長い間休んでいたけれど、私は生きています。
今日は、阪神淡路大震災から26年になる。
あと2日で野田俊作先生の四十九日になる。
昨日、安野光雅さんがお亡くなりになった。
私の子ども時代は、幸せだった。
あたたかい家族に囲まれて、緑に囲まれた街で、輝く思い出ばかり。
それはすべて壊れて戻ってこない。
私の早期回想の舞台は、もう存在しない。
私が野田先生のもとで過ごした弟子時代は、幸せだった。
世界はどこまでも広がって、私は自分が変化し成長していくことに夢中になった。
私は自分の生きる意味を知ったと思えた。
でももう師はいない。
私の子どもたちと安野さんの絵本を読んで過ごした日々は幸せだった。
世界には不思議が満ちていて、こんなに美しく優しいのだと、
知の世界と遠い国へ、目を輝かせる子どもたちと共に冒険した。
でももう伝えられなかった感謝を伝えることはできない。
幸せの絶頂に私はいつもいられる、恵まれた人間だと思う。
でもその幸せは必ず壊れることを私は知っている。
さようなら、昨日の世界。
はかないものだから、美しいのだと思う。
この一瞬を愛でていたいと思う。
この一瞬一瞬を見つめていたいと思う。
幸せが消えた後に残された私と世界は、だけどここに確かに残っている。
それでも私は新しい幸せを見つけて、美しいものを見つけて、ああ幸せだと思って生きていたい。
またいつか、その幸せも壊れていくことを知りながら。
この一瞬一瞬が、崩壊に向かっていることを感じながら、
それでも私は幸せを感じていたいから、
いつ壊れるのだろうかなんて怯えずに、足を踏み出していこうと思う。