人事を尽くして天命を待つ

今日は午前中に雪かき、午後は長男の学校の個別懇談、夜は野田俊作ライブラリのオンライン勉強会だった。
体力使う1日だった。

しかし五体投地で筋力がついてきたのか、以前に雪かきをしたときよりもずっと体を楽に動かすことができた。
やはり五体投地は良いものだ。(目的違う)


雪かきをしているとき、
私の力で雪をきれいに移動させて、道を人が歩いたり車が出入りできたりするような状態にできるなど、とうてい思えない。

私の行動が意味をもつとは思えない。
私の雪かきはいつもそんな絶望から始まる。
シャベルはあまりに小さく、私はあまりに非力だ。
ひとすくい、ひとすくいは、この積もった雪のうちのほんのわずかなのに、
私の体には重たい。
けれどできるところまでやろうと決めて、すくっては端に寄せ、すくっては川に落とした。

私は今体を使っているな、と思った。
体を使う仕事を極力避けたいけれど、今私はその苦手に正面から取り組んでいるな、と思った。

 

雪かきをしている最中の人々は、皆誇らしげな顔をしている。
自分のこの辛い仕事が、他の人々を助けることにつながると知っているからだろう。

雪がきれいにかいてあると、ここをきれいにした人は心の美しい立派な方なんだろうなと思う。
お向かいに住んでいたおじいさまも、ご自分の他には誰も使わない小径の雪を、丁寧に丁寧にかいていた。
少しずつ少しずつやっていきますからな、と、背を曲げて小さなシャベルですくっていた。

 

仕事ってきっと、少しずつ少しずつ、丁寧にしていくべきものなんだ。
雪かきを一度に全部してしまおうと思うと、とても苦しいし、そういうやり方では体を壊してしまう。
雪を切り崩していく行為に意味が生まれるまでは、労力も時間もかかるけれど、
このひとすくいから始めなければ、道は現れない。
そして、やがて陽が射して、私の力の及ばなかったところの雪を溶かしていく。