ハイパーマイノリティ


今日は野田先生の論文のオンライン勉強会と、夜はチベット仏教のオンライン勉強会だった。


今日学んだことは、系譜が大事だということ。
修行の道は、自分で逃げ道を用意したら何にもならないということ。
これを肯定文で言い換えると…
やはり、師匠の教え通りにやってみるしかないということ。

 

宗教のことではなくても楽器にしてもスポーツにしても勉強にしても何にしても、
訓練、トレーニング、上達のために練習することは厳しいことだ。
理想のモデルはあるけれど、自分の拙さとかわかっていなさとの隔たりはおそろしいものがある。
ただ、その隔たりを実感していることがまず大事なのだと思う。
そこから逃げずに、今できる、今日できる小さなことを積み重ねていくことしか、
先へ進む道はないのだと、お坊さまが説いてくださった。
結局何もかも同じなのだ。

そうやって続けていれば、やがて目指すところに到達する可能性があるとおっしゃった。
そう、あくまで可能性があるということ。
私はアドラー心理学を学んでいるので、そのことは文字通り受け止めることができる。


五体投地10万回か…
10万なんていう数を数えたこともない。
毎日瞑想するのは2週間続けることができた。
1日200回白ターラー菩薩の真言をお唱えしたから、(そのうち2日は100回だった)
合計で2600回。
こうやって書いてしまうと、続けざるをえなくなる。
私は怠け者なのだ。煩悩だって普通以上に強いと思う。
だからこそ自分の頭で考えずに、師匠のおっしゃることをおっしゃる通りにしなければならないと思う。
私は自分を騙すのもひじょうに上手だから。言い訳し始めたらその先は行き止まりだ。


うーん、どんどん浮世離れしていっている気がするけれど、まあいいや。
私はもともと友だち少ないんだけど、せっかくできたお友だち、減るかしら…。

 

信仰はたいへんにプライベートなものだと思う。
こういう投稿ができている間は、まだ日本に自由があるという証拠かもしれない。
もしもチベット仏教の話題がまったく投稿できなくなったら危ない。
ウケの悪い話だとは思うけれど、炭鉱のカナリヤの役割も担ってみよう。
こういう怪しいところも実際、私の一部である。