ゆず

母に作り方を教えてもらった、ゆずリンゴというデザートがある。

リンゴ1個をいちょう切りに切って、ゆず1個(ぐらい)を刻んで砂糖40g〜50gを混ぜ、

4〜5時間冷蔵庫で寝かすだけという簡単なものだが

作ると、子どもたちがとても喜んでくれた。

昨日も今日も、食事の終わるごとに「ゆずリンゴ食べる!」という時間があった。

昨晩は次男が砂糖を入れて一生懸命混ぜてくれた。

ボールにいっぱい作るのに、すぐになくなってしまう。

美味しいものは、すぐになくなってしまう。

でも一緒に作ったり、食べたりした思い出はいつまでも残る。

 

友だちとおしゃべりする時間も、すぐに過ぎてしまう。

私に残るのは、交わした言葉と、その思い出ばかりだ。

 

 

子どもたちが帰って、

オンラインのシンポジウムを聴きに行って、仲間たちと共に学び合って、

そしてひとりになって、買い物に出かけた。

私は今ひとりだけれど、私が生きる場はたくさんあって、

私はたくさんの人たちとのつながりの中で生かされているんだなと感じていた。

私という人間の価値は、大したことないんだろうと思う。

時々、絶望しそうになるのだ。多分そういうとき、私は私自身の幸せのことを考えている。

でも、賑やかしでもいい、大きな仕事を為そうとしている人たちに協力できるのであれば、

そのために生きていればいいのだと思った。

 

 

いつも野田先生のことを思う。

ありがたいご縁だと思う。

母はパセージで私を育ててくれたから、私は野田先生に育てていただいたようなものだ。

そして、大学生になってからは、個人的にたくさんのおしゃべりをさせてもらった。

たくさんの社会的なこと、政治的なことについて、国家安全保障について、おしゃべりさせてもらった。

それらのおしゃべりが、その後私がアドラー心理学を学んでいくうちに、アドラーの思想を、野田先生の思想を考えるときの重要なヒントになってくるなんて、思いもしなかった。

私はいつも重要なことを見聞きしているのに、それを当たり前のことのように思って、当たり前のようにして過ごしてしまう。

楽しかったおしゃべりは、すぐになくなってしまう。

でも、そのときの思い出だけは残っている。

 

 

人はひとりでは生きていませんよ、社会に組み込まれて生きているんですからって野田先生は仰ったけど、

でも、私はひとりだと思おう。

そう思っておくべきだと思う。

私はひとりであることがとても苦手だからだ。

私は、誰かに依存しやすいからだ。

幼い時は両親に、学校では先生に、大人になってからは恋人や夫に。

大きな決断は、誰かの判断を仰いでいた。あるいは、世間体を考えていた。

でも、大切なものをたくさん捨てた今からは、私はひとりで私と向き合おうと思う。

もちろん私はひとりきりではない。たくさんの人たちに支えられて、愛されて生きている。

でも、私は自分の力で歩いていかなければ。

誰かの判断や世間体でなく、私が自分で責任を持って、私のことを決めていかなければと思う。

 

 

計画していたパセージは、結局延期になってしまった。

私の力不足でもあり、ご縁やタイミングの問題でもある。

代わりに何をしようかな。

限られた時間を、大切に使わせてもらおう。

 

 

私の行動は、きっと側から見ていれば何も変わっていないだろう。

変わったのはモチベーションだ。

ゆずの味と香りは、どんな食材や料理に合わせても変わらない。

その独特さは、レモンやライムやカボスやスダチとは違う。

どれも、独特の風味で、他に代わりがない。

私がどれだけ変化をし続けても、それと同じように私の風味は変わらないのだろう。

私を上手に使って、お役に立てるように。

他の食材たちと溶け合って、新しい、良いものを作っていけるように。

どんな使い方ができるのか、楽しみながら試し続けてみようと思う。

 

投石

今日も子どもたちが来てくれた。

電子ピアノと一緒に。

 

私は物持ちが良い方だと思うのだが、この電子ピアノは最長のお付き合いじゃないだろうか。

私が幼稚園の時にピアノを習い始めた時、買ってもらったものだ。

阪神大震災で全壊になったマンションから父が運び出してくれた。

その後、中学生からは母の実家にあったアップライトピアノをもらって使っていたので、

父の友人の家で数年使ってもらっていたはずだ。

私が大学で一人暮らしを始めて、あまりに寂しいのでピアノが弾きたくなって、

それで私の元に戻ってきた。

長男がピアノを習い始めることになって、その時にアップライトピアノを買ったので、

この電子ピアノは子供部屋の隅に置かれていた。

そのピアノが、ひとり暮らしをしている私の元に再び戻ってきたのだ。

部屋にぴったり収まった。まるでずっとそこに居たかのような顔をしている。

私はもうほとんど弾けないんだけど、少しずつ思い出していこう。

 

 

次男が家から『グリム童話集』(岩波少年文庫、下巻)を持ってきていて、「ふたりの兄弟」を読んでと言った。

双子の兄弟が森に捨てられたり、動物たちをお供にしたり、竜退治したり、お姫さまと結婚したり、魔法使いに騙されたり、死んだり生き返ったり、盛りだくさんの長い物語である。

 

狩人になった双子の兄弟が、空腹なので狩りをしようとすると、

狙いを定められた動物の親たちが、「どうか殺さないでください、私の子どもを差し上げますから」と言って、自分の子を二匹ずつ兄弟に残して逃げる。

ウサギ、キツネ、オオカミ、クマ、ライオンまで。

動物の子たちがじゃれあっているので兄弟は食べる気になれず、全員をお供に連れて冒険するのだった。

 

その場面を読んでいる時、

長男が「ひどいよねこの動物のお母さんたち。子ども捨てて逃げるなんてさ。ぼくのお母さんは優しいお母さんでよかった〜」と言った。

次男は、私をニヤッと見ながら、「そうかなあ」と言った。

長男「え、お母さんは優しいお母さんだよ」

私「…しゅんすけは、お母さんがお家を出て行ったから、子どもたちを捨てたと思ってるの?」

次男「…ん〜」首を傾けてニヤニヤしながら私を見ている。

長男「捨ててないよ!」

次男「ん〜」冗談めかしてはいるけれど、目は真剣だ。

私「この家にいっぱい来てもらえるようにしてさ、食べたいっていうご飯作って、一緒にお風呂入って洗ったげて、今もこうしてご本読んであげてるのに〜」

次男「うん。でもさ。」

私「そう…。」

次男は仰向けに寝そべっている私の上に乗って、身体全部を私に預けながら、偉そうな顔をしてページをめくった。

「続き読んで。」

私は続きを読み始めた。

次男の頬や手が、ずっと私の頬に触れていた。

 

次男が感じていることが次男にとっての本当なのだろう。

そのように伝えてくれたことは、ありがたいと思った。

私が彼を思う気持ちは、受け取ってくれていると信じている。

けれど、寂しい思いをさせていることも本当だ。

長男は優しいから、私を気遣ってくれているのだろう。

私はそこから目を逸らしてはいけない。誤魔化してはいけない。自己正当化はしたくない。

どれほどの理由があるにしても、彼らに寂しい思いをさせていることは事実だ。

彼らと共に暮らすことをやめたのは、私の決断であって、

それを子どもを捨てたと言うのであれば、それはそうなのだ。

 

このようなふざけた生き方を選んだ私が、誰かの援助をするということ、それも子育て中の方々の援助をすること、

ほんとにふざけてるなと思う。

いや、私はいつだって大真面目なんだけど、不適切だとか不謹慎だとか非常識だとか思う人もいるんだろうと思う。

それに対して、私は言い訳したくないと思う。

批判は、甘んじて受けようと思う。

私がどれほど子どもたちのことを思って、子どもたちのために最も良い方法を選ぼうと、為そうと努めていても、

私が子どもを捨てたことに変わりはないのだから。

 

私は誰に対しても、偉そうな口をきけないなと思うようになった。

私は誰かを糾弾できるほどの立派な人間ではない。

今までだってそうだったのだろうけど、そのことに気づかないほど私は傲慢だった。

自分が潔白であると思い込んでいられた。

今は、自分がマグダラのマリアに石を投げる資格がないことを自覚できるようになった。

それは成長だろう。

そして、子どものためにという自己欺瞞を、多分、しないでいられるようになったと思う。

全部が全部、私のためなのだ。

そのことに気づけたのは、子どものためになるだろうと思う。

 

 

私は人と衝突することがほとんどなくなった。

自分の思い通りにならないとき、相手に委ねることが多くなった。

自分の意見を言った後で、相手の意見に従うことが多くなった。

だがそれも、相手のためだったのではなくて、

私が好いてもらえるようにとか、嫌われないでいられるようにとかという、私のためだったのかもしれない。

それで、でも、それ以上に私が相手のためにできることは思いつかない。

相手のためにがどういうことなのかと考えられるようになったことだけは、私のためにを手放していると言えるだろうか。

 

全てが映画のワンシーン

今日は今年初めてのオンライン勉強会だった。

野田俊作ライブラリの勉強会。勤勉な仲間たちである。

 

いくつかの勉強会でご一緒している仲間たちとは、他の勉強会での学びがリンクして、

互いの中で新たな学びの成果が生まれていることを感じることができる。

そして学び合うその相互作用の中で、どんどん学びが深まっていく。

ベイトソンアドラーという巨人と、野田先生のまとめられたアドラー心理学と。

勉強は仲間とするものだ。

(対照的に、ひとりでしている資格試験の勉強に、いよいようんざりしてきている…)

 

私は趣味らしい趣味のない人間で、遊ぶこともできないつまらないタイプなんだけど、

本当に、ベイトソンアドラーを学んでいくことだけで、楽しく生きることができる。

言葉の意味をひとつひとつ深く考えて、言葉を足掛かりに答えのない問いをいくつもいくつも考えていくことが、私の冒険だ。

そしてその学びを使って、実際にカウンセリングやグループカウンセリングをして、誰かのお役に立てることができたとき、私は自分を使っていただけたと幸せに思える。

そうやって人々の中に組み込まれて生かされながら、私の物語を作っていっているんだなと思う。

 

人生を物語だと思うと、大変なタスクが降りかかってきても、ああ今度はそういう展開ですか、と思える。

昨年はけっこう大変なタスクが降りかかってきたけれど、

大きな物語の中では、そういう山場も必要だと思うし、

私個人の視点から見ると、おかげでずいぶん成長させてもらったと思う。

これを悲劇ととらえるか喜劇ととらえるかは、私の受け取り方次第なので、その意味づけの仕方だけは全くの自由なのだ。

どうしようもならないことばかりだ。

でも、生きていくって多分そういうことなんだろうと思う。

私を恨む人たちも、私に何か大切なことを教えてくださっているんだと思う。

 

私は、人は差異によってしか物事をとらえることができない、というベイトソンソシュールの考え方を採用している。

だから、私と違う立場の人たちのおかげで、私は自分が大切にしたい価値観に気づくことができていると思う。

関係性がどうであるかという低いメタのことはさておいて、大きな物語として高いメタの位置から見てみれば、

自分と異なる価値観を良いと信じる人たちの存在は、とてもありがたいものだ。

対比できる相手のおかげで、自分が何者であるかを知ることができる。

そこでどちらが正しいかを決めようとするから、争いが生じるのだ。

 

 

相手を裁かずに、真の意味で価値相対的な立場に立つのは難しいが、

その立場に立った上で、自分の良いと信じる価値を選ぶことができればいいなと思う。

何が正しいか善いか美しいかなんて、主観的な判断に過ぎないと思う。

人間はそんなに賢いものではないと思う。

けれど、人間らしく生きるということは、自分の良いと信じる価値観を、信念を抱いて生きることだと思う。

何にも価値を見出せないのは、絶望した状態だと思う。これを虚無主義ニヒリズムに陥った状態という。

時々私も絶望しかけるが、私は価値を見失うことだけはない。

だから、私は虚無主義者ではない。

そして私は、目に見えるものだけを信じる実在主義者でもない。

 

野田先生の「価値相対主義の系譜」という論文を、以前オンライン勉強会で仲間と学び合ったが、もう一度読み直してみたいと思う。

上に書いたようなことについて、詳しく書かれている難解な論文だ。

でも今なら、野田先生の書いておられることが、少しは理解できるかもしれないと思う。

 

 

物語という考え方は、野田先生のアドラー心理学の根底にあると思う。

そのようにものを見るようになってしまうと、全ての場面が舞台になり、全てのエピソードが映画のワンシーンになってしまう。

なんという魔法にかかってしまったんだろうか。

もう人のせいにできない。

私はこの人生を劇として楽しんでしまう。

この味気ない試験勉強は、うんざりしながら取り組む場面なのだ。

これからまた大変なタスクがやってきても、私はまた嘆いたり落ち込んだりしながら、向き合って取り組むのだろう。

 

そういえば私は解離度がけっこう高かったのだった。

それが多分ストレンクスとして発揮できているのだろうと思う。

この人生は、私が幸せになるための物語ではないから。

そう思って、どこまで自己執着を手放していけるのか、美しい物語を作っていけるのか、楽しみだ。

 

ただしこれは、自己犠牲とは全く違う地平にあるものだ。

自己犠牲は、美しくない。

そこに人々との相互作用の中で作っていく物語は見出せない。

自己完結しているところが、違うのだろう。

私が人々の幸せを願うように、人々も私の幸せを願ってくださっているのだ。

だから、私ひとりが幸せになることを目指すのと同様に、私ひとりが不幸せになることを目指すことも、

共同体感覚に向かう美しい物語とは違うものになるのだろう。

幸せな人々の中に組み込まれて、自分の役目を果たしていれば、私は幸せに生きられる。

これがアドラーの言った幸せの定義だと、私は理解している。

とてもシンプルだ。

真理はいつだってシンプルだ。

 

 

「六号病棟」

冬休みが終わった。

子どもたちは夜ご飯を食べてから帰って行った。

宿題は、一応終わらせた模様。

この年齢からやっつけ仕事のできる、特に1年生の次男は大変要領が良くて器用な人間だ。

きっと上手に生きていけるだろう。

私よりずっと社会適応度が高い。

2人とも、働き者だしなあ…。また勝手に劣等の位置に落ちる私。

 

今回は、長男と2人で買い物に行ったり、次男と2人で買い物に行ったりした。

長男は読んだ本のこと、学校の友だちのことなどをずっとずっとしゃべっていて、

次男はウルトラマンのこと、昨年度幼稚園で見つけた虫たちのことなどをずっとずっとしゃべっていて、

私にはよくわからないことがほとんどなんだけど、楽しく聴かせてもらった。

彼らがどんなことに興味を持っていてどんなことが好きなのか、彼らがどんな風に感じるのか、

歩きながら、買い物しながら、よく見えた。

長男は、自分で精算できるレジのアプリ(?)を使って、大変頼もしく買い物を手伝ってくれて、献立の相談にも乗ってくれた。

気の合う良いパートナーのような気がした。

次男は、おもちゃ売り場のフックから落ちてしまっているウルトラマンや怪獣たちを、一つ一つ私に説明しながら、拾い上げては元の場所に片付けていた。

さり気なく、良いことをするんだなあと嬉しく思った。

 

2人と買い物に行けてよかった。

年末に雪道を踏みしめて、3人で雪かき用のシャベルを買いに行ったのも良い思い出だ。

今週はもう雪が融けて、あの日の吹雪が嘘みたいなお天気だったけれど。

私は、買い物が嫌いなのだ。

買い物だけじゃない。家事全般、嫌いなことばかりだ。

でも、彼らと一緒なら、彼らのためになら、楽しむことができる。

不思議だ。

子供っぽい私を、彼らが育ててくれたんだなあと思う。

 

 

 

そう、チェーホフの話を書いていなかった。

色々と衝撃的な話や気に入った話があるのだが、一番印象に残ったのは「六号病棟」だ。

(以下、ネタバレします。)

 

病室の中にいる患者と、病室の外にいる医師。

それがまるで檻の中にいる動物と、檻の外にいる人間のように描かれている。

けれど、精神病棟にいるある患者が話のできる人間だと気づいた医師は、

その患者と話をするために六号病棟を頻繁に訪れるようになる。

それまで自分が患者たちに全く関心を持つことなく、機械的に仕事をしてきたことに気づく。

そしてある日、その医師は正気ではないと他の医師たちから判断されて、その病室に閉じ込められる。

どれだけ訴えかけても、狂人とみなされた自分に返ってくるのは暴力。

そこで初めて、その医師、ラーギンは、患者たちの置かれている状況に気づいた。

 

正気とは、正気とされる人々の共通感覚のことをいうのだろう。

ラーギン医師が人間らしさを獲得していく過程が、そのまま、他の医師たちからすると、狂気に染まっていく過程となる。

この狂気じみた世界の中で正気を保つということの意味を突きつけられる。

 

 

無機質な管理が、あらゆるところへ入り込もうとしているように感じる。

健康のために良い育ちのためにという言葉でもって、教室の中にも、家庭の中にも。

人々のためにという言葉でもって、あらゆる組織の中にも。

私が自由に息をできる場所はどこなんだろう。

私は学校という場所が息苦しくてたまらなかったけれど、学校の外も、学校のようなものに、病院のようなものに見える。

 

…社会適応の高い資格取得のための勉強をしていて、そんな風に絶望してしまいそうになる今日この頃である。

私は、多分、目覚めてからのあのラーギン医師のようになるんだろうと思う。

 

けれど、私はいくつもの美しい物語を生きているから、

この世界がどれほど正気を失っていっても、美しいものを見失わずにいられると思う。

それが狂気の証になるのかもしれないけれど。

 

良い子たち

たくさん残っている冬休みの宿題がなかなか終わらない子どもたち。

昨日と今日はこたつに入って、3人で勉強をして過ごした。

多分明日もそんな午前中を過ごすことになる。

 

漫画を読んだりウルトラマン図鑑を読んだり、コーヒー牛乳飲んだり、干し柿食べたり、

何だか休憩の方が長いような気がするけど、

彼らはバリバリと頑張っていて、2人とも今日はワークを2冊仕上げていた。

(一体何冊ワークがあるんだ?というか、どれだけ残っているんだ?)

私がうんざりしながら資格試験の勉強をしているのに比べて、

彼らはわかんなーいとか言いながらも、結構楽しみながら取り組んでいるように見える。

毎日学校に行って毎日勉強するだけでも偉いのに、

学んだことをちゃんと復習して、理解していくことを楽しんでいる。

しかも効果的な息抜きを既に工夫できている。

…勉強することについて、彼らに対して大変劣等感を感じる 笑

記憶力もすごい良いんですよ。新しい知識をどんどん吸収していく。

そんな彼らが、お母さんもお勉強頑張ってね〜って応援してくれるので、

もうどっちが親なのかよくわからない。友だちだ。

 

彼らが居てくれることがとても嬉しい。

閉じこもって勉強することも、三度三度の食事も、お風呂に入って、早く寝なさいよと散々言ってから布団に入れるのも、

ありふれた日常を3人で過ごすことができている。

喧嘩したり騒いだり散らかしたり、私が不機嫌になることも多々起こるけれど

あの家で一緒に暮らしていたときと、あまり変わらないように思えて、

ありがたいなと思う。

 

彼らにとってはどうなんだろう。

何も問題ないなんてことはないと思うけれど、柔軟に、今の暮らしを受け入れて楽しもうとしてくれているように思う。

あまりに彼らが寛容で、生き生きとしているから、それに甘えているのかもしれない。

私はこの今の暮らしを普通に思ってしまって、思い通りにならない彼らに対して苛立ったりしている。

私はちょっとわがまますぎるのかもしれない。

 

なんだか全部がうまくいかない気がする。

また落ち込んでいるようだ。

年末年始は故郷に帰っていた。

友だちや仲間や母と過ごした。

 

子どもを産んでから私の人生は変わった。

私の人生の最優先事項は子どもを育てることになった。

今の生活になってから、母親という有難い仕事もさせてもらいながら、私は自分の人生を考えられるようになった。

 

今回故郷の港に行ったのは、結婚する前、13年以上ぶりだったのだと思う。

冬の青い空が好きだ。

水面が午後の陽で金色に光っていた。

お洒落だとか何だとか、見てくれの良いイメージを売りにしている故郷を、私は少し軽蔑しながら、

でも、やっぱり緑の山並みと港と強い風が懐かしく、どれだけ街が変わっていっても、大切な愛しい故郷だと思った。

 

私はもうここに住むことはないだろう。

私自身も大きく変わった。

けれど、私には昔からの仲間が変わらずにいて、その仲間たちの中に私は変わらず所属できていることを感じることができた。

いつも私の選択に驚いたり少し呆れたり心配したりしながら、「よくわからんけど、それでいいと思うんやったらいいんちゃう?」って見守ってくれる仲間たちに、支えてもらってきた。

とてもありがたいことだ。

 

私はいつも1人で、容易く幸せの絶頂にのぼる。

そして理想に手が届いたと感じた瞬間、その幸せが壊れて、全く違う地平に倒れる。

多分これが私の人生のパターンだ。

起伏の激しい波だ。

多分バカなんだろうと思う。

でも、やがて消えるものと知っていても、瞬間の幸せの絶頂を味わい尽くそうと思う。

小学5年生の頃、放課後にドッジボールをしながら、濃い青い空を眺めて、私はいつかこの日を懐かしむんだろうなって、思いながら遊んでいた。

山の緑と坂の下に広がる港を焼きつけておこうと思っていた。

あの日から私は大して変わっていない。

ひとつところに居ながら、過去へ未来へ、自在に旅している。

高校生の時もそうだった。

仲間と一緒にくだるあの坂道の先に見える港は、ちゃんと私に焼きついている。

いつか、みんなそれぞれの違う道を進んでいくんだろうと思っていた。

この瞬間は、終わりがあるから輝いているんだと思っていた。

だけどこれだけの長い時間が経っても、また同じ仲間とこの街で会えるんだってわかった今の私は、あの時より幸せだと思う。

 

 

 

晦日と元旦は、オンラインのチベット仏教の集まりに参加していた。

午前11時から午後6時まで、ターラー菩薩のお唱えをするというリトリートである。

母と2人で瞑想しお唱えし続けるという、なかなかに浮世離れした時間を過ごした。

昨年は本当に色々なことがあった。

お世話になった方々、新しい出会い、悲しませてしまった人たち、本当にたくさんの私に関係してくださった人々をひとりひとり思いながら、

そしてこれから新しく出会う人々のことを思いながら、心を鎮めて祈ることができた。

私を使っていただこうと思った。

私が幸せになるためではなく、人々が幸せになるように。

 

母と過ごした静かな時間は、リトリートもそうだったけれど、2人で色々おしゃべりしたことも、美味しい食事も、河原を歩いたことも、いつまでも続いてほしいと思う時間だった。

私が帰れば、母はまたひとり暮らしになる。

私はもう、自分の自由に私の時間を使うことができるけれど、結局私は滞在予定を延ばすことをやめた。

そして帰宅した今晩は、元夫の実家から今日帰ってきた子どもたちが私の家に泊まりに来ている。

 

大切な人たちと過ごす時間はとても短くて、さようならするのが寂しい。

でも人と会うたびにそんな寂しさを感じられることは、きっと幸せなことなんだと思う。

いつかは本当にさようならしなければいけない。

その日が来るまで、また会おうねって言い続けていくんだろう。

 

港のようだ。

私はここに居る。船を待っている。

大切なひとりひとりのことを思って、祈っている。

 

冷たい雪

大雪である。

ほぼ初雪なのに、いきなり大雪警報が出た。

また灰色の世界に包まれる。

 

私は瀬戸内式気候で生まれ育ったので、寒くても空は青いものだった。雪は降っても、次の日には消えるものだった。

こちらは日本海側。灰色の空と、積もっては融けてまた積もる雪が灰色に重なっていく地面。

 

普通に生活しているだけで達成感を感じるほどに、全てが不便だ。

40cm以上積もることもよくあるのに、降雪を見越して整備されていないインフラが問題なのだと思うのだけど、

この町はほんとうに雪に弱い。

もう既に、昨日あたりから県外からの列車はほぼ全て運行休止になった。

(ちなみに県庁所在地のJRターミナル駅ですら、自動改札がない。そういうところだ。)

それでも普段はさして不便を感じずに、文句も言わずに、みんな生活しているのだけど

大雪になると、都会とのあまりの違いにびっくりする。

 

 

雪に閉ざされるところでは、暖かいところとは人々の生活どころか思考まで異なるように思う。

昨日はゴーゴリの「外套」と「鼻」を読んだ。

ロシアの寒さは私の想像を絶するが、

雪の中で擦り切れた外套を着てとぼとぼと歩く下級官吏のことを、私は他人ごととは思えなかった。

そして、彼が貧しい中で必死に工面し、やっとの思いで新調した外套を着た時の喜びといったら!

そして…

続きはここで止めておくけれど、

私は雪の冷たさを知っていて良かったと思った。

 

暖かいところでぬくぬくと、私は生きてきた。

そのときの私も、いつも私は必死だったし私が一生懸命に生きてきたことに違いはないけれど、

ほんとうの冷たさや寒さを知らずにいた。

私は、雪の降る中を裸足で歩くマッチ売りの少女やゲルダや、擦り切れた外套を着た下級官吏の感じている身を切るような思いを知らずにいた。

それでいて、彼らを理解しているつもりでいた。

そういうところが傲慢なんだと思う。

 

傲慢であることの裏側にあるストレンクスが、私には見つけられない。

けれど、今私は、ようやく物語を自分のこととして感じることができるようになってきた。

雪の冷たさを肌で知った。

そういう経路を辿って、やっと、傲慢さからくる何かを乗り越えられるようになってきているのかもしれない。

そうかもしれないけれど、私はあたたかいダウンジャケットや手袋やブーツに包まれている。

私にはあたたかい家があり、布団があり、こたつもある。

裸足で雪の上を歩くゲルダの痛みは、わかることができない。

そのことをいつもわかっていなければならないと思っている。

 

 

雪の中で生きるのは大変なことだ。

でも、雪と共に生きる人は強い。

人々と助け合って暮らしていかなければ生きていけないことを知っている。

そして、手袋や温かい飲み物のほんの少しのぬくもりが、どれだけ人の支えになるかを知っている。

 

 

もしかすると、私はこれから、今までとは全く違うところで仕事をいただくことになるかもしれない。

私でお役に立てるのかどうかはわからないが、

雪の中で、寒いですねと手を取ることぐらいは、私にできるかもしれない。

いつか春が来てあたたかい陽が差す日について語り合うことぐらいは、私にできるかもしれない。