今日は絶対的休日。
日中も長い間昼寝をしたけれど、
夜も、子どもたちとごろごろしていたらそのまま眠ってしまっていた。
珍しく何もしない日だった。
何もしなかったとはいっても、
瞑想は日中と日没後の2回できたし(五体投地含む)、
子どもたちの習い事について行ったし、
家事もした。
普通のお母さんをやっていた。
(あ、普通の日本人のお母さんは五体投地しないか)
子どもたちのおかげで、私の生活にはたくさんのお仕事が与えられ、規則的なリズムが与えられる。
もうすぐ次男は卒園する。
小学生になれば、私がすべきお仕事がずいぶん少なくなる。
私はもっと勉強をしやすくなるだろう。
そのことはとてもありがたい。
だけどこの母のリズムは、やがてもっと休符ばかりになり、必要とされなくなる。
私は身体を使うことを意識してこなかったと先日書いたが、
妊娠、出産、乳児のお世話をしていた間は、私の意識は身体のことばかりに向いていた。
脳みそが乗っ取られたかのように、抽象的な思考がほとんどできなくなった。
母の仕事は身体的だ。
私がそれまで学んでこなかったものを、
まったく違う価値観の他人と暮らすこと
子どもたちを育てること
を通して、たくさん学ばせてもらった。
母という役目を与えてもらえてよかった。