リトル・プリンセス

今日は午前中に次男の最後の保育参観、午後はオンライン勉強会でした。

 

ちょっと今日はエネルギーが少ないので、

保育参観の楽しかったできごとについては後日に書きたいと思います。
長男のときからたいへんたいへんお世話になった幼稚園と、

もうあと20日でお別れというのが、私の方が寂しくてたまりません。
お友だちみんなの成長も本当に素晴らしくて、
幸せな子供時代を過ごせた子どもたち、本当にこの幼稚園に通えて良かったなと思います。
見守り育ててくださった先生方に心から感謝しています。

 


『小公女』は私の大好きな本のうちのひとつです。
リトル・プリンセス。
お前は小さなお姫さまなんだよ、と言ってくれた父ひとり娘ひとりの裕福な家庭で育ったセーラは、
寄宿学校にお嬢様VIP待遇で入学します。
ある日突然、お父さまが亡くなったという知らせが届き、
セーラは学ぶことも許されず、屋根裏部屋に追いやられて、学校の小間使いとして働くことになります。
どうして私がこんな目に、という出来事が起こるのです。
でもセーラは、健気に、自分の仕事を務めます。
お父さまを恨んだり、冷たい大人たちを憎んだり、友だちを妬んだりせずに、
どんな境遇であっても、私は小さなお姫さまなんだからって、ひとりで気品を保つのです。

 

隣のお屋敷の人たちに助けられ、素敵な場面がたくさんあって、
お父さまとも再会できるハッピーエンドの物語です。
私はその「ある場面」が大好きで、よく思い出すのですが、これについてはまたいつか書こうと思います。
今日お話ししたいのはそこではなくて、どうして私がセーラを大好きなのか、わかったということです。
セーラは私の理想なのだとわかったのです。

 

どんな境遇におかれても、すべてを失っても、

決して「かわいそうな私」に落ちぶれない。
その高貴な姿に憧れます。
セーラは目の前のすべきことを務めながら、
心の中ではいつも美しいものを思い描き、空想の世界に遊んでいました。
そして自分と同じような小間使いの少女に、どこまでも親切に手を差し伸べるのです。
私の理想としているものは、すべてあの本の中に入っていたのだと驚いています。


私はある種の「かわいそうな私」をする人たちのことがとても嫌いなのです。
それは、セーラのまったく反対だ、と私が判断しているからだと気づきました。
過酷な境遇におかれてしまったことを、気の毒だと、悲しいことだと思います。
私にできることならば、その境遇を変えてさしあげたいと思います。
けれども、そこに「かわいそうな私」としての居場所を作ることは、私は嫌いで、
そう振舞う他人の姿さえ、見たくないのです。
そんな風に自分を貶めることをしても、そこに幸せになる道はないと私は信じています。

 

では私が、過酷な境遇におかれても、すべてを失っても、なお
私は私にできることをするまでだわ、これも運命なんだ、と、誰も何も責めずに
「私は小さなお姫さまなんだから」と保っていられるかというと…
ああそれは、今、この「かわいそうな私」たちを見続けることさえ苦痛に感じて、
目をつぶろうとしている私です。
とても、精神の貴族ではありません。
だけど私が大切にしている「お姫さま」を、今こうして見つけたから、
私はこれからセーラに近づくことができると思います。