大根料理人

今日も自助グループの定例会と、野田俊作ライブラリのオンライン勉強会だった。

 

 

春休みの自助グループは、子ども連れのお母さんたちとご一緒した。

今週は火、木、金と頑張った…。

自分の子どもと、メンバーであるお母さんたちの子どもさんたち、

毎回大人が3〜4人、2歳〜10歳の子どもが6〜7人。

公民館の二間続きの和室を借りて、

一部屋が子ども部屋、一部屋が大人の勉強部屋に分かれて

私はパセージのフォローアップやご紹介をし、エピソードを扱って代替案を話し合ってロールプレイをする。

ときどき我が子も私に飛びついてきたり膝に乗ってきたりする。

ときどき折り紙の飛行機が我々の鼻先をかすめ飛ぶ。

ときどき我々の間を子どもたちが走り回る。

ときどきお茶ちょうだいと子どもたちがやってくる。

ときどき隣の部屋で誰かが泣いたりする。喧嘩したりする。ふすまにぶつかったりする。座布団を投げ合う音がする。

ときどき、ぶつかった〜痛い〜と言って誰かが泣きついてきたりする。

ときどき、持ってきた飼育ケースの中の土がこぼれた!と報告があり、

ときどき掃除機をかけている音がする。

控えめに言ってカオスである。

 

けれども彼らは、私たちの勉強を邪魔しようという意図はない。

自分たちの中で、基本的には秩序を保とうと努めている。

二時間半という間、一部屋の和室の中で様々に創意工夫を凝らして遊んでくれている。

片付けも、今日は私たちの勉強が終わる前に終えてくれていた。

 

お母さんたちも本当に素敵で、子どもたちの様子を感じながら、自分が学ぶことに集中してくださる。

待っててくれてありがとうと、帰り際に子どもたちに笑顔でお話しされている。

 

私は騒がしいのが嫌いだし、目の前にごちゃごちゃ動くものがあるのも嫌いで、

しかも自分が頭を働かせて集中しなければならないときにそういう環境にいるということがとても嫌いだ。

次男に背中や腕に飛びつかれながら、2歳の子が泣きながら、長男の大きな声や子どもたちの笑い声や走り回る声が聞こえる中で、

初めて来られたメンバーさんにも学んでもらえるよう進行していくというのは、試練である。

けれども、メンバーさんたちはこの春休みの午前中、わざわざ来てくださるのだ。

私に何らかのお役に立てることがあるのなら、集中力が分断されるようなこの環境であっても、私にはお役目を果たすことができるはず。

 

 

 

他の子どもさんが騒ぐことは、もうあまり気にならなくなってきた。

子どもさん連れのパセージ、何回も乗り越えてきたので、おかげさまで慣れた。

声が聞き取れなかったら、もう一度繰り返せばいいだけだ。

子どもさんを連れてでも受講してくださるメンバーさんのこと、本当に大変だと思うのだけれど、とてもありがたく思う。

 

一番問題なのは、自分の子どもたちがきょうだい喧嘩を始めるときだ。

見事に3日間とも、彼らは遊び方などをめぐって殴り合い蹴り合いの喧嘩をしていた。

たいてい長男が勝ち、次男はひとりでひっそり遊ぶことを選んだり、私のところに逃げてきたりする。

毎回、連れて来る前に「公民館では仲良くしてもらえますか?」とお願いし、

「もちろんです!」と2人から快諾いただいているのだが、効果はない。

最年長である長男は、次男の親友に憧れのお兄さんと思ってもらっているらしく、調子に乗って兄貴ぶりを発揮する。

勢い余って、次男をくさしたりする。

次男は親友をとられたように思ってか、不適切な行動がどんどん増える。

それを長男が厳しく批判する。そして次男はますます所属の危機に陥る。

私はそれを見ているのがたいへん嫌だ。

でもそのまま私が何も言わずに自分の仕事に集中していると、いつの間にか子どもたちみんなで仲良く遊んでいたりする。

また喧嘩になったりもするけれど、結局次男は誰かと一緒に遊んでいたりする。

 

 

 

今日の読み合わせたパセージテキストのページには、「きょうだい喧嘩は子どもの課題」と書いてあった。

…ですよね。知ってます。

子どもの課題は原則的には、子ども自身に解決してもらいましょう。と書いてある。

メンバーさんたちに、パセージを実践しましょうねとえらそうに言っている私自身が、

きょうだい喧嘩に介入するわけにはいかない。

やはり試練である。

 

あーもう見まいと、自分の仕事に集中しようとするが、

そういうときに限って

次男が「お兄ちゃんに叩かれたー」と半泣きで私の膝の上に乗ってきたりする。

はい、「子どもの話を聴く」の実践のタスクが降ってきました。

進行したいんだけれど、ここは瞬間的に次男に対応した方が、早く片がつく。

「そっか。どこが痛いの?」

「ここ〜」と言ってほっぺたを抑えている。

「どうしたら痛いの治るかなあ。」

「う〜ん」と言って私にひっつく。

「ここにいてもいいよ。でも、お母さん今大事なお話ししているから、静かにしてくれるかな?」

「うん。」

よしよしと頭をなでながら、進行を続けた。

猫みたいなもんだ。猫みたいなもんなんだ。

彼は今子どもたちの世界で所属の危機にある。私の膝の上で所属が感じられるのなら、それでいいと思おう。

しばらくそうやっていると、次男はふと立ち上がって、子どもたちの方へ走っていった。

 

 

またしばらくすると、絵本を持って私の膝の上で読み始めたりする。

ぐいぐいと背中で押してくる。

「ごめん、そうされるとお母さん倒れそう…」

「はーい。」

不適切な行動で注目関心引こうと頑張ってるね。

でも私は「不適切な行動に注目関心を与えない」の実践を頑張ろうと努めるよ。

だって前回の定例会で新しいメンバーさんに言ったばかりだし。

私が実践できてなかったらダメだもんなあ…。

その瞬間に長男が「しゅんすけがいない間にこれやろうよ!」と言っている声が耳に飛び込んできた。

何か言いたくてたまらなくなったけれど、

そんな行動こそ「不適切な行動に負の注目を与える」だし、「子どもの課題への介入」だし、「頼まれてもいないのにきょうだい喧嘩で弟の肩を持つ」だし、

ここでパセージのお作法を守り、耐えることは試練以外のなにものでもない!

 

そうしたら、急に次男が立ち上がって、「何やってるんだ〜!」と走って行った。

「あー来ちゃった〜」とか長男は言いながらも、次男も交えてみんなで遊び始めた。

そうだよ、長男はちゃんといいボスをやれるし、次男は言われっぱなしで泣き寝入りするような男でもない。

私の感情は忙しい。

子どもへの尊敬と信頼を私が持てているかは、いつもこうやって試されている。

そしてこの場では、私が自助グループのメタでの進行と同時進行のこの私のパセージの実践を、

今この瞬間、頑張ってます…というギリギリを、お話しすることができる。

パセージの実践ですね、と私を、そして

大丈夫、お二人ともちゃんと自分の課題を自分で取り組める子たちですよ、と子どもたちを、

勇気づけてくださるメンバーさんたちのおかげです。

仲間と一緒だから、私は投げ出しそうになりながらも、パセージの実践を続ける努力ができている。

 

 

 

ロールプレイに集中していて、ふと静かになったなと思って見ると、

散乱した荷物や座布団を片付けて、広くなった和室の真ん中で、

子どもたちがうつ伏せになって大の字になって、円くなって手をつないでいた。

一人だけ立っていて、誰かの足を引っ張っている。

「大根ゲーム」とかいうものらしい。

うわー抜ける抜ける〜と盛り上がっている。

なるほど、うつ伏せの子たちは大根らしい。

しばらくして、次男が長男とモメ始め、蹴り合いになりかけた。

次男「えーそんなん嫌だ〜」

長男「じゃあどうするの?大根はもうダメだよ!抜く人もダメだよ!」

次男「じゃあ、おれは大根を料理する人になる!」

長男「…あ!それいいね!」

次男「だろ!みんな〜抜かれたらおれ料理してやるからな〜」

みんな、きゃあきゃあ笑い始めた。

 

私が彼らの課題に介入をしなければ、彼らはきっと、自分のストレンクスを活かして、

きっと、みんなと一緒に生きていく方法を、貢献的な生き方を、見つけ出していくのだろう。

支配的な長男は優しく強いボスに、

反抗的な次男は面白くたくましいフォロワーに、

どちらも創意工夫にあふれた素敵な大人になるだろうと、信じてみたい。

 

 

伝えていく

今日は自助グループのパセージOBメンバーさんとの抄読会と、野田先生の論文のオンライン勉強会でした。

 

 

抄読会と言いながら、半分の時間はメンバーさんの、ブレークスルークエスチョンズを使ったロールプレイの練習をしています。

みなさんパセージの理解がとても深い方たちなので、私はあまり緊張せずに始められる会ですが、

及ばずながらですが、事例を取り扱うリーダー役さんのスーパーバイズをするのは、脳疲労が激しいです。

 

言葉では伝えられないこともたくさんあります。

私が身体で学んできたことを、同じように身体で学んでいただけたらいいなと思います。

事例提供メンバーさんが、感じたまま、思ったままエピソードを語り、リーダー役さんからの問いかけに答えてくださって、ありがたかったです。

他に何ができるかな?と思って事例を出したことが、今までと違ったところですとお話ししてくださったことも嬉しかったです。

お互いに尊敬し合い、信頼し合える関係の中で、エピソードを扱っていくお稽古ができることは、本当にありがたいことだと思います。

 

私はこういう学習会を、もっとやっていきたいのです。

パセージのフォローアップなんだけど、私がリーダーするだけでなくて、他のメンバーさんたちにも進行役や、リーダー役をやってみてもらいたいのです。

そうやって、進行役やリーダーの立場に立ってみることで見えるものがたくさんあるはずです。

私はメンバーさんが進行役やリーダー役をされると、その方のより多くのストレンクスを見つけることができます。

他のメンバーさんたちが、リーダー役さんのためにと、より協力しようとされるのを感じることができます。

 

私のお役目は、場を作ることなんだろうなと思うのです。

私の学んだことはすべてお伝えしていきたいと思います。

きっとみなさんは、私よりも上手にリーダーができるようになると思います。

私は練習の機会が少なすぎたから。

こうやって仲間と共にエピソードを扱っていく経験が少なすぎました。

今、やっと場数が踏めてきて、リーダーとしての動きが身体でわかってきたような気がします。

事例提供者さんと一緒に、リーダー役さんも他のメンバーさんも一緒に、

メタの位置に立って、エピソードを味わい、いろいろなことを話し合うことが、おそらく普段の生活ではなかなかなされない「対話」であり「学習」なのだろうと思います。

安全な枠組みを、私が作ります。

どうかみなさんは、私を超えていってください。

私の傲慢さや主役やりたい感が、リーダー役をするときに、様々な場面で裏目に出ます。

私とまったく違うストレンクスをお持ちのみなさんと一緒に学ばせていただけて、よいモデルを見せていただいています。

 

 

この5月末から、この地域で初めてのパセージプラスを開催します!!

エピソード分析は、パセージプラスでそのやり方を学ぶことができます。

私もやっと初めて受講することができます。

パセージプラスを受講されたメンバーさん限定で、秋頃から、エピソード分析の学習会を開いてみれたらと思っています。

リーダー役を交代しながら、みなさんとご一緒に学べるのを楽しみにしています。

 

 

あの部屋

昨日は久しぶりの自助グループ定例会だった。

今日はオンライン事例検討会。

 

 

今日は、お世話になった先生が退職されるのでご挨拶にうかがった。

大学時代から、卒業して、社会人入学した放送大学でもお世話になったK先生のところへ。

 

大学時代は、K先生は大きなお仕事をこなされながら、

研究室の飲み会では遅くまで学生たちとお話ししてくださって、

私や私の親友は別の研究室だったのだけど、まあ飲みねえ飲みねえと、ちょっと酔って言ってくださって、お相伴に預かることも多かった。

おかげさまで院生の先輩方と仲良くなれて、たくさんのことを学ばせていただけたように思う。

それから、おかげさまで私と夫はお近づきになれたのだった。

夫と私の結婚を一番喜んでくださったのも、もしかしたらK先生だったかもしれない。

結婚してから私が大学に出かけても、変わらずあたたかく接してくださった。

 

 

放送大学のあの部屋に行けばK先生にお会いできるということが、

私にとってとても安心できることだった。

小さな町なので、ときどき同じ列車に乗り合わせることもあって、

いつも私のおしゃべりを聴いてくださった。

 

 

放送大学の事務の方々も、K先生が私のことを「昔の学生でね、こんな私のところにきてくれましてね」と丁重にご紹介してくださるので、

K先生のおられないときに私が訪ねて行ったときも、いつも親切に先生のご予定を教えてくださったり、とてもありがたかった。

私は本当に多くの方に受け入れられているんだなあと、感じる。

今までもきっとそうだったのに、私が気づかなかったんだろう。

 

 

子どもたちは大きくなっていく。

私が過ごした大学のすぐ近くの学校に2人とも通うようになる。

お世話になった大好きな先生方は、ひとりまたひとりと、退職され、

あの部屋に行けばお会いできるという部屋は、違う人のものになってしまう。

そしていつか、別れの日も来てしまう。

いつまでも変わらないものなんてない。

私はこの一瞬一瞬を愛でながら、一言一言を大切にしたい。

 

先生に恩を返すことなんて、できないなと思う。

 

春霞

今日はアドラーの著作のオンライン抄読会という名の近況報告会だった。

 

私はたくさんの人たちとのつながりの中で、生かされているなあと思った。

友だち、先生方、師匠、共にアドラー心理学を学ぶ仲間たち、子どもたちとつながりのある方たち、それから私の自助グループやパセージでご一緒してくれる方たち…

ずーっと一緒にいる(時空を共にする)人は私にはいないのだけれど、

その時期その時期、その場所その場所で、私は本当にたくさんの方に大切にしていただいたなと思う。

 

何人かの自助グループつながりのお友だちに、

子どもたちを連れてのお花見のお誘いをしてみた。

私が人を遊びに誘うことはとっても珍しい。いつも勉強会のお誘いばかりしている。

だから実はとても勇気がいった 笑

突然のお誘いだったから、ご都合が合わなくてごめんなさいというお返事を、たくさんいただいた。

でもまた誘ってくださいって言っていただいた。

それがとても嬉しくて、私は遊ぶこともできるようになったんだなあと思った。

何人かの方とはお花見にご一緒できることになった。

それももちろん、とても嬉しい。

 

いつの間にか、こんなに私には一緒に遊んだり学んだりできる人がいたんだ。

私は初めての人と話すのが苦手だし、世間話も苦手だし、当たり障りない会話も苦手なので、お友だちは多くない。

でも子どもたちとパセージのおかげで、共通の関心のある人たちとたくさん出会うことができている。

そして、私のお仲間が増えていくと、みなさんもお互いに親しくなっていかれる。

どんどん良い関係ができていって、その輪が広がっていく。

私、自助グループ始めたときはひとりだったんですよ。

まるでそれが嘘みたいだと思う。

 

 

「(幼稚園の時の親友の)Kくんと(小学校のお友だちの)Yくんのところもお誘いしたんだけど、予定合わなかったわ〜残念。」と言うと、

長男が

「Kくんと、Yくん、きっと気が合うと思う。いつか一緒に遊べたらいいな〜」

と言った。

この人も、人と人とを結びつける人だ。

 

 

桜は、もうすぐ満開。

春はいつも寂しいけれど

私は今、楽しみも寂しさも人々と分かち合える。

 

 

小さい頃、毎年父のバンドのお花見があった。

桜の花びらが流れていく川の中の石を渡って遊んだ。

 

「百年目」という落語が好きだ。

桜並木の下を大旦那とお医者さんが歩いている静かな場面が、なぜか好きだ。

 

大学に入学したあの春、

阪急電車の窓から満開の桜が後ろへ飛んでいくのを眺めていた。

 

ここを離れてしまった友だちと、子どもたちと行った場所へ、今年もお花見に行く。

この町を一望できる山の上。

少し登ると、眼下に桜が霞のように見える。

 

 

春はいつも寂しい。

桜の思い出も、霞のようだ。

 

舞台とスポーツ

今日はパセージ第4章でした。

 

昨日と一昨日の夜は、野田俊作ライブラリのオンライン勉強会と、チベット仏教のオンライン勉強会がありました。

用事をしていたらかなり遅い時間になってしまって、ブログを書く余裕がなかっただけで

私は元気です。

 

 

それぞれのオンライン勉強会では、それぞれの異なる物語を作っていっています。

そしてパセージや、子どもたちとのつき合いや、ママ友とのおつき合いなども、

それぞれに私は異なる物語を並行して作っていっています。

以前はそれらの物語がただ別々に並行していただけだったと思うのですが、

今は、それらの物語の根底に、統一性のある私の人格、ライフスタイルがあって、

そしてそれぞれの人たちと、場面とで物語を作っていっているんだなと感じます。

だから、どこかの物語で私が成長できると、他の物語でも私はその成長を生かすことができるのです。

学び合い、実践し、場数を踏むことで、

私と関わってくださるすべての人たちとの関係の中で、私は所属して、成長して、

また成長していけるんだと思います。

 

たくさんの物語の中で、私がお役に立てているならいいなと思います。

端役でもいいから。

いつでもどんなときでも主人公でいることは、やめようと思えるようになりました。

トランペッターには辛いことではありますが。

でも、私は照明係りや音響係をするのも好きです。

舞台裏も大好きなのです。

舞台の中心でいつも長台詞が割り振られていなくたって、

スポットライトを当てる役割が割り振られていたって、私の価値は変わらない。

そしてその経験は必ず、次舞台に立つときに役立つはずです。

 

 

 

パセージはスポーツに似ています。

イメージトレーニングをして、練習を繰り返して、少しずつ上達しながら、到達目標を目指して実践していきます。

それから、パセージのコース中も、私たちはスポーツをしているようなものなんじゃないでしょうか。

話を聴いて、考えて、判断して、自分で表現してみる。

ロールプレイで試してみて、考えて、話し合う。

他のメンバーさんたちの動きによって、自分の動きをどうしようかと判断して、自分の意見や質問を出してみる。

それに対してメンバーさんの反応があって、また自分が動いてみる。

 

そういう一連のメンバーさんのおひとりおひとりの動きを把握しながら、

私たち全体がテキストを通して学んでいけるようにサポートするのがリーダーの役目だと思います。

私は今、生まれて初めてスポーツをしているのかもしれません。

勇気ある大人たち

今日は日中はお母さん業。夜は野田先生の論文のオンライン勉強会でした。

 

 

子どもは可愛いけれど、子育ては大変です。

現代では子育てをするお母さんたちは孤独になりがちだと思います。

そして世の中には情報があふれています。

その情報の大半は不安を誘うのです。

ママ友づきあいも、怖いよ大変だよっていう情報が流れています。

いったいどうしたらいいんだ…ってなってしまいます。

 

同じ幼稚園で子どもたちの成長を見守ってきたママ友とは、まるで戦友のようです。

お互いに大変な時期があって、そのときは言えなかったけれど、

過ぎてからでも、話しができるような関係になれて、良かったと思います。

 

 

子どもの頃、私は成長するのは子どもだけだと思っていました。

だから大人になるのはつまらないなと思っていました。

どこかで「大人はつまらない」という大人の言葉を聞いたのでしょう。

そういうレポートを信じてしまうところが子どもだったと思います。

大人になってからの勉強も面白いし、

大人になってからの友だちも宝だし、

大人になってからの成長も喜びです。

勉強しなくて友だちもいなくて成長もないような、そんな大人はつまらないでしょう。

でも、そんな大人にならないでいいんです。

 

 

私は私の良いと思うところを選んで、素敵な人を見つけて、

その素敵な人を素敵だと思う友だちを見つけて、

そうやって私の居場所を作っていけばいいのです。

勇気があれば、つまらない人生なんておくれないです。

他人のことを悪く言って、賛同する人を集めていく居場所作りをする人たちのこと、

とても気の毒に思います。

いくつかの私の居場所で、そのような動きがあって、うんざりしています。

勇気があれば、貢献的な道を歩める。

 

私は政治的なことや組織運動的なことには興味はありません。

自分をどうやって世の中でお役に立てるよう生きていけるか、

私を好んでくださる人たちとご一緒に、アドラー心理学を通して学んでいきたいと思っています。

それが私にできる貢献だと思っています。

それがアドラー心理学の治療共同体の役割だと思っています。

 

一生懸命の反対側

今日は絶対的休日でした。

 

なかなかの虚脱状態です。

アウトプットがスランプ中です。

かといってインプット、本を読めているわけでもない。

今日は何をしていたのでしょうか…

ごろごろして、次男に本を読んで、昼寝して、ちょっと用事に出て、家事をして…

 

 

私はそういえば、休憩するのが昔からあまり得意ではないのでした。

私の休息、休憩、息抜きは、寝ることです。

あとはたいてい、一生懸命に何かをしてしまうのです。

だらだらと作業することもありますが、乗り気じゃないことに向き合うという点では一生懸命なのです。

しかも確かなアウトプットかインプットの作業ができないと、劣等の位置にすぐ落ちるのです。

私は役立たずだ、と思うんでしょうね。

 

けれども少しずつライフスタイルが成長してきたみたいです。

子どもたちと一緒に暮らしているし、(もうあんまり子どもの世話をする、という感じではなくなってきましたが)、

五体投地を含む瞑想は毎日続けられています。

それらを良いことだと思おうと思います。

 

 

明日は子どもたちのお友だちとママ友たちと遊びに行きます。

お母さん業です。

遊んでいる私は、役立たずでもいいと思おうと思います。

子どもたちと、お友だちと、私のお友だちとも、

一緒に遊びを楽しめるということはとても素敵なことだと思います。