかと思う。

もう長男に関しては、私は子育ては終わったように思う。

今は彼から学ぶことの方が多い。

 

 

 

私がアドラー心理学を学び始めたのは2013年からだ。

野田先生の大成されたアドラー心理学を学ぶことができて本当に幸せに思っている。