『価値相対主義の系譜』

今日は野田先生の論文のオンライン勉強会でした。

 

この勉強会ではウィーンの歴史も並行して勉強しています。

やっと!アドラー生誕の5年ほど前までたどり着きました〜!

中世の人たちや、近代に入ったころの人たちの考えは、

あまりに社会のあり方や思想風土が違いすぎて、私には思い至らない気がするのですが、

アドラーは完全に近代社会に生まれ育った人なので、現代人と思想的に連続している時代の人だと感じます。

だからアドラーの考えは、理解できそうに思います。(しかも彼は時代の先を読めた人ですからね。)

 

 

異なる意見の人と、陰性感情を交えずに、

そして自分の意見を曲げることも、相手の意見を曲げることもなく、

あなたはそうお考えなのですね。なるほど。

私はあなたとは違っていて、こう考えています。

という「対話」が、私は最近ようやくできるようになってきた気がします。

何かを決断しなければならないときは、そうやって対話した上で、

どちらかの意見に基づく選択肢か、あるいはまた別の意見に基づく選択肢か、互いの妥協点を探した結果のまた別の選択肢か、

いずれかを選ばなければなりませんが、どの選択肢に決まっても良いと覚悟できるようになりました。

世の中は自分の思い通りにはならないものだし、

自分の意見が絶対に最善で正しいとも限らないし、

この選択肢を決めるに至るプロセスが、対話が、また私の成長の糧になるだろうと

思えるようになったのです。

 

実践的価値相対主義の立場に立てるようになってきたのかな。

とはいえ、自分の私的感覚でもって人を裁いていることもままありますけどね。

でも、ああまた私は実践的価値絶対主義の立場に陥っているぞと気づくと、

そこでストップして、自分の大切にしている価値観を一度相対化して、

どのように使うのがより建設的かな、と考えることができます。

 

私はいつもいつも、価値判断をしているのです。

そのことに自覚的でありたいと思います。

そうすれば、自分とまったく異なる価値観を持つ人たちのことを、悪いとか間違っていると裁いたりせずに、

必要があれば対話することもできるようになるかもしれません。

…私にとっては道が遠いけれど。

でも、そういう目標を立ててみようと思います。

 

 

逸話

今日は野田俊作ライブラリのオンライン勉強会だった。

 

ドキドキの1年生第1日目。今日は午前中授業。

おそらく走って帰ってきた次男は、

つかれた〜!と床に倒れて、しばらく仰向けのまま床の上でくるくると回っていた。

お友だちできたよ!ときらきら顔を輝かせていた。

 

 

長男が1年生のときは、私もおそろしく緊張していた。

気の毒だったなと思う。

入学式の日に持ち帰った書写の教科書の全ページに字を書き込んでしまって、

これは学校で指示があってから書くものだよと私がきつく言って、

泣いてから消しゴムで全部消したりしていた。

 

長男はなんて向学心のある人なんだろうか。

そういうところをもっともっと見てあげればよかった。

何も心配なんていらなかったのに。

もっと私が落ち着いて、長男と話し合えばよかったのに。

…まあ、後悔しても仕方がないので、もう私は落ち込んだりはしないけど。

その後1年生の3学期に長男がたいへん荒れたのは、

そういう私の長男への対応や、私の長男への尊敬や信頼を欠いた態度の結末だったんだと、今は思う。

 

 

長男のおかげで、私は次男とのつき合いは、少し学んで、

彼のメンツをつぶさないよう、私の意見を押し付けないよう、気をつけているからか、

長男のときよりは良好であるように感じる。

私が子どもを信じる勇気も、育ってきたように思う。

それに、今は頼もしい仲間となってくれた長男が、次男に様々なことを指導してくださる。

本当にありがたくて、たいへん助けられている。

 

「しゅんすけ、書写の教科書はね、今書き込んだらだめだよ。学校で書くんだよ。

 お兄ちゃんは教科書もらってすぐに書いちゃって、あわてて消してたいへんだったんだよ〜 笑」

「え、そうだったの!ぼく字書けないから書かないよ。お兄ちゃん字書けたの?」

「うん、書けてたよ。なんでかな。でも、しゅんすけも書ける字あるでしょ?

 それにさ、すぐに書けるようになるよ。学校で全部教えてもらえるから。」

「あ、おれ、『し』と『く』と『つ』と『い』は書けるぞ!」

「あと『り』も書けるでしょ。『け』は?」

「『け』も『こ』も書ける!あと、『に』もかんたんだな。

 『す』はむずかしいんだよなあ…」

「あー、『す』はちょっと難しいね。でもすぐに書けるようになるよ。大丈夫。」

 

自分の失敗を逸話として語り、優しく指導する長男。

次男のできることに言及し、挑戦しようと思えるように勇気づけている。

パセージ実践のお手本として学ばせていただこうと思ったのだった。

 

 

今、1年生の次男を見ている私は、とても落ち着いている。

長男がいてくれるから、というのも大きい。

次男は大丈夫、と信じられるようになっている。

実際、次男の方が長男よりも相当に要領が良いということもある。

 

1年生のドキドキを、私がちょっと楽しんでいることに驚いている。

私が不安だったんだ、きっと。

 

4人の入学式

今日はお母さん業の日。次男の入学式でした!

 

お兄ちゃんのお下がりの制服を誇らしげに着て、ぶかぶかの制帽をかぶって、

もう散ってしまった桜のアーチをくぐって、はしゃいで登校しました。

はしゃぎすぎてふたりでぶつかり合いを始めて、

こけて足をすりむいて泣いたのは、多分次男の記憶にはもう残ってないかもしれないけれど。

授業を終えて遅くに帰宅した長男が、帰るなり

「しゅんすけの入学式、お兄ちゃんも教室のテレビで見ていたよ。そうしくん同じクラスだったね!全部知ってるよ!」

と優しく言っていたのは、ハレの日にはちょっとまずかったなと思っていたからのような気がします。

 

 

受付時間よりずいぶん早くに着いてしまったのだけど、

お友だちが来るのは今か今かと、私から離れて道の真ん中に仁王立ちで待っていました。

受付始まったから行こうか、と言っても、お友だちと早く会いたいんだ、待って一緒に教室に行くんだと主張していました。

貼り出してある名簿を見ると、同じクラスでした!

教室で待っていたら会えるよと言って、ようやく次男は動いたのでした。

そしてそのお友だちも、

「もししゅんすけと同じクラスじゃなかったら…休み時間になったらおれ、外に出る。そしたら外で遊べるからな…そうすればいいだけだからな…」と、

次男と同じクラスになれるようにと願っていてくれたそうです。

 

入学式の後、お友だちの車に乗せてもらって、みんなで幼稚園に向かいました。

卒園式の写真などを受け取りに行ったのです。

制服姿を先生方に見ていただけて、緊張がほどけたいい顔になっていました。

「ふたりとも、制服似合うね〜!なんか急にお兄さんだねえ!」

って、先生方もとても喜んでくださいました。

「ぼくたち同じクラスになれたんだよ!」

「それはよかったね。ほんとによかったね。」

思わずぴょこぴょことその場で跳ねるふたり。

それから、同じ幼稚園から一緒の他の子たちのクラス分けがどうなったかとか、

少し賢そうな口ぶりで報告しているふたりがかわいかったです。

 

 

長男は同じ幼稚園からはたった一人でした。

だから、自分がしっかりしなければと、とても気を張っていたように思います。

「でも、受験の時に仲良くなった子が何人かいるから大丈夫だと思う。」と言って、

入学式の当日、すぐにたくさんのお友だちを作っていました。

長男は周りを巻き込んでいく力が強い人なんだろうと思います。

小さい頃から、公園の遊具で遊んでいる見知らぬ子たちと鬼ごっこを始める子でした。

しかも自分でルールを考えて、こうやろうぜ!と声をあげて、遊びを展開させていくのです。

先日のお花見でも、みんなの動きをよく見ていました。

あの日は小さい子が多かったから、あんまり自分のこうしたいという意見は言わなかったように思います。それも、成長だなあと今気づきました。

一方で長男は、幼稚園のときに一番仲良しだったお友だちとは、ふたりでひっそりと遊んでいることも多かったです。

ふたりで絵を描いたり、ふたりで深い穴を掘ったり、ふたりで池の中の生き物を観察したり。

とても遊ぶのが上手です、と幼稚園の先生に言っていただいたことを思い出しました。

たくさんのお友だちとの外遊びも、一人で集中して工作したりするのも、少人数でゲーム要素のある遊びをするのも、どれも上手です、と。

 

 

そういうお兄ちゃんがいて、次男はどんな風になるのかなと思っていました。

結果、お兄ちゃんについて行けば面白いぞ、という信念を持っているように思います 笑

喧嘩もいっぱいするんだけど、お兄ちゃんと遊ぶのがすごく楽しそうです。

お兄ちゃんも一緒にたくさんの子どもたちと遊ぶのも、お兄ちゃんとふたりで遊ぶのも、それからお兄ちゃんのいないところで自分のお友だちと遊ぶのも、

そこでの次男の動き方は様々ですが、次男も独創的で遊ぶのが上手なように思います。

でもね、やっぱり仲良しの人が側にいる、ということがとっても大事な人のようにも感じます。

 

いいね、弟って。

お兄ちゃんが一緒だもんね。

「おにいちゃんは ぼくをたすけてくれるひと」なんだよね、きっと。

(『あなはほるもの おっこちるとこ ーちいちゃいこどもたちのせつめいー』より)

 それに、次男はお友だちを作るのも上手なんだろうと思います。

相思相愛のお友だちがいること、幸せな人生だと思います。

 次男も、心配いらないなあと思うのです。

 

 

 

私の小学校入学のときの早期回想を思い出しました。

ーーーーーー

私が小学校一年生の入学式、とても緊張していたことを覚えています。

父が珍しくネクタイをしていました。

山の上の学校で、バスに乗って、そこから30分ほど坂道を歩くのです。

これから私ひとりで行けるんだろうかって、とても不安でした。

 

教室はとても明るくて、先生は面白い男の先生でした。

前の席の女の子は優しくてすぐに仲良くなりました。

隣の席と斜め前の席の男の子たちは面白い子たちでした。

(関西人にとって「面白い」は、とても大事な価値観なのです。

 そしてそれは、私の父と同じ類の人という意味で、私にとってはとても安心する人という意味でもあるのです。)

 

運動場に出て写真を撮ることになって、

靴を履き替えてみんなが走っていたから、一緒に走り始めたら、

私はこけて、ひざをすりむきました。血が出ていました。

前の席の女の子と後ろの席の女の子が、「わあたいへん!大丈夫?」と言って私を起き上がらせてくれました。

「大丈夫」と私は言いました。

白い運動靴が砂まみれになってしまった、と私は残念に思いました。

そのふたりの女の子は、

「先生!けがをしちゃった子がいるので保健室に行ってきます!」と言って、

私の背中に手を当てて、保健室へ連れて行ってくれました。

なんで私はこんなに優しくしてもらえるんだろうって不思議に思いながら、嬉しく思いながら、

でも、騒ぎになってしまって恥ずかしいなと思っていました。

保健室で消毒してもらうと、すごく傷にしみました。

こけて、ひとりで立ち上がって、けがしたことは秘密にして、そーっとそのままみんなと一緒に並んでいたらよかったなって、ちょっと思いました。

でも側で心配そうに見てくれている女の子たちがいてくれて、とても嬉しかったです。

 

母と父は、えー!いきなりたいへんなことになってしまって大丈夫かこの子は?とびっくりして、心配していたように思います。

なんで何もないとこでこけんねん!と、後で父が何回も、何年も、言っていた気がします 笑

ーーーーーー

 

私は小さい頃、よくこけていました。

いつもひとりでこけて、ひとりで痛いなあって感じて、

ひとりでがっかりして、傷を確かめて、

そして立ち上がって、なんでもない顔をして、また歩き始めていました。

痛くても血が出ていても、私はひとりで歩き続けないと家に帰れない。

だから痛かろうが血が出ていようが、私はひとりで家まで歩き続けるんだ。

家は安全なところ。家にたどり着きさえすれば、お母さんがなんとかしてくれる。

そんな感じです。

自立しているんだか依存しているんだか、よくわからないですね。

自分のことはわかりません。

 

この早期回想は、実はよくない早期回想だったんです。

みんなの前で恥をかいて、

しかも集合写真の撮影を遅らせるという迷惑をかけてしまった、

そして両親を心配させてしまった、よくない早期回想でした。

けれども不思議なのは、今思い出したとき、私は女の子たちの優しさがとてもとてもありがたくて嬉しかったのです。

全然、よくない早期回想でなくなってしまっていました。とてもよい早期回想です。

優しくてよく気がついて、賢い女の子たち。

私はいつも、そんな女の子たちに守られて生きてきたのかなって、思えたのです。

 

私はとても「どんくさい」(不器用、不恰好、要領悪い、そんな意味です)。

それが私の劣等の位置です。

だからとても恥ずかしくなるのです。自分は失敗しやすい人間だと思っているみたい。

周りの女の子たちは、みんなしっかりしていて、器用なんですね。多分。

ああ、私の母もそういう女の子です。

私がつまづくようなところを、華麗に通り過ぎていく。

それを補償しようとして、私は賢くなろうと、がんばったのかもしれません。

でもそれは過補償だったかもしれませんね。

私は「どんくさい」から、よくこけるから、よくつまづくから、よく失敗するから、

それが私のいいところなのかもしれないなって、思えるようになりました。

私はいつも一生懸命がんばるのです。

いっぱいつまづきながら、いっぱい失敗しながら、それでもがんばるんです。

そして周りには、私の失敗を、あたたかく見守って、助けてくれる人がたくさんいます。

とても幸せなことかもしれません。

私にとっても、それから、私を助けてくれる人たちにとっても。

 

 

 

今日の次男の安心しきった顔を見て、弟はいいなって心から思いました。

同じ学校にお兄ちゃんがいるって、どれほど心強いんだろう!

 

そういえば私の弟も、お姉ちゃんがいるから♪ってよく言っていた気がします。

1年生の弟と、毎日一緒に学校に行きました。

私の教室に、弟はよく遊びに来ていました。

「えー全然似てない!弟めっちゃかわいいやん!」というクラスメートの反応も、若干こたえましたが 笑

「かわいいでしょ!」と、心から思って、私は応えていたのでした。

 

 

 

 

桜のアーチの下、ぶつかり合いになった発端を思い出しました。

「しゅんすけ、お尻ぷりぷりでかわいいね!1年生ってかわいいね!」

と長男がにこにこ言ったのでした。

それで次男が「なんだとー!クソガキが!ぶっころすぞてめー!」と笑って言って、ぶつかって行ったのでした。

…うん。男の子どうしなんてこんなものでしょう。

 

 

咥え合う蛇

今日はベイトソンのオンライン勉強会だった。

 

あるひとつは、別の何かたちとの関係性の中で定義されていく。

機能は、別の何かたちとの関係性の中で生まれる働き。

また別の何かは、他の何かたちとの関係性の中で定義されていく。

互いの尻尾を噛み合っている蛇の紋章のように。

 

私も、この関係の中から切り出した「私」はなくて、

他の人々との関係性の中に存在する。

 

 

組み込まれている良い循環を、あるいは悪い循環を

変えていくこと、あるいは断ち切ることは、

たいへんなことである。

 

パセージで行おうとしていることは、実はそういうことである。

親子の悪循環を断ち切り、良い循環に変えていくこと。

一方が尻尾を咥えるのをやめても、自分の尻尾は噛まれている。

良い循環を作るためには、技術も要れば、時間も要るだろう。

相手を待つということ、相手の立場に立つということ、

相手を尊敬し信頼するということがなされていなければ、

形を変えた悪循環を作ることになるかもしれない。

 

良い循環を作っていくには、

しかしまず、自分がこの牙を離し、相手の尻尾を自由にするところから始まるだろう。

 

 

 

使えない魔法

今日はアドラーの著作のオンライン抄読会だった。

 

『人はなぜ神経症になるのか』という本をふたりで学んでいる。

1年以上かけて、まだ11章中の5章の真ん中である。

お互いの事例を出し合いながら、毎回新たな学びがあり、自分の治療者としての実践にかなり役立っていると思う。

 

自分が治療者としての実践を積んでいけばいくほど、治療者としてのアドラーのすごさを実感する。

恐ろしく洞察力が優れている。

そしてどこまでもクライアントの有用な側面を見続けていると思う。

治療者の気をつけるべきことなども、様々に書いてあって、彼が100年前の時代の人であることを忘れてしまう。

まったく現代にも通じることばかりなのだ。

 

治療者は、自分のライフスタイルが混入しないように気をつけなければならない。

自分が評価されることを望んではいけない。

クライアントを正そうと強いてはならない。

けれども、クライアントが共同体感覚を育成させられるように、やさしく導かなければならない。

どうやって共同体感覚を育成するかというと、

クライアントが治療者との関係性の中において、良い関係を学ぶことによって、育てていく。

そのために治療者は自分の価値観を離れ、自分への執着を捨て、クライアントを正そうという目標を捨てなければならないのだ。

治療者がクライアントを裁いている限り、決してクライアントさんは勇気を持って自分の人生を歩んでいくことはできないだろうと思う。

 

以上のことは、私は野田先生から学んだことだ。

そのことが、まったくそのまま、アドラーの著作に書かれている。

何度も読んだけれど、私はようやくアドラーの言葉が、野田先生から学んだことと結びつき、自分の実践と結びついてきたと思えるようになった。

アドラーや野田先生は極めてあっさりと言う。

その言葉の本当の意味を、私は今、それがどれほど難しく高度なことであるか、感じている。

野田先生は私に、「あとは場数です」とおっしゃったけれど、必要なのは場数だけではないだろう。

どこまでもどんなときでもクライアントさんと対等で平等な関係を築いていく、その構えは、言葉だけではわからない。

クライアントさんと平等な位置に立ち続けるためには、治療者自身がそれを保てるようにたいへんな勇気を持っていなければならないと思う。

そして、クライアントさんが必ずご自身でこの困難を乗り越えていけるはずだと、どこまでも信じる勇気を治療者が持っていなければならないと思う。

私がこの方を救うのではない。

私のお役目は、この方が自分自身を救うために、この方が気づいておられない共同体感覚を呼び覚ませるように、わずかなお手伝いをすることだ。

 

 

治療抵抗が起こるときは、必ず治療者である私が悪いのだ。

クライアントさんのことを正しく理解できていないか、あるいは、クライアントさんを裁いているか、何かを強いているか、

そういう私の誤った行動によって、クライアントさんが身体や言葉で教えてくれるのが抵抗なのだと思う。

だから、抵抗にあったとき、私の誤りに気づかせてくださってありがとうと思うようになった。

もしそのまま進めてしまったら、きっとクライアントさんのためにならない。

「抵抗にあったら、引っ込むこと」。

野田先生は、はあはあそうですか、などと仰って、さらっと話題を変えておられたように思う。

そうするとクライアントさんは、あっさりと抵抗をやめて、機嫌よく話しをされる。

 

私もそうだった。

一度、野田先生の講座で、エピソード分析のデモをさせてもらったことがあった。

野田先生がカウンセラー役、私はクライアント役。

私的感覚を出してもらうときに、うーんと私が考え込んだとき、

「なんかややこしそうやな、ここは触らんとこ。これはどうですか?」

と仰った。

あ、助かったと感じ、新しく出てきた「これ」について負担なく考え始めることができた。

 

久しぶりにあの日のデモを思い出した。

クライアントは、カウンセラーに導かれている。

そのことをクライアントとして私がメタで意識したとき、とても安心感を感じた。

私が自由に考え、話し、決めていくことができるのだけれど、

カウンセラーがちゃんと私を守ってくれていると、ずっと感じていた。

カウンセラーは道筋をたくさん選択肢として持っていて、いつも私の様子を見ながら、どれがより良いのかと考えてくれているんだって、

私と一緒に歩いてくれているんだって、感じた。

 

 

私が治療者として、パセージのメンバーさんたちやカウンセリングのクライアントさんたちに対して、

どれほどアドレリアンセラピストとして適切な働きかけができているかは、わからない。

ある程度の有効な働きかけはできているだろうけれど。

私の目指しているところは、野田先生の魔法のような治療の境地なのだ。

きっと到達できない。

きっと到達できないけれど、そのような高い理想のモデルがあることを私は幸せに思う。

私はいつまでも、その理想へ向かって、努力し続け、成長し続けることができるから。

もう何にも惑わされることはない。

私のすべきことが何であるかは、明白だから。

 

 

契約

今日はパセージ第5章でした。

 

今日は始まりからしばらく、私がしゃべりすぎる傾向があり、

パセージリーダーらしい振る舞いがあまりできていなかったように思います。

途中で持ち直しましたが、けっこう反省。

しっかりと意識を保たなければ…

 

 

 

昨日の午前中は、子どもたちふたりをお友だちのお家で預かっていただいていました。

計画段階からふたりとも大興奮だったのですが、自助グループのときの喧嘩のこともあったので、

どうやったら喧嘩せずに過ごせるかということについて、前日の夜に話し合いをしました。

 

お互いに、「〜をやめてくれたらぼくは喧嘩しないでいられる。」と言い合うふたり。

それなら、お互いにやめてほしいことやお願いしたいことを同じ数だけ伝え合って、契約書を作るのはどうですか?と提案しました。

(これ、夫婦カウンセリングで使われる手法です)

ふたりとも合意してくれて、お互いに伝え合って、それぞれについてわかった、と言っていました。

 

長男から次男へ

「・泣かないでほしい

 ・筋のとおった会話をしてほしい

 ・まねをしないでほしい

 ・物をひったくらないでほしい

 ・なるべくひていしないでほしい

 ・たたかないでほしい      」

 

次男から長男へ

「・ぼう力しないでほしい

 ・こわいまねしないでほしい

 ・物をひったくらないでほしい

 ・まねしないでほしい

 ・ひとりじめしないでほしい 」

(次男の方が要望が少ないのは、もうこれ以上思いつかないよ〜かんべんしてください〜と言ったため 笑) 

 

長男はポストイットにこれらを書き留めて契約書を作成し、

当日の朝、大事そうにポケットに入れて、ふたり仲良く出かけました。

問題が起こったら、契約書を確認して、ここに書いてあるお願いをきこうということだそうです。

 

お花見から帰宅して、夜ご飯のときに、午前中はどうだったの?と聞くと、

「まあまあ仲良くできたよ。契約書は一度も使わなかったよ!」

と報告してくれました。

 

 

 

無意識は、自分の楽な方を選びます。

自分の手慣れた方法を手放し、その場に応じた振る舞いをするためには、

訓練と制御する知恵が要ります。

相手のために、周りの人たちのために、私ももっと成長しなければと思ったのでした。

 

桜吹雪

今日は自助グループのお友だち親子を誘ってのお花見でした。

私たちの町は小さな城下町でした。

お城の跡地になっている小高い山が桜の名所で、

少し登ると、町が一望できます。

私たちの物語の舞台です。

 

ご一緒したのは、私の開催したパセージを受講しているメンバーさんたち5人と、その子どもさんたち。

子どもたちは9人!2歳〜10歳。

今週自助グループの定例会などに来てくださったメンバーさんたちとは、また違う顔ぶれです。

3人のお母さんメンバーさんは、それぞれの受講された時期が違うので、初対面どうしでした。

けれどもパセージという共通言語があって、私ともうお1人のコアメンバーさんと懇意なので、瞬く間に打ち解けておられました。

 

私がひとりだちしてパセージを開催し始めてから、3年目に入りました。

今のコースが6回目なので、受講してくださった方の数は延べ人数で約40人になりました。

ありがたいことに、たくさんのメンバーさんたちが、様々な形で私とのつながりを保ち、

共に学び続けてくださったり、こうやって遊びにもご一緒してくださっています。

プチパセージや自助グループにだけ参加してくださる方たちも含めると、さらに20人ぐらいの方たちが私とつながってくださっています。

すごいことだなあと驚いています。

私は、社交は苦手なのです。

きっとパセージの場が、私たちを、メンバーさん同士を、あたたかくつないでくれているのだと思います。

これは私の力ではありません。

場の力、そして素敵なメンバーさんたちとのご縁のおかげです。

 

 

自助グループのときには、和室に閉じ込められてよく喧嘩していたうちの子どもたちでしたが、

お城跡の桜の木立の広場では、のびのびと、ご機嫌で走り回っていました。

そうだね、君たちのエネルギー量では、あの和室は狭すぎるね。

いつも、あの部屋で過ごすために、彼らなりにけっこうな努力をしてくれていたんだと思います。

たくさんのお友だちと遊べるんだもの、嬉しくて楽しくて、跳んだりはねたり、走ったりしたいんですね。

 

展望台の周りの石垣を登ったり、降りたり、

体操教室に勤めておられるおふたりのメンバーさんが子どもたちと一緒にけいどろをしてくださったり、

子どもたちは桜吹雪の中、笑顔で走り回っていました。

 

パセージの間、たくさん聴かせていただいたエピソードの登場人物たちが、とても成長していることがわかって、

そしてお母さんとの関係も、よりよいものに成長していることを感じました。

子どもに対してイライラしてしまうと言っていたメンバーさんの、穏やかにお話ししておられる様子。

子どものことですぐに不安になってしまうと言っていたメンバーさんの、ゆったり構えて見守っておられる様子。

私たち自身も、あのときご一緒したパセージの日々を経て、また成長していますね。

こういう幸せなつながりが私にはあるんだってわかって、

これから私は、もうパセージの最終章を迎えることを、そこまで寂しく思わないでいられるかもしれません。

 

 

2019年の6月のある日、

私の自助グループの方たちと、野田先生と私の母とで食事会を開いたことがありました。

そのときにご一緒したメンバーさんが、今日

「あのとき美穂さんのお母さまが、『全然知らない土地に行って、こうやって仲間を作っていっているのがすごいなあと思います』って美穂さんのことおっしゃっていたの、思い出しました。

いいですね。あのときよりも、もっと輪が広がっていますね。」

と言ってくださいました。

すべての出会いが、必然のように思えてしまいます。

本当にありがたいご縁だと思っています。

 

子育ては、ひとりでするもんじゃないですね。

みんなで学んで、みんなで遊んで、みんなで育っていきましょう。

私は野田先生に育てていただいたのです。

野田先生の作ってくださったパセージで育てられたという意味でも、

野田先生の弟子としてアドラー心理学の道を歩んでいるという意味でも。

私に何かお役に立てることがあるのなら、それはすべて師匠のおかげです。

そして、私を支え、親しくおつきあいしてくださるみなさまのおかげです。

また来年も、お花見に行きましょう。

そして桜吹雪の中で、子どもたちの成長を、私たちの成長を感じましょう。