止揚

今日はなんとなく無為に過ごしてしまった。
歯医者に行ったり、課題シートにコメント書き終えたり、パセージの準備をしたり
それなりに色々したけれど…。

あまり頭がはっきりしていない中でも、
雑用や家事や仕事や仕事の準備が、緊張感なくできるようになってきたことは成長だ。
そこは喜ぼう。
当たり前のことが当たり前にできる社会人になってきたようだ。

 

色々と頭を悩ますことがあるのだけど、
相手を打ち負かそうという目標に向かって動いてはいない。
なんとか平和的な道はないものかと考えている。
でもまだ思いつかないから、せめて非主張的になろうとしている。
ただ、この段階であっても、今までの私とは大きく違う。
こんな小さなことでも、適切な側面に正の注目をしていこう。


それから、心を開いている仲間たちに対しては、
私は自分の意見をできる限り正確に伝えられるように努力し続けることができた。
それもひとつの成長かもしれない。
誤解されたままでいいやってあきらめたり、
もう話が通じないからいいやってあきらめたり、しなかった。


嫌いなものが多い私は、こうやって少しずつ、対話する訓練を重ねることでしか
陰性感情を抱かずに嫌いなもののことを考えることはできないのだろう。
私の嫌いなものが悪だというわけではないだろう。
けれども、私の大切なものとは共存できないと私は思う。
その辺が、私の考えが辛すぎるのか、他の方たちの考えが甘いのか、わからない。

 

しかし、おそらく私は最右翼の過激派であろう。
ということは、そこまで言わんでも、と、みんなに煙たがられることに意味がある。
露悪的にならず、悲観的にもならず、誠実に私の意見を述べて、
みんなに嫌がられるというお役目を果たそう。
きっと、みんなにとって良いことは、私より左側にある。