舞台と楽屋

2020/5/16


私がカウンセラー試験に合格して、たくさんの人が喜んでくださったことがとても嬉しかった。 
でも、一番喜んでくれたのは、多分父だったんじゃないかなと思う。 

母は私の苦闘の一部始終を見守ってくれた。 
それはほんとうに、今のところ、日本のアドレリアンの中では私だけが幸いに体験できたことだと思う。 

父と私は、もうちょっと一般的な親子関係で、 
父は私がどういう勉強をしていて何を目指しているか、どんな仕事をしているか、実態はよく知らないでいる。 
私が私の世界でしていること言っていることを、父は知らないけれど、 
父はいつも私を応援してくれていて、私の努力を尊敬してくれていて、 
そして私が何か結果を出せば、いつも手放しで喜んでくれる。 

それはそういえば、ずっと幼い頃からそうだった。 
なんでそんな何の根拠もなく、私のことを信じていられるんだろうと不思議だった。 
美穂は誰からも好かれる子やから、とか、ええ子やから、とか、 
いや私はそんなにええ子やないし、誰からも好かれていないような状況を作ってしまったことだってあったし、 
この人は一体何なんやろうと思っていた。 
白紙の小切手を切りまくってくれた。 
それは確かに、ちょっとプレッシャーではあった。 
私はフレンドリーな人間でないということが、どうやら私の根深い劣等感にありそうなのも、 
父が情に厚く、たいへん友達が多く、人づきあいを大切にする人であることと、 
それを私にも同じように期待していたことが、ずいぶん関係していそうである。 

それから、父に厳しく言われることは、 
約束の時間や期限を守れとか、報連相を欠かすな、ということだけだった。 
そういったことをいい加減にして、人に迷惑をかけることを許さない人だ。 
それ以外のことでは、あまり厳しくされたことを覚えていない。 
たいへん寛大な父だったと思う。 


父は快楽が好きで、とにかく楽しく安楽に暮らすことが好きで、 
そのくせ地道な努力も続けて、華やかではないけれど確かな結果を出す人だ。 
電気系の技師として大きな会社の目立たない部署で、目立った昇進もせず、 
でも仕事を認められて社長賞をもらって勤め上げ、定年後も再雇用されて勤めている。 
独身時代からずっと同じ仲間でジャグバンドを続けていて、 
未だに同じ曲を、喜んでくれる人たちのところへ出かけて行って演奏し続けている。 
よく耳をすまさないと聞こえない、ヴァイオリンという(バンドの中ではほんとうに)目立たない楽器で。 

私は父の本業の仕事については見ることができなかったが、 
父のステージは何度も何度も見に行った。 
楽屋にも行ったし、舞台裏も行った。 
そこはステージの上で輝いていたミュージシャンたちとは丸っきり違って見える、 
酒飲みの陽気なおっさんたちの場所だった。 
堅気の仕事に就いていたのは(当時も今も)父ともう1人2人ぐらいで、 
半ばアル中みたいな人もいたし、音楽だけで生きてる人がいて、 
芸人の世界のような楽屋だった。 

当時はそのステージの裏でも表でも、私は楽しく過ごさせてもらっていただけだったけど、 
今思うと、得難いことを学んだように思う。 
舞台は、1人だけでは作れないということ。 
信頼し合える仲間が必要だということ。 
その仲間とは楽屋での関係があるからこそ、舞台上で共に演じることができるということ。 


カウンセリングもパセージも、ひとつのステージ上の芸だと思う。 
お客様がクライアントさん1人であっても。 
リーダーとして、カウンセラーとして、ステージ上では1人で責任を負うとしても、 
ステージで共演するクライアントさんとメンバーさんたちを信じ、良いものを作り上げていくことができる。 
そして私には楽屋で、同じカウンセラーとして、パセージリーダーとして、共に学び合う仲間がいる。 


先日、10月からしていたクライアントさんのカウンセリングが、無事終結した。 
美穂さんに支えてもらったから、がんばって行動できました。 
と言ってもらえて、本当に嬉しかった。 
コロナのこともあって、2月初めにカウンセリングしたのが最後だったのだけど、 
その後、2年ほど迷っていた新しい世界へ、 
私に相談することなく、自分で決めて、自分の力で、新しい世界へ踏み出して行かれたのだ。 
そのことを、直接伝えに来てくださった。晴れやかなお顔だった。 

カウンセリングの中で、どんどんと主張性を身につけていかれていったり、 
その成長の様子がわかって、素晴らしいなあと思っていた。 
でも、私1人では、そのクライアントさんの小さな成長を、これほどまでには大切に思えなかったかもしれないと思う。 
なぜ私が小さな成長を何よりも尊く美しいものだと思い続けられたかというと、 
仲間たちとオンラインで勉強会をしているおかげだ。 
それに、もしこの勉強会がなかったら、 
私は私のカウンリセングの不出来さにばかり意識がいって、 
カウンセリングが順調に進んでいるという見えにくいものを、見逃していたんじゃないかとも思う。 
私はカウンセリングが下手だ。 
そのことが勉強会で明らかになってしまうので、ボロボロにもなるのだけど、 
その代わり、自分では気づかなかった私の良いところとクライアントさんの良いところに、気づかせてもらえて、たくさんたくさん勇気づけてもらえる。 
厳しくてあたたかい仲間に、本当に感謝している。 



父からバンドの新曲の演奏を送ってもらったから、 
久しぶりにこんなことを父にメールしたら、とても喜んでくれた。 
「それはよかったね。実績は大事だね。 
評価は人によるから難しいけど。 
ギャランティもらう限りは、プロとしての責任があるからなあ。 
(仲間がいることについて)それはええことやねえ!ひとりやけどひとりじゃない!」 
恐ろしく触覚型なので、父のことばは省略や飛躍が多いのだが、 
父に私の思いは伝わったみたいだったし、私も父の思いは受け取れたと思う。 


私はフレンドリーな人間ではないけれど、薄情な私のままで、 
信頼できる仲間を得て、 
クライアントさんとも信頼し合う良い関係を築けるようになった。 
そして、パセージのコースが終結できたように、カウンセリングも終結できた。 
これは、私の力ではないと思う。そしてそのことをとても嬉しく思う。 
私がほんの少しだけ、傲慢さから抜け出られたように思うから。 

私は父とは違って、大人数のオーケストラの中でさえも、ダントツに目立ちたいほどのトランペッターだ。 
ステージ上では誰よりも輝きたい。 
私は底知れぬ傲慢さを持っている。 
かげで音楽を支える父のヴァィオリンを、 
きれいな旋律なんだからもっともっと目立たせて聴かせたらいいのに、と思って聴いていた。 
私と父の、演者としての理想像は違う。 
でも、カウンセラーもパセージリーダーも、その立場として立つ舞台は、私が輝くためのステージじゃない。 
私はときには照明となり脇役となり、クライアントさんとメンバーさんを輝かせていく使命がある。 
私は、ボーカルやソリストたちをあたたかく見守り、支え、 
MC中にボーカルがギャグを飛ばしたら、誰よりも楽しそうに大きな声で笑っていた、 
あの父の姿を、ひとつの良いモデルとして持っていると思う。 


私は、父の期待には応えられない。 
誰からも好かれるような娘はいない。 
私はどちらかというと、批判的なうるさいことを言って嫌われるタイプだ。 
でも、私は仲間と良い関係を作っていくことはできる。 
そして、その私の批判精神を、ほんの少しだけ世の中を良くするために、建設的に使えるようになったと思う。