愚かさから一歩抜け出す

昨日は野田俊作ライブラリのオンライン勉強会でした。

今まで自分で言葉にできずに思っていたことに言葉を与えること、

その言葉について他の方の意見を聴かせてもらえること、

他の方の視点から、新しい意見を知り、新しい言葉を使えるようになること。

仲間と学び合うと、こんなよい作用があると思いました。

いつも私が拠って立つのは、言葉です。

 

仲間で学び合うということについて、

私はずっとずっと長い間、抵抗がありました。

これだけ自助グループやオンライン勉強会をしているから、

さぞかし人の輪の中にいるのが好きで、フレンドリーな人であろうと

私をよくご存じない方は私について思われると思います。

ですがそれは違います。

保育園に行っていた3歳のときの早期回想から、

2、3年前に1年ほど休止していた自助グループの活動を再開した頃まで、

私は、人の輪の中で仲良く過ごす、人と一緒に学び合うということが苦手でした。

 

野田先生の講義でも、グループワークがあまり好きではありませんでした。

私は野田先生のお話を聴きたいのに!

私は野田先生や先輩たちのカウンセリング実習を見たいのに!

私はみんなで「学び合う」なんてまっぴらで、

私は自分の力で「学び取る」ことだけをしたいのに!

そんな風に、自己執着にまみれていました(笑)

 

この根本にある発想は、

みんなで話し合ったって、私は賢くなれないという思いでしょう。

つまり、同じグループのみんなのことを、私は愚かだと思い込み、

愚かな者同士で話し合ったって、結局その愚かさに留まるだけだと思い込んだ、

そういう私が誰よりも愚かだったということです。

私は賢くなりたかったのです。

賢くなるための方法は、

私よりも賢い人から「学び取る」ことが唯一だと思い込んでいたのです。

 

転機はいつだったのか。

たぶんそれは、具体的に私がその愚かさに気付けて変化しきったのは、

優子先生のサブリーダー研修を受けたときだと思いますが、

それまでにも、じわじわと変化してきていたのだと思います。

他の地域の自助グループ主催の合宿ワークに毎年参加させてもらっていて、

そこで優子先生のワークショップや、参加メンバーだけでのワークショップなど、

とても楽しくて学び深い体験をさせてもらっています。

きっとその経験によるのだろうと思います。

本当に感謝しています。

 

私はそんなに賢くもないし、

一緒に学ぶみんなも、そんなに愚かではない。

私たちは得意不得意はあるけれど、長所短所はあるけれど、

みんなそれぞれに必死に生きていて、考えて、感じて、学んで、成長している。

素敵な場の中で、共に学び合うという体験を重ねて、重ねて、

私はやっと、私たちは同じなんだなと気づけたのです。

それから、優子先生がどれほど私を信頼し、尊敬してくださっていたか、

サブリーダー研修のときに優子先生が

言ってくださったひとつひとつの言葉、してくださったひとつひとつのことが

どういう意味であるのか、私はやっとわかったのです。

私は人に対して、優子先生のように向き合っていきたいと思えました。

そのときはじめて、私は少しだけ賢くなれたのかもしれません。

 

 

軽蔑の過ぎる私という人間は、尊敬が足りないのです。

私がカウンセラーの試験に合格できなかったのも、この部分です。

この部分は、以前にも書いたように、アドラー心理学の理論や技法の部分じゃないんです。

アドラー心理学の、良い人間関係を築くための「構え」にあたる部分だと思います。

そしてその「構え」というのは、思想なのです。

どれだけ理論や技法を学んでも、それぞれを上手に使えるようになっても、

「構え」が、相手を信頼し尊敬することができていなければ、

決してその働きかけが治療として成功することはないし、

それどころか、良い人間関係を築くこともできないと、私は思います。

学べば学ぶほどに、自分は賢くて人は愚かだという構図を強調してしまいますから。

 

 

言葉を理解することは簡単です。

でも、その言葉の意味をわかるというのは、簡単とはいえないと思います。

パセージリーダー養成講座で、メンバーさんを信頼して尊敬することが最も大事って、

学びました。

理解もしました。

相手を尊敬し信頼するという行動も、パセージリーダー試験に合格する程度には習得できました。

体を向けてお話を聴くということとか、

その方の良い意図を見つけ出すこととか、

あらゆる勇気づけにつながる働きかけをすることとか、色々。

でも、尊敬は本当に足りなかったなあと思います。

ということは、尊敬の足りなさによって信頼も足りないわけで、

必然的に、私があなたを救うという構造ができてしまうのです。

私は特に、上手にしゃべりますからね。人を率いていく能力も高いようですし。

私に相手に対する尊敬が足りなければ、

そういった私に属する長所のすべてが、かえって裏目に出て、

平等で対等で、お互いに仲間として学び合うという関係を

崩す方向に作用してしまうのです。

 

 

自助グループは、そういう意味で私にとって、とても緊張する場です。

私は先生になっていないか?

私は救う人になっていないか?

私はメンバーさんの仲間だろうか?

みんなが私のもとへ来てくださるということは、

ちゃんと相互尊敬相互信頼の関係を作れているのではないかと、思う方もいらっしゃるかもしれません。

それはもしかしたらそうかもしれません。

そうであることを目指しています。

だけど、私のところに居れば、私がなんとかしてくれるからと思って、

私のところに居ることを選ぶ人たちだっているかもしれません。

ですが当事者同士は、お互いに良い意図で、

共に学び合おう、共に成長し合おうという目標を持って行動していて、

しかもその目標もきっちり一致しているものですから、

実際は「救う人ー救われる人」、「教える人ー学ぶ人」という縦の関係の構造になってしまっていたとしても、

そのことに自分たちでは気づけないのです。

外側からアドレリアンが第三者的に観察すれば、

その構造は一瞬で見抜けますけどね。

 

それから、ただ仲良く過ごすことが良い関係でもないと思います。

そういう「快ー不快」の価値判断は、アドラー心理学では重視しませんから。

だいたい、すべきことをするように勇気づけられて生きると、

明らかに不快な、苦しい思いをする羽目になります。

だからやっぱり今も、本音を言えば1人で学ぶことの方が私は好きですね。

でも、私に回ってきてしまったお役目は、

たくさんの人々の中で、この私を、

傲慢で愚かで軽蔑しやすくて人に干渉されたくない、そういう欠点を持ちながらも、

話力があって統率力があって、逆境にもくじけない、

そんな私を活かすこと、

私がみなさんと共にアドラー心理学を学び合う場を作っていく、広めていくということのようなので、

こうして続けていこうと思います。

苦しいですけどね。自己執着を手放すことは、いつも苦しいです。

でもそうしなければ、共同体感覚へ向かうことはできないのです。

そして共同体感覚へ向かっているときだけは、

私は私に向かう意識を、目の前の出来事へ向けることができて、

目の前におられる方のため、よい関係を築き、

私を有効に使っていただくことができるのだと思います。

 

 

自助グループやオンライン勉強会という学び合いの場で、

頭で学ぶことばかりでなく、

尊敬すること、信頼することも、私はみなさんから学ばせていただいています。

それは何よりも大事な学びだと思っています。

私がパセージリーダーやカウンセラーとしての役目が果たせるのも、

みなさんと学び合っているからです。