スランプ

今日は野田俊作ライブラリのオンライン勉強会だった。

 

シンポジウムの準備は追い込みに入った。
原稿は完成まであともう少し。
パワーポイントも作らなきゃいけないんだった… 。

 

今日の勉強会で学んだことは、
私にできることは小さいけれど、その一石を投じることはできるということ。
投じた一石が作る波紋によって、世界は変わる。
私が相手を尊敬し信頼すれば、そのような場を作れれば、
相手もそのように行動してくれるかもしれない。
そのように行動してくれないかもしれないけれど、
でも私が何もしなければ、世界はそのままだ 。
私たちは社会に組み込まれているから。

 


私のやっていることに意味がないような気がしている。
意味がないというのは、効果が出ない、無駄なことということだ。
無駄であるとわかっていてもやってみるということ、
それも、パッと目立つ「やったぞ!」感のないことに取り組むということ、
私はとても苦手だ。
結局それもただ賑やかしみたいになってるような気がする。
お役に立てることができない。
ただ、役に立てても立てなくても、私にできることはこれぐらいしかない。


シンポジウムの私の発表なんて意味ないわモードに入ったらしく、
けっこうきつい。
原稿を書くときは何度かこのモードに入るので、特に心配はしていないが、
この状態を乗り越えるまでは苦しい。
今回は言いたいことを言いたい放題言えないテーマなので
余計に、自分の原稿が無駄なもののように思えてくる。
言いたいことを抑えている?
いや、そういうわけではない。
自分の能力不足に落ち込んでいるだけだ。
文章力の問題ではなくて、内容の問題だ。頭の中身の問題だ。

 

 

楽器を演奏する人や歌う人、踊る人を見るのが好きだ。
自分の魅せ方をわかっている。
体の動きと音楽とが一体になっている。
その調和を見るのが好きだ。自分が弱っているときなど、妙に感動してしまう。
入り込まないと良いパフォーマンスはできないと思う。
演奏家として私はその入り込みの足りないタイプで、気恥ずかしさがあった。
自分がどう見られているかと考えると、良いパフォーマンスができなくなる。
自分がどう見られているかを考えるのは、自信が足りないからで、
自信が足りないのは、準備が足りないからだと思う。

 


結局私のするべきことは決まっている。
粛々とこなすだけだ。
せめてほんの少しだけでも、意味を持たせられるように。