エピソードと魔法

今日はパセージ第6章でした。

メンバーさんたちのエピソードが本当に素敵で、実践も素晴らしくて、
毎回心洗われるような時間を過ごさせていただいています。
メンバーさんたちが仲間になっていかれる様子を見ているのも幸せです。


人と人は、言葉で繋がるんだと思います。
私はよごとを見つけて、言葉にして伝えていきたいと思います。
どんな過酷な出来事があっても、その現実を生きている人には必ず強さがあるはずだから。
私はそれを見つけていく仕事をしていきたいと思います。
つまりはそれは心理療法をするということです。
今はまだ、私は弱すぎるんだけれど。
時間をかけて、仲間たちと学んで、そして私も強くなりたいと思います。


過酷な出来事を世間では皆がレポートで語ります。
こんな酷いことがありました、ねえ酷いでしょう?親が政治が社会が文明が悪いんですよ、って。
この方向では、どこまでも私にできることが見えてこないのです。
私はその情報にただ感情を乱し、もどかしい思いをして、そうして忘れるのです。無責任に。
それがレポートの持つ冷たさだと思います。
私はニュースに対して、無責任でいられるのです。
本当は同じことが私の身にいつ降りかかるかもわからないのに。
その現場で誰かが今生きているということを、私は感じられないのです。


エピソードを聴くことは、同じ物語を生きるということです。
もう他人事ではいられない。
私は治療者の端くれとしてお聴きするので、
必ずその語り手の方の成長につながるように、
その方のストレンクス、強さを思い出して使っていただけるように、
その方がこの世界の中に居場所を見つけて、自分らしく歩いていけるように
勇気づける、という目的のために働きかけようとします。

物語を聴くということはとてもエネルギーの要ることです。
全身全霊で聴かなければ、私は私を語り手の方のお役に立たせることができません。
そうやって聴くことが、それから問いかけていくことが、2人の物語を生きるということだと思います。
もしも私が適切な働きかけができておれば、
語り手は私との間に起こったことを、相手役さんとの間へと活かしてくださるでしょう。
私は私に物語ってくださった方の幸せを願います。


すべては言葉を使って起こる魔法です。
だけど、これは向かい合って同じ場所で同じ時間を共有して、
そして様々な契約という安全装置の中で働かせることのできる魔法です。
魔法は厳格な決まりを守らなければ、
魔法をかける方にもかけられる方にも、恐ろしいことが起こる可能性があります。
だから修行が必要で、そして師の教えを守らなければなりません。