濁りそうになる

今日は野田俊作ライブラリのオンライン勉強会だった。

それから、パセージのお知らせを各所へ出した。

9月からいよいよパセージ開催!

 

オンライン勉強会は、対面の勉強会に優ることはないけれど、

遠方の仲間たちと学び合うことができるので、とてもありがたいことだ。

私の思い込みに気づかせてもらえる。

学びの道のどこにいる方であっても、

その方の人生と結びつけたアドラー心理学への理解と実践をお聞きすると、

ああそういうことか、と、

私が見過ごしていたことに目を開かせてもらえる。

 

特に私は傲慢な人間なので、

自分の思い込みが正しいと思いがちだ。

だけど私は正しいわけがない。

もしも私が正しければ、

長男や夫との関係を悪くすることなく、もっと良い関係を作っていれただろうし、

毎回時間内に良いカウンセリングができるはずだ。

どこかに私の不十分さがあるから、今の私はこの段階にいるのだろう。

 

練成講座のときに、私のカウンセリングについて、

「現場での場数を踏んでいるから、上手さは出てきたと思う。

 良くも悪くも、ね。」

と先輩から言っていただいた。

なんとかカウンセリングとしてまとめきる力を上手さと言うのなら、

それは確かに以前よりはあると思う。

だけどその上手さには、アドラー心理学から離れていく危険性が大いにある。

人を納得させる、カウンセリングの雰囲気を作ることに上手くなっても、

アドラー心理学を継承することはいつまでたってもできない。

そのことを、先輩は(アドラーとクライアントさんとをつなぐ)透明なパイプが濁ると言っているのかもしれない。

私のパイプは濁っていないか?

私は自分の思い込みで動こうとしていないか?

 

 

後輩方との学び合いは、私の傲慢さを暴露する。

私が後輩のみなさんから学ばせてもらおう。

私も正しくない。理解の途中の段階だ。

 

先輩方との学び合いは、私の誤りを暴露する。

だから私は緊張感なく振る舞える。

でも、先輩方だって、迷いながら歩いておられるのだ。

 

どんな立場であっても、

私には何ができるのか?と問い続けることだ。

私は今、見たくないことから目を背けようとしている自分の顔を現実に向けようとしている。

おかげさまで、たいへん悲観的な色眼鏡を選んでいる。

…先輩方こそ綱渡りをしているんだ。

 

 

私には何ができるのか?

今この段階での私ができることは何なのか?

今、直接先輩方のその技を見て学ぶことのできない環境で、

私がきちんと透明なパイプになれているかどうか見てもらえない環境で、

顔を合わせてお話を聞けないこの環境で、

私がアドラー心理学の技術を磨くためにできることは何なのか?

 

それは、心を磨き、実践をしていこうとする仲間たちの話を聞くことだと思った。

濁りそうになる私の心を、もう一度透き通らせてくれる。

そして透き通った心で、

パセージのメンバーさんたちと、カウンセリングのクライアントさんたちと、

学び合い、良い物語を作っていきたい。

 

私が教えるんじゃないんだから。

私は正しくないのだから、教えることなどできるはずがない。

私ができることは、アドラーとみなさんとを結びつけることなのだから。