2020/6/9
先日、大津市にG協会の研修施設ができました。
とてもおめでたいことです!
今は私は仏の道を、まだ学んでいるといえるほどの状態ではありませんが、
これからお世話になります。
色々と家具が要るとのことで、
我が家に眠っている和ダンスは要りますか、と母に聞くと、
それがあると助かると言ってもらえたので、送ることにしました。
このタンスは、母の嫁入り道具のひとつで、私の家にあったものでした。
どの私の家かというと、ほとんどすべての私の家にあったものです。
阪神大震災で壊れてしまった、私の生まれ育った家。
その後大阪に一時的に引っ越して、それから神戸に戻った時に小学校4年生から6年生まで住んでいた家。
新しく建て直して、小学6年生の最後から大学入学で鳥取に来るまで、私が住んでいた家。
その後両親が離婚して、
私は結婚をして鳥取に永住することを決め、
数年後、父がその家を引き払うことになり、
その頃私たちが鳥取に家を建てたので、このタンスを我が家に引き取ったのでした。
今の我が家ではあまり使っていなかったので、自粛期間中、家の片付けをしているうちに、
そろそろ処分しようかと考えていたところでした。
私の父と母と弟とのエピソードの背景には、いつもこのタンスがあるのです。
でも、ただ思い出としてだけ残しているのなら、あまり良いことではないなと思って、
執着を手離したそのとたん、
G協会で要りようだという話が舞い込んできたのでした。
これは元々母のものです。
母の両親が、巣立つ母の幸せを願って贈ったものです。
巡り巡って、母の元へ、
母が今、世の中の役に立とうと、働こうとしているところへ帰ってゆくのは、正しいことだと思いました。
野田先生のライブラリを聞いていて、物語というものについて考えるようになりました。
このタンスは、ただのタンスではないのです。
私には、このタンスにまつわる幸せな物語をたくさん持っていることに気づきました。
そして、その物語に気づけたことで、またこのタンスをめぐる新しい物語を、
よい物語を作っていくことができるのだと気づきました。
昨日、タンスを送るためにきれいに拭きました。
遊んで~と言う幼稚園年長の次男に、
「おばあちゃまたちが仏さまのお勉強をする会場で使ってもらうことにしたから、
お母さん今からこのタンスをきれいにするんだ。」
と言うと、
「ぼくもいっしょにおそうじするよ!ピカピカにするぞ~!」
と言って、きれいに拭いてくれました。
「ぼくも仏さまのおべんきょう、いっしょにしたいな」と言いながら。
「仏さまも、きっとよろこんでくれるね!」と言いながら。
きっときっと、喜んでくださるでしょう。
今朝、小学4年生の長男に、タンスのこれからについて伝え、
「そういうわけで今日でお別れだから、さようならしてくれる?」と、ちょっと冗談めかして言うと、
「はーい!」と長男はタンスのところまで走って行って、
「さようならー!」と、頭を下げていました。
「へへへ、ごあいさつしてきました~」と長男は笑って言いました。
立派に育ったなあと思ったのでした。
私には、物を大事にできないなあと、物の管理が下手くそだなあと、がさつだなあと、
「不器用」という深い深い劣等感に関連して、そういう劣等感があるのです。
でも、私が生まれる前からあるタンスと、こんな風に物語を作っていけるって、
私はけっこう物を大事にしているんじゃないか?って思いました。
物を大事にするっていうのは、物理的に丁寧に扱うとか、そういう意味だけじゃなくて、
その物とのよい物語を作っていくっていうことも意味するんじゃないかなと思えました。
私は不器用だけれど、物を大事にすることはできるんだ。
そして、私が大切に思う物について、
長男も次男も、その大事にしている私の気持ちをしっかりと受け止めてくれて、
彼らなりの大事な物に対する態度を取ってくれたのだと、とても嬉しく思います。
運送屋のお兄さんとおじさんも、丁寧にタンスを梱包して、運んでくださいました。
さあ、一週間後に無事に届きますように。
このタンスの新しい物語が始まります。
とてもありがたいことです。