今日はとても久しぶりの自助グループの定例会と、
夜は野田先生の論文のオンライン勉強会でした。
自助グループは初めての方がお二人と常連さんがお二人、ほぼプチパセージでした。
来てくださった方のニーズに合わせながら、
アドラー心理学の考え方や歴史や特徴や、私の失敗談としての実践などを話しています。
毎回違うこと話しています。
自分でもその日何が出てくるか、降ってくるかわからない、
メンバーさんとの相互作用による話の展開がとても楽しいです。
自助グループでの私はよくしゃべります。
でも、ずっとではないんですけどね。
今日は前半に質問に答える形でよくしゃべっていました。
パセージテキスト1Lの読み合わせをして、
色々な話し合いをしました。
後半は、事例をもとにブレイクスルークエスチョンズを使って、ロールプレイをしました。
初めての方が事例提供者さんと子ども役になってくださって、とても嬉しかったです。
子ども役になってみての感想をとても率直にお話しくださったので、
たくさんのことをに気づくことができました。
素敵な代替案も、みんなで話し合う中で事例提供者さんが出してくださいました。
初めての方たちの驚かれる様子や、こんな考え方があるのかと目を輝かせる瞬間、
お馴染みの方たちの成長していかれる様子や、初めてのメンバーさんへの勇気づけ、
本当に素敵だなあと思って過ごしていました。
私は「濃い」リーダーなので、今日のようにウケがいいと濃すぎる内容になってしまいます。
よく、私の自助グループやパセージに参加すると、お腹がすくとか頭が飽和状態になるとか言われます。
…ありがたくも思い、気をつけなければとも思うのですが、
今日も濃かったなあ…。
どの辺りの濃度がちょうどいいのか、わからないのです。
物足りないぐらいで、もっと知りたいから次も行ってみようって思っていただけるのがたぶん理想的です。
だって、自助グループの定例会だけじゃなくて、パセージを受講してもらいたいですからね。
でも、そういう次へつなげることも大事なことだとは思うのですが、
もう二度と会えないかもしれないという緊張感も大事だと私は思うのです。
運命は私には見えません。
明日私は、もうここにいないかもしれない。
だけど、いえ、だからこそ、今この瞬間に目の前におられる方に対して、
今の私にできる精一杯で向き合いたいと思うのです。
もちろん自助グループのリーダーの職務(?)を超えない範囲内で。
このたった2時間半で、何かが変わることを期待してはいけないと思います。
そうは思うのだけれど、
私たちがこの小さな暮らしの一場面を愛で、
もしも、よりよい物語にできるのならどうすればいいかと頭を悩ませ、
一緒にびっくりして笑って感動したこの一瞬が、
私たちにとってこれからも意味あるものとして、心の内で生き続けてくれたらいいなと願ってしまいます。
たぶん、私は変わっているのでしょう。
他のリーダーさんたちがどのように思っておられるかはわかりません。
私の演奏家ペルソナがこのように思うのだと思います。
ライブはいつも一度きり。
同じ曲を演奏しても、いつだって一度きりです。
この小さな曲が、そのとき観客の耳に入っても、聞き流されてしまうのがほとんどでしょう。
でも、もしかしたらいつまでもこの瞬間が残ってくれたらいいと願って、
一瞬が永遠になることを願って、この一音一音を大切に響かせるのです。
そして本当に、そのステージ上で演奏した、あるいは客席で聴いた、
いつまでも心に残っている音楽が私にはたくさんあるのです。
いつだって理想には手が届かない。
だけど人間は理想を追求し続けるのです。
そうアドラーが言っています。
私は私と出会ってくださった方と、つながっていたいと願います。
それはきっと自己執着でしょう。
けれども私はその一瞬が私の中で永遠に輝いているように、
相手の方にとっても意味のある時間であればいいなと願ってしまいます。
それは、私にとっての利益になるパセージとかカウンセリングとか、
そういう商品とのトレードとはまったく別の次元で、
私が求めているものなのです。
これが良いのか悪いのかはわかりません。
これを求めすぎると、苦を生むことになるのはわかります。
ただ、自分の求めているものを誤魔化さずに言語化することに意味はあると思います。