「私はここにいます」

今日はプチパセージとオンライン事例検討会だった。

今日も初めての方とお会いして、お話を聴かせてもらった。

今日もいつもの仲間で、クライアントさんをどうやって援助するかということについて学び合った。

こうして私は学んだことを、実際にお会いできるクライアントさん、メンバーさんたちに

還元していこうとしている。

 

私が思考の多い人間であることはいつも書いているけれど、

このブログに思考を書き綴ることで、

他の時間にあまり思考にとらわれることがなくなったように思う。

こうしてジャーナル(のようなもの)を書き続けることは、

ある意味で掃除のような、片付けのような作用があるみたいだ。

私は起きている間のかなり長い間、ずーっと、あらゆることについて考え続けていたみたいだ。

それはそれは多くのエネルギーが必要だっただろうね、と思う。

今まで私が疲れやすかったのも当然だ。

でも今の生活はとても忙しくなってしまったから、

以前のようにずーっと考え続けていたら、あらゆる用事がごちゃごちゃになってしまいそうだし、

そもそもこんな量の仕事はできなかっただろう。

今はこれ、次はこれ、と、区切って集中して考えることが大事だとわかった。

仕事したことないんかいって言われるかもしれないけれども…

色々なアルバイト経験はあるけれど、どれも熱意だけでやっていたような気がする。

 

思考にじっくり向き合う時間をこうして設けることで、

誰かに向き合うとき、その人との時間に集中することができるようになった気もする。

自助グループとかカウンセリングのときはもちろんそうなんだけど、

子どもたちと向き合うときとかも。

家で飼っているヤモリやクワガタを愛でていたり、

ヤモリやクワガタの真似をしたり、

木であるらしい私のところによじ登りに来たり、樹液を吸いにきたり、

クワガタになりきって戦ったり、

子どもたちはあれやこれやと面白いことをする。

ああ面白いなあ可愛いなあと思って、私はただぼんやりと笑って見ていられる。

以前は何か考えていたなと思う。

でも今は、この今だけの幸せな時間をただ感じている。

 

 

目の前のことに集中して、

私の目の前に起こることを、きっとこれが最も良いことなんだと信じて、

向き合っていきたい。

そうしていれば、その出来事に対して私にできることを選んでいけると思う。

それは何も、肩に力を入れることではないんだろうなと気づいた。

目の前のことに身を委ねるというか、流れに身を任せるというか、

きっと必要があればお呼びがかかって、

そのときに私にはきっと何かできるはずと信じて、

待っている、というようなことだと思う。

 

ひとつ片付いたと思ったら、次のお呼びがかかる。

最近の毎日はそんな感じだ。毎日びっくりしている。

でもそれは、今までだったら気づかずに流してしまった小さな声だったかもしれない。

出来事の方が、私を選んでくれたんだ。

そのことを幸せに思いたい。

無理をしなくても、わずかだけれど、私にはお役に立てるような力があるだろうし、

私があなたの声に気づけたこと、それだけでも、きっと意味があると思う。

こうして人と出会い、繋がっていけることが、

私の生きている意味なんだと思う。とてもありがたい。