早期回想の世界に入ってしまっている。
早期回想は、今思い出す子ども時代(10歳ぐらいまで)のエピソードのことだ。
ある日あるときの、感情を伴う出来事。
それは実際に起こったことかどうか、実際にそのときの私がそのように感じたかどうかは問題ではなくて、
今の私が思い出していることに意味がある。
というのは、アドラー心理学では早期回想を
そういう過去の事実があったから思い出すのではなくて、
今の自分に関係の深いことを、いわば逸話的に、教訓的に、思い出していると考えるからだ。
その早期回想を使って、私は今の自分に対して、こうすべきであるとか、こうすべきでないとか訴えているのだと考える。
私がとても面白いと思うのは、
アドラー心理学のセラピー、特に早期回想を用いたライフスタイル分析を受けると、
治療後、早期回想が変化することだ。
というか、早期回想が変化しているかどうか確認することによって、
治療の奏功を判断できるということだ。
過去の事実がどうだったかなんて、本当に必要のない観点で、
今の私が何を信じているか、何に向かっているか、その物語がどのようなのかということだけが大切だということ。
この考え方はアドラー心理学の基本前提の仮想論に大きく関係していて、
本当にアドラー心理学らしくて、私がとても好きなところだ。
私が今の私よりも少し成長したら、
その早期回想は、より共同体感覚に向かう、勇気を持ったライフスタイルの物語に変化する。
残念ながら、自分の早期回想は、自分の私的感覚(価値判断の基準)よりもさらに、
自分自身ではその物語の意味するところがわからない。
見る人が見れば、その人のライフスタイルは露わになっているのだけど。
私はまだ早期回想をよむことがほとんどできない。
心理療法士になるためには、このお稽古が要るのである。
カウンセリングにできることは、現在の人間関係についての問題だけ。
心理療法になると、もっともっと奥深いところを扱うことができる。
早期回想はとてもプライベートなもので、慎重に扱わなければならない。
ここ数日、たくさんの早期回想を思い出すのだけど、
きちんとした形ではここには書かないことにする。
今までにも思い出したことのある早期回想が、
少しだけ変化していることには気づいた。
それはとても嬉しいことだと一人で感じている。
日々私には様々なタスクが降りかかってくるので、
それぞれのタスクに対応した早期回想が思い出されているようだ。
その早期回想たちが、どれも小学校3年生から4年生のときのものであることが面白いなと思う。
私にとってその時期は劇的だったから、多くの教訓を得ることにしたのだろう。
昨日始まったパセージOBメンバーさんとの抄読会や、オンラインの勉強会のうちのひとつは、
主に私にとってアドラー心理学を学ぶ後輩にあたるみなさんとの勉強会だ。
それで、とても楽しみに準備もしたし、とても楽しく参加しているのだけど、
私は少し緊張をしている。
私がちゃんとお役に立てるのかどうかというところで。
お役に立てるかというのは、
メンバーさんたちの学びを援助することは目的なのだけど、
私の働きかけによって、
メンバーさんたちの課題を奪ってしまったり、
メンバーさんたちが自分でつかむべき学びを先回りしてしまったりしないかな、
ということだ。
自助グループでのプチパセージやパセージのフォローアップや、パセージは、
パセージリーダーのペルソナでやっていけるので、問題はない。
私はあまり自分の意見を言わないでいる。
メンバーさんが学べるように、パセージリーダーの動きをするだけだ。
このお作法はたいへんわかりやすい型があるので、ありがたい。
使うものも、パセージテキストだから、使い方はよくわかっている。
それからカウンセリングに関しても、カウンセラーのペルソナでやっているので、
自分の振る舞いについて何も迷うことはない。
パセージリーダーとしての私も、カウンセラーとしての私も、
おそらく素の私よりも数段おつきあいしやすい状態だろう。
そういった私がリーダーやカウンセラーでない勉強会というのは、
私もいちメンバーになる。
私はただアドラー心理学について先輩であるというだけで。
今までの他のオンライン勉強会は、私の先輩方や、同輩方も一緒に参加されているところが、
新しい勉強会との違いだ。
私が先生になってしまわないかどうかということを怖れていたり、
私がみんなを率いていくという形になってしまわないかということを怖れていたりするので、
私は緊張しているのかもしれない。
このことに気づいたのは、震災の後数ヶ月住んでいた社宅の公園での早期回想のおかげだ。
いや、他の早期回想からもなんとなく感じることなのだけど、
私は、先生、先輩、同輩、後輩ということをとても気にしているようだということ。
そして自分は、先輩がいて、その先輩が去った後、
自分が残ったメンバーの中で一番先輩になるのはかまわないのだけど、
いきなり始まるグループで最初から私が先輩でいるのは、とても緊張が伴うということだ。
私は1番お姉ちゃんだった。
社宅で過ごしていた時のグループは、
4歳年下の弟、1歳年下のMちゃん、3歳年下のJくん、5歳年下のKくん、6歳年下のYくんだった。
私はこの子たちを守らなければいけないと強く強く思っていた。
私たちは被災者として、その地域にやって来たよそ者だったから。
私たちが一時転校した先の学校も、弟の一時転園先の幼稚園も、
私たちをとてもあたたかく受け入れてくれた。
友達もすぐできたし、みんなとても親切にしてくれた。
だけど、そこに4ヶ月居る間には、被災者でありよそ者であることを理由に、
数人の子どもたちから小さな嫌がらせを受けたこともあった。
とても些細なことだったけれど。
今思えば、多分その当時の私が気づいていないことも、もっとあったと思う。
私はその些細な嫌がらせは、仕方のないことだったと今は思う。
その嫌がらせに私が傷ついた、という風にはとらえていない。
当時も、親や先生に言いつけて、あるいは自分で喧嘩をして、
私としては自分で解決に向かうよう行動していたし、
その後も、嫌な奴がいるもんだと思っていただけだったので、
いわゆるトラウマ説に私の体験を当てはめてほしくはない。
そういう物語ではなくて、
私はお姉ちゃんとして年下の子たちを守らなければいけないと思い込んでいた、
私が何とかしなくちゃいけないと思い込んでいた、
そういう物語が今になって早期回想として思い起こされることに意味があると思う。
年下の子たちを守らなければいけない理由として、
この物語に些細な嫌がらせが存在しているのだと思う。
私は本当に恵まれた環境に育ってきたと思う。
大人たちはいつも私を守るために働きかけてくれていた。
そして些細な嫌がらせと言っているその内容は、思い出されるだけだけど、意地悪を言われたり、揶揄されたりしただけなのだ。
ほんとに、それだけ。
そういうことは、子どもにはたいへんよくあることで、私が転校生でなくたって言われたことだと思う。
震災前だって年上の子たちにいっぱい意地悪されたし、もっと大きくなってから、学校でもたくさんあった。
それなのになぜこのときの些細な嫌がらせが、私にとって意味をもつかということ。
いや、これも全然的外れなのかもしれないけれど。
とにかくあのとき私は一生懸命だったと思う。
自分のグループを保つために、とても頑張っていたと思う。
震災前に年上の子たちから教えてもらった遊びを、たくさん教えてあげた。
一緒に遊んでいた。
地元の子と遊ぶときも、自分のグループの子たちのことを把握しながら遊んでいた。
何か起こったら、交渉役になったり、喧嘩を売ったり買ったりしていた。
本当は、端っこの方の秘密基地で隠れて静かに遊んでいたい子だったのに、
遊具の真ん中で、原っぱの真ん中で、みんなの輪の中心になって遊んでいた。
あれはみんなを守るために、私が身につけた処世術だったのかもしれない。
そう、私は多分、中心にいたいわけではない。
私はみんなの輪の少し外れたところで、みんなが遊んでいるのを眺めていられるのが一番居心地がいい。
お役目があればいいです。
そのお役目には、すべき仕事と振る舞いの型があるから。
部長や副部長なども、苦痛なく引き受けてきた。
だからパセージリーダーは苦痛なくできる。
でも、みんな一緒に遊びましょう、学びましょうっていうときは、
私はちょっと中心から外れて、好き勝手にしていたいのだ。
そうでない動き方は、とっても強烈なお姉ちゃんになってしまうって
私は思い込んでいて、
その動き方は私自身も好んではいないし、おそらくみんなにとっても良くはないんじゃないかって
私は思い込んでいる。
新しい勉強会のメンバーさんたちは、後輩ではあるけれど、
人間としては私より先輩だったりするから、
私はみんなを守ってあげなきゃいけないお姉ちゃんじゃなくていい。
私はそんなにグループの存続を気にかけていなくたって、
きちんと会は続いていく。
だって私たちは、偶然にここに集まったのではなくて、
一緒に学ぼうってみんなで決めてここにいるのだから。
いちメンバーとして、素の私でいてもいいよね、きっと。
お姉ちゃんは、必要なときまでしまっておこう。