大胆かつ緻密に

今日の夜は野田俊作ライブラリのオンライン勉強会。
午前中は色々と雑用をしていた。


私は中学高校と吹奏楽部でトランペットを吹いていた。
選ぶ楽器はとてもライフスタイルを反映していると思うのだけれど、
もう楽器を吹くことのない今も、私はトランペッターだなと思う。

 

トランペットは目立つ。とにかく目立つ。
そして目立つことを誇りにも思い、同時に毎度毎度思い通りに吹けない自分の不甲斐なさに直面し、
劣等の位置に落ちる。
でも目立つことが嬉しいから、また自分の音が響く瞬間の快楽を求めて果敢に挑戦するのだ。
トランペットの譜面は、音符が少ない。休みが多い。
特にオーケストラの譜面だと顕著だ。
多くの楽器と共に演奏するときは、自分の持ち場で輝くということが求められている楽器といえそうだ。

トランペット奏者はアップダウンの激しい奏者だと思う。
華やかで朗らかな音色なんですけどね。
躁鬱傾向の強いライフスタイルではあるまいか。
知り合いのトランペッターたちも、調子乗りで自己批判の強い人ばかり思い浮かぶ。


一方で、トランペットらしさを表に出さないよう求められる場面も多くて、
金管楽器の特徴である円やかな響きだけ求められているときは、背景のように和音を響かせる。
そういうときは他の音と溶け合って、トランペットの音は判別できない。

 


木管楽器などは、16分音符などで半音ずつや一音ずつ、連符で駆け上っていく使い方が多い。
木管楽器はすべての音によって指づかいが異なる。

たくさんのキーを使い分けて、奏者の人たちは見事だと思う。
一音一音異なったポジションがあるところは、ピアノのようだ。
トランペットも連符のような使い方はあるけれど、一音ずつ吹いたりしない。
だいたい、ピストンは3つ、指づかいはたった8種類しかなくて、それですべての音を出す。
基本的にはお腹と口の中と唇のポジションで音を吹き分ける楽器だ。
なので、楽譜も適当である。
連符のときは、始点と終点だけ音符が書いてあって、その間が「〜」で上昇していくように記されているだけだったりする。
気合と勢いで吹けというわけだ。
そういう連符のときの指づかいは、三本の指をパラパラパラパラと適当に素早く動かしているだけだ。(本当!)
それまで楽器といえばピアノとリコーダーしか知らなかった私は、そんなんでええかいなと驚愕した覚えがある。


そう。トランペッターには緻密さがない。
私はいつも始点と終点だけ決めて、そこに向かって気合と勢いで駆け上がる。
間がどうなっているかは、あまり考慮していない…


昨日から劣等感についてぶらさげていた。
人に伝えようとするときは、何かを追求しようとするときは、
間の連符の一音一音についても、ちゃんと記譜できなければ再現できるはずがないよねと、思い至った。
適当すぎるな、私の論理は。
ただし、大胆さについては任せてほしい。
そして同時に緻密さも身に付けたいと、心底思ったのだった。