Afro Blue

仕事がまた忙しくなってきた。

新しくやって来た赤ちゃんや小さい子のお世話が増えたのだ。

 

小さい身体に、何もかもに一生懸命な姿。

私が赤ちゃんを抱っこしていると、小学生や中学生の子たちが集まってくる。

かわいいねって言って、みんなが赤ちゃんの一挙一動に見入る。

また、生まれたての赤ちゃんを抱っこできるなんて。

私がここに来てから、3人目だ。

ひとりはみんなにかまってもらって、人懐っこく物怖じしない積極的な子に育っていっている。

ひとりは別のところへと行ってしまった。でも先月、元気に育っていますという写真とお便りが届いた。

みんなの赤ちゃん。

小さい子たちも、赤ちゃんは小さくてかわいいね、と愛しむ。

そんな小さい子たちがとてもとても可愛くて、お兄さんだね、と言って頭を撫でる。

 

3歳の子と預かりの部屋で過ごしていると、大きい子たちが遊び相手をしてくれる。

小さい子たちは、みんなの優しさを引き出してくれる。

一緒に遊んでくれたり、おしゃべりしてくれたり、おもちゃを片付けてくれたり、私が少し用事をする間見てくれたり、

大きい子たちがいてくれるととても助かる。

ありがとうとお礼を言うと、照れ臭そうに喜ぶ。

「人は貢献しないではおれないのです」というアドラーの言葉を思い出す。

職員さんたちも皆そうだ。

迎えに行ったりご飯を作ったりお風呂に入れたり寝かしつけたり、

少しでも心地よく楽しく過ごしてもらえるように、心を込めてお世話している。

きっと私たちのこの愛情が、大きい子たちにも届いているのだろう。

小さい子たちが大きい子たちの名前を呼ぶと、呼ばれた子はとろけそうな顔をする。

私たちは一緒に暮らしている。一緒に生きている。

 

 

この子たちにとって、ここが良いところであってほしいと願う。

中学生の不登校気味のSちゃんは、登校支援というものによって特別扱いをされている。

それが彼女のためになっているとは私には思えない。

彼女がすべきことをしないように働きかけてしまっているからだ。

いや、彼女だけでない、他にも数人、同じような状態になってしまっている。

でもそのSちゃんが、わがまま放題に見えるSちゃんが、小さい子の相手をしてくれる時は本当に優しいお姉さんをしてくれる。

小さい子をよく観察していて、小さい子の良いところを教えてくれる。

小さい子や赤ちゃんと一緒にいると、Sちゃんと他愛のない会話が続く。

 

片付けが嫌いな小学生のFくんは、小さい子がいると自分の物も整理してくれるし、小さい子が出したおもちゃを一緒に片付けてくれる。

「小さい子のお世話は大変だねー」と、私を労ってくれる。

とても嬉しい。

ひとりっ子で周りを見るのが苦手と言われていたけれど、小さい子たちや小学生中学生のみんなに揉まれて、とても成長したと思う。

 

 

 

いや、私自身がかなり変化したということも感じる。

今までだったらわずかにでも陰性感情が湧いていたことに対して、感情がほとんど動かなくなった。

先日、リンポチェにお会いしてから。

 

 

 

お母さんが出かけている時、お弁当屋さんでご飯を頼む家が多い。

2月頃のある日、18時半頃。

中学生のYちゃんのお弁当が届いたから、内線をして事務室まで取りに来るように伝えた。

 「えー、やだ。」

「え?どうするの?」

 「持って来て。」

「持って行くの?私が?」

 「うん」

「えー、それはちょっと…。降りておいでよ。」

 「やだ。行かんから。」

内線は切れた。

私は召使いじゃないんだぞ、と怒っていた。

居室まで持って行くなんて、そこまで過保護にしちゃだめだと思った。

ここで甘やかすから、何もかもを自分でしようとしなくなるんだと思った。

30分経ち、1時間が経った。

私はお腹が空いて、夜ご飯を食べようと思った。Yちゃんのことを思った。

Yちゃんのお弁当を注文してますからとお母さんは言い残して、お姉ちゃんと2人で外食に行ってしまったのだった。

深く考えることを止めなければ仕事にならないぐらい、わけがわからないこと、無茶苦茶なことばかりの現場である。

Yちゃんに対する怒りは消えていた。

内線をしてみた。

「Yちゃん」

 「何」

Yちゃんは穏やかに出てくれた。

「あのさ、お弁当取りに来ないの?」

 「うん、取りに行かんよ」

「お腹は空かないの?」

 「すいた」

「そうだよね。私もお腹空いてご飯食べようと思って、Yちゃんもお腹空いてるだろうなって思ったの。…持って行くね。私、このままお弁当置いとけないわ。」

 「ありがとう。」

「うん。今度からは取りに来てね。今日は持って行くけど。」

 「うん。」

あのぶっきら棒なYちゃんが、私にありがとうって、言ってくれた。

それがとても嬉しくて、でも、ひとりでいじけていただろうYちゃんを思うと悲しかった。

そうやって意地を張り続けるから、こじれていくんだよな。

今私が権力争いから降りて、彼女の思い通りに動くのは、良いことなのかどうなのかわからないけれど、

私のYちゃんを思う気持ちが伝わったのなら、それで十分だと思えた。

チャイムを鳴らす。

すぐに出て来てくれた。

「どうぞ。冷めちゃったよー…ほんとに、全然降りてこないんだからさー」と笑って言えた。

 「うん、仕方ないや。ありがとう」

Yちゃんも笑っていた。

初めから、私が怒らずにいられたらよかったなって反省した。

結局甘やかしてしまうのなら、私が意地を張ることの意味なんてない。

 

 

今日は別の中学生、Xちゃんのお昼のお弁当を注文することになっていた。

内線をしたが出て来ないので、部屋までお弁当屋さんのメニューを持って上がる。

ここまでせなあかんのか?過保護すぎるだろ、と思う。

でも他の子のお弁当の注文もするので、お昼の時間が迫っているため、私は今なんとかしてXちゃんの注文を聞かなければならない。

パセージを裏切りまくりの日々だ。

チャイムを鳴らしても反応がない。

ノックして声をかけて部屋に入る。

寝ているXちゃんを起こす。

ようやくお弁当の注文を聞くことができた。

そしてお弁当屋さんに電話して、届くのを待った。

淡々と進められた。Xちゃんに対しての陰性感情はない。

自分が過保護に傾いていることに自覚はあるが、それが嫌なのは、良いアドレリアンでいたいという執着なんだろうなとも思う。

お弁当が届いた。Xちゃんに内線をして、取りに来るよう伝えた。

 「えー、無理」

「え、無理って?どうするの?」

 「持って来て」

「えー?私が?」

 「うん」

「降りて来れない?」

 「無理」

「はーい…じゃあデリバリーお部屋までってことね」

 「ありがと!」

「もう。行きますねー」 

陰性感情が湧かなかった、というのは嘘かな。ちょっとは湧いたと思う。

でも、怒りまではいかなかった。

甘やかすのはよくないと思うけれど、Xちゃんも大変な中頑張って過ごしているんだと思うと、

私にはこれぐらいのことしかお手伝いできないのだし、Xちゃんのお手伝いができることはありがたいことだなと思えた。

それに、Xちゃんはちゃんと何が良くて何が良くないか、わかっている。

金髪に染めたりしていたけれどあれは本当に夏休みの間だけで、その後黒く染め直して、浮き沈みはあったけれど今は毎日学校に行って、勉強も頑張っている。

チャイムを鳴らした。

ドアを開けたらXちゃんが濡れた髪を乾かしながら立っていた。

弁当屋でーす」

 「ありがと 笑」

「お風呂上がりだったんだ、それで降りれなかったんだね」

 「うん」

「じゃあね、失礼します」

 「バイバイ」

私は、嬉しかった。

Xちゃんと権力争いをしないでいられたこと、仲間のままでいられたこと、

Yちゃんのときのような失敗をしないでいられたことが。

 

 

 

ひとつひとつの些細な仕事を、相手のために心を込めて行いたいと思う。

私のためにを捨てたいと願う。

そうやっていると、相手が私のためを思ってくれていること、私のためにしてくれていることに気づける。

私が相手の役に立てることが嬉しいように、相手も私の役に立てることを喜んでくれることに気づける。

赤ちゃんも、小さい子たちも、どれほど役に立ってくれているだろう。

私たちの生活を、明るく豊かなものにしてくれている。

私たちは本当は、ひとつなんだろうと思う。

ここにいると、悲しいことやとんでもないこともたくさん起こるけれど、

毎日毎日、一瞬一瞬、様々なタスクが降りかかって来て、私にできることをすることができる。

ありがたいことだ。

そしてみんなが私を受け入れてくれている。ありがたいことだ。

 

We Will Meet Again

満開の桜。

桜はいつも大切な人たちと眺めるから、去ってしまった時間とその人たちを思い起こさせる。

今年の桜は開くのが遅く、雨風にも耐え、長く咲いてくれていた。

 

数日前、大津へ、チベット仏教のお坊さま(Dリンポチェ)にお目にかかりに行った。

様々な幸運が重なって、お花見のお散歩にお供させていただいた。

通訳の先生のお嬢さんとも、桜吹雪の下で一緒にブランコをこいだ。

また、桜に物語がついてしまった。

 

世俗へ帰り、窓に向かう職場の自分の席に座ると、

前庭の立派な桜の木から、絵のように花びらが舞い散っていた。

数日前のあの夢のようなひと時が、この小さな花びらで、別人のような私とリンクする。

桜の花は寂しい。

でもこれは私の修行が至らないからだと、わかるようにはなった。

本当はすべてはひとつだから、(一切不二)、私があの時を共に過ごした人たちと離れている、私はひとりきりであるという思い込みが、そもそもの間違いなんだということを。

 

これが私、これが私のもの、あれはあの人、あれはあの人のもの、という思い込みが、私を苦しめる。

私でない誰かと、私の大切な人たちが、私のいないところでも幸せでいてくれたらいいと、思えるようになった。

少しだけれど、私は、私から離れることができるようになった。

でも、私は、やはり、大切な人たちと一緒に居たいなと思う。

それが執着であることはわかっている。

だから苦しい。

でも、誰かが、また私と会いたいと言ってくれることは、とても嬉しい。

それを求めることが苦を生むことを知っているけれど、

でも、私はそうやって互いに支え合いながら、手を取り合いながら、人々の中で幸せに生きている。

そのことをあらためて実感した。

 

 

 

大津へ向かう道中、この町へ帰る道中、

私にできることや私のすべきことについて考えていた。

連絡をすべきだったのに何か月も連絡をしていなかった方たちに、思い切って連絡をした。

一度機会を逸してしまうと、どんどん連絡はし辛くなってしまうけれど、

すべきだったことは、気づいた時にしようと思えた。

少しは行動できるようになったことを、喜ぼうと思えた。

そう思えたのは、失礼をしていた私に、仲間たちがあたたかくお返事をくださったからだ。

本当にありがたいことだと思う。

 

 

アドラー心理学を共に学ぶ仲間とは、わずかな時間であっても、濃密な体験を共にできる。

距離が離れていても、時間が経っていても、「あの時」を共にした仲間とは、再会すると、すぐに「あの時」に戻れてしまう。

その物語が私たちを繋いでいる。

リンポチェのもとに集まる仲間たちの中にも、アドラー心理学の仲間がいて、

久しぶりに再会した方と、「あの時」に戻ったり、「あの時」以降の話をしたりした。

たった1人とでも、そのようなつながりがあることは本当に有難いことだと思うのに、

私にはたくさんの方たちとのつながりがあり、どの方とも等しく、私にとってかけがえのないご縁だと感じている。

 

そのつながりについ執着してしまうのだけれど、そうではなくて、それを私のものだと思わないままで、大切にしたいと願う。

とても難しくて、多分手放そうとしてはまたすぐに執着してしまうのだろうけれど。

好かれたいとか、一緒に居たいとか、私を思っていてほしいとか、

私の究極的な優越目標は、そのあたりにありそうだ。

だからこの執着が、この煩悩が、私が一番囚われているものなのだ。

それをわかっておくことが、まず初めの一歩。

 

 

瞋恚(怒り)、悪口(悪く言うこと)については、昨年の7月にリンポチェにお会いした時と比べて、かなり制御できるようになったと思う。

それはアドラー心理学が梯子をかけてくれているように思う。

アドラー心理学の実践が、仏教の修行をしやすくしてくれる。

アドラー心理学は所詮は世俗諦ですから」と野田先生が言っておられたことを思い出す。

 

会えない人を思い出すと、また苦しくなる。

そうなんだ。

私の一番の苦は、誰かと離れることの悲しみや、誰かと離れることへの恐れ。

愛別離苦

関係への執着、人への執着だ。

 

 

色々考えた末にこの職場を離れようと決めたくせに、ここの人々と別れることがもう既に悲しくなっていて、ほんとにどうかしていると思う。

この1年の間にできるだけのことをしようと思って、時間が空いていれば中学生に内線をしていつでも勉強見るよって声かけてみたり、用事で事務室に来たお母さんと雑談してみたり、小さい子の預かりがあればテレビを消して絵本やおままごとで遊んでみたり、

結局私は人と関わるのが好きなんだろうかと、今更ながらびっくりしたりしている。

 

別にそれはどうでもいいのだけれど。

どうでもいいというのは、私というのは本当は実在しないのだから、私が何を好きで何を嫌いであっても、何も変わらないということだ。

私がすべきことは、目の前にただある。

 

 

 

 

Hさんのピアノにどうしようもなく魅かれるのは、一瞬一瞬の音楽が、あの日の桜吹雪のように、私の心に残ってしまうからなのだろう。

最近、大切な方たちが続けてお亡くなりになったそうだ。

「仲間内で、私たちもまた会えるかどうかわかんないからねって言い合うのよ。」と寂しそうに笑って言われた。

「みんな年だからね、」って言われるんだけど、そうではないと思う。

年齢に関わらず、誰もが、また会えるかどうかはわからない。

そのときのライブはビル・エヴァンスのWe Will Meet Again をテーマにしたのよって教えてくださった。

ビル・エヴァンスの大好きだったお兄さんへの追悼の曲。

 

人間は誰もが、大切な人に執着する。

でもその執着から、素晴らしい芸術が生まれるのだろうと私は思う。

良い音楽を、良い音を、良い演奏を、執着し突き詰めると、無我の境地に至ると思う。

人がそこに至るとき、世俗諦から勝義諦というのだろうか、もっと上の論理階型に上がっているんだろう。

 

私がHさんのピアノを聴きたいのは煩悩で、快い音楽という楽を得たいという執着だけれど、

演奏しているHさんが、執着、人間から離れた神業のような瞬間を感じるから、また聴きたいと思うのだと思う。

そしてこの音楽を、供養したいと思う。

 

快い音楽と、芳しい香りと、美しい花と様々な美しいものが、世界にあふれたらよいと願う。

同じように、人々の心も美しくなればと願う。

それらすべてを、私のものではなく、みなのものにしたいと願うことが、私にできることなのかなと思う。

だからそれらの良いものすべてを、供養し、回向する。

 

 

仏教を学んで、もっともっと、世界はシンプルになったように思う。

なぜなら世界は、私の心を映しているから。

 

職場では本当に色々なことが起こる。

桜が散り終えた昨晩、赤ちゃんが生まれた。

この桜が咲き始めた頃、赤ちゃんが死んだ。

私たちはひとりきりで一喜一憂することに耐えられないから、

みんなで喜びと悲しみを分かち合う。

でもきっと本当は、花が咲いて散っていくように、世界はただあるだけなのだと思う。

そこに私たちが物語をつけてしまうだけなのだろう。

そしてその物語が、世界を美しく彩るのだろう。

 

次リンポチェにお目にかかるときは、私はもう少し美しくなっていたいと願う。

 

 

すべりだい

日が差して暖かい日が増えてきた。

少しずつ桜の蕾がふくらみ始めた。

私の施設の庭で、保育園帰りに子どもたちがすべり台で遊び始めた。

長い冬の間は部屋の中でしか遊べなかったから

跳ねて、走って、全身を動かして、階段をよじ登り、嬉しそうに、私の待っているところへすべり降りてくる。

抱きしめたり背中や頭をなぜたり、できるだけ身体を触ってあげながら

この短い時間を私も愛しむ。

安心して、心ゆくまで遊べることは子どもにとって本当に大切なことだと思うが、

この子たちにとっては、より大切なことだろう。

 

子どもにとってより良いことを行いたい。

私の理想は高すぎるので、会議で発言すると「その意見は確かに良いことだと思うけれど、今は難しい」と却下されることが多い。

私は本当に職員に向いていないなと実感する。

それでも、私ひとりででも、理想に向かう一歩を進んで行こうと思っている。

限られた時間だ。

子どもたちにとっても、私にとっても。

だから、私が目の前の子どもと関われる瞬間は、私のできる限りのことをしようとしている。

安心して楽しく過ごせる環境は、職員の皆が作ろうとしている。

その環境でさらに、子どもたちを勇気づけ、良いことを学んでもらおうとしている。

無謀なことだと思い込んでいたけれど、アドラー心理学の講座に出たり自助グループに参加して、私のエピソードを取り扱ってもらう度に、

今の私のままで、子どもたちにとってより良いことをできるということを勇気づけられてしまう。

私にはまだできることがあるんだと気づいてしまう。

 

そのことに気づいてしまい、

そして私とは全く違う価値観と世界観を持ち、情熱を持って一生懸命に良いことを為そうとしている他の職員さんたちを裁かないままで、

ここでこの仕事を続けていくことに限界を感じた。

あと1年、ここでできる限りのことをしようと思う。

そして、さようならをしようと思う。

その後どうなるかは何もわからないけれど、

真っ直ぐに心理治療に向き合えるようなところを探そうと思っている。

ふらふらと生きてこれたから、きっとこれからもなんとか生きていけるだろう。

少なくとも数年前の私よりは、たくさんの資格と経験を得ているから、なんとかなるだろう。

 

そんな風に決意してから、

子どもたちとじっくり関われる機会が増えたり、利用者さんたちと良い関係が築ける機会が増えたり、職員さん個人個人と支援のあり方について話し合える機会が増えたりして

ここはいいところだなあって、ここい居られてよかったって、思えてしまっている。

きっとそうなんだろうけどね。

そして、私がいなくても、ここはこのまま何も変わらず

どうしようもなくなった親子が流れ着いて、愛情いっぱいの職員の手助けを得て、

物理的に経済的に社会的に生きやすい状態へと導いてもらいながら、少しは落ち着いて暮らせるようになってやがて退所して新しい生活を始めていく、

その過渡期の場所として存在し続ける。

私が今出会えている人々を救おうと思わなくなったから、私はここから立ち去る決意ができたのだろう。

それは、良いことだと思う。

 

 

庭にあるすべり台は、老朽化のため、長くてもあと数ヶ月で撤去される。

その後新しいすべり台を購入するかどうかは検討中だとのことだけれど、

小さなものでもいいから購入して欲しいと上司に意見をあげておこう。

その私の意見が通らない可能性もあるけれど。

そしてすべり台がなければないで、子どもたちはきっと楽しく庭で遊べるに違いないし

私も一緒に遊ぼうと思っているけれど。

でも、私にできる限りのことをしたいから。

 

 

 

家族関係がとても不安定で、中高生のきょうだいの喧嘩が収まらない家庭がある。

母はいつもどちらかが悪いと言い、日によってどちらか片方とだけ仲良くしてもう一方を責めては、

子どものせいで自分がしんどいと訴えてくる。

生活も無茶苦茶である。

私たちに何ができるのか、皆考えるけれど、何もできず、暗い気持ちになって、日々の忙しさの中、彼女たちの問題は流れていってしまう。

けれどここに入居しているから、なんとか彼女たちは暮らしていけているんだと、職員は自分たちに言い聞かせる。

それは本当だ。不適切な養育の延命かもしれないけれど。

けれどそうだとしても、役には立っているだろう。少しばかりは。

 

また数日前から激しいきょうだい喧嘩が起こっていて、Aちゃんが事務室横の別室に避難してきていた。

昼過ぎ、まだ寝ている様子だったから声をかけに行ってみた。

珍しく笑顔で応対してくれた。

「お腹すいてない?」

 「すいた。でも部屋に誰かいると嫌だなって思って寝てたの。」

「今確認に行ったけど、誰もいなかったよ。」

 「ほんと?じゃあ何か食べに行ってくる。」

そう言ってAちゃんは自分の居室に戻った。

よかったと思って日報を書いていると、Aちゃんの妹が帰ってきて、居室へ上がろうとしている。

急いでAちゃんに内線をかけた。しまった、駐車場に車が入ってきたのに気づいていればもう少し早くAちゃんに知らせることができたのに…

「今妹ちゃんが帰ってきたよ。部屋に向かってる!」

 「え、マジかー。今ご飯食べてたんだけどな。でも、ありがとう!」

妹ちゃんが階段を上がる瞬間に伝えることができた。

それから5分後、妹ちゃんひとりで階段を降りてきて、駐車場で待っている母の車に乗り込み、出発した。

気になって再度内線をする。「Aちゃん、どうだった?大丈夫?」

「うん、なんか普通だった。車に置き忘れていたスマホを、はいって渡してくれただけだった。ありがとう。」

「何もなかったんだね、よかった。」

きょうだい喧嘩とは言え、暴力など見過ごせない危険なことも起こる家庭である。

内線が取れるということは大丈夫。

緊張が緩んで、私も急激にお腹がすいてしまった。

 

夕方、母と妹ちゃんが帰ってきた。

しばらくして母が疲れ切った顔で、妹ちゃんがAちゃんをベランダに締め出してしまって困っていると訴えにきた。

上司がすぐに救出に出かけた。

Aちゃんはまた事務室横の別室でひとり過ごすことになった。

別室に着くなり、Aちゃんは布団にうずくまったと上司から聞いた。

 

Aちゃんだけではない。この家庭だけではない。

幾つもの家庭で似たようなことが起こり、誰かが別室に避難してくる。

きょうだい喧嘩や親子喧嘩の仲裁に職員が入ることもままある。

私たちは何をしているんだろうなと思う。

確かに一時的に離れてもらうのは良い方法だけれど、その後仲良く過ごせるようにお手伝いすることはない。

喧嘩の理由だった欲しいものを与えたり、甘やかすことでやり過ごしたり、ほとぼりが冷めるのを待つという時間の経過に身を任せるだけだったり、

根本的な解決や問題に共に向き合おうとすることは、ほぼない。

いや、そうであっても、避難できる場所があることには大きな意味がある。

最悪なところまですべり落ちてしまいそうな家庭を、なんとか保てているのは、この施設にいるからだろう。

 

 

事務室に、Aちゃんが顔を出した。

「あっちの部屋何もないからつまんなくって。」と言う。

よかった、笑っている。

珍しく保育室には他の子どもたちがいなくて静かだった。

パソコン使ってもいいよ、と上司が言う。

うんと言ってパソコンを立ち上げる。

「寒かったでしょう?」と言って私はAちゃんの背中をさすってみた。

「寒かったよ〜。裸足だったし。」と笑って答える。

「なんか知らないけど最近荒れてるんだよね。でも、お昼に帰ってきたときに内線くれてありがとう。心の準備ができたから、あの一報があるとないとでは全然違ったと思う。」

そう言ってくれた。

 

実際Aちゃん自身も荒れ気味で、良くても必要最低限の短い会話を交わすだけだった。

落ち着いた状態でこんなに話をしてくれたのは、本当に久しぶりだ。

1年以上ぶりかもしれない。

Aちゃんの状態も話ができる様子ではなかったが、私自身も、Aちゃんに対して腫れ物に触るような感じだったかもしれないと思った。

私はこれまでAちゃんに触れることはなかった。今、私がAちゃんに触れたとき、私たちの心も触れ合えていたんだろうと思えた。

やっと、ここまで近づけたんだと思えた。嬉しかった。

 

1時間ほど経って、「お水もらっていい?」とAちゃんがまた声をかけてきた。

「どうぞ。お腹はすいてない?」

「すいた。」

本日2回目の同じような会話。

Aちゃんが母に夜ご飯を食べたいと内線をしたら、自分で取りに来なさいと言われていた。

寂しそうな顔をしている。

過保護な気もするけれど、「一緒について行こうか?」と尋ねてみた。

「いいの?」と嬉しそうな顔をした。

もちろん。

私はあなたが笑顔でいてくれると嬉しい。

私にあなたを救うことはできなくても、あなたを喜ばせることができるのならよかった。

でもその場しのぎじゃなくて、あなたを勇気づけることができたらいいのだけど、

何ができるのか私にはわからない。

 

「私もお腹すいたから、一緒に食べてもいい?」

階段を降りながら、思い切って言ってみた。

「え?」びっくりするAちゃん。

「あ、ひとりの方が良かったら、別にいいよ。」慌てる私。

「ううん、いいの?」笑顔になるAちゃん。

そうだった、この子たちはひとりぼっちでご飯を食べることが多いんだった。

一緒にご飯を食べよう。他愛のないおしゃべりをしよう。

私たちが共に楽しい時間を過ごすことは、きっと良いことだ。

そのことはAちゃんにとって、きっととても大切なことだ。

 

好きな食べ物、苦手な食べ物の話をしたり、とてもとても他愛のない話をした。

おしゃべりな普通の女の子だ。

そう言えば私が中高生の頃、塾の先生とかピアノの先生とか叔母ちゃんとかおばあちゃんとか、母の友だちとか、年上の女の人たちとおしゃべりするのも好きだったなと思い出した。

学校の先生のように指導されることはなくて、同年代の友だちや先輩とも違って、自分がちょっと大人になったような気がした。

女性って、そういう女同士のコミュニティの中で育っていくもののように思う。

私は女で良かったと思えた。

この子にとって、おしゃべりできる年上の女の人になれて良かった。

 

ご飯が終わって、私は事務仕事、Aちゃんはテレビを見てくつろいでいた。

一段落して、私はデザートに伊予柑を持ってきていたことを思い出した。

酸っぱいものが好きと言っていたから、この大きな伊予柑をAちゃんと半分ずつ食べようと思いついた。

調理室で切り分ける。

甘く爽やかな香りが広がる。

誰かと美味しいものを分け合うことは、幸せだなと思った。

もしかすると、実際に食べる時よりも、こうやって準備をしている時間が一番幸せかもしれないと思った。

人はいつも目標に向かって生きている。

目標は到達できないものだけど、それでも人は幸せになれるんだ。

そんなことを実感した。

私にとって香りはとても大切なものだ。

これから伊予柑の香りはAちゃんの思い出と重なるのだろう。

 

「よかったら食べる?」と伊予柑を持っていくと、「いいの?嬉しい!」とAちゃんは目を輝かせた。

美味しいねと言いながら、ふたりでテレビを眺めながら食べた。

まるで家族みたいだね。

でも家族のように親戚のように友だちのように、ずっと側にはいられない。

「Aちゃんがしんどいのはわかるから、何もできないながらも、何かお手伝いをしたいと思ってるんだよ。」と言うことができた。

Aちゃんは顔を上げて「そんな。色々してもらっているのに、ありがたいけどなんか申し訳ない…」と言った。

「申し訳ないって?」

「今までの態度とか、ひどかったなって思う」と苦笑いする。

「それは、思春期はそんなもんだから、反抗的だったり色々あるよ。おじさんおばさんはみんな同じで、そこを通り過ぎて大人になったんだから、気にしなくて大丈夫だよ」

と私が言うと笑っていた。

「話をしたくない気分の時があるのもわかるし、話すことが負担なこともあると思う。でも、話したくなったら、いつでも言ってね。聴きたいと思っているから。」

「うん。ありがとう。」

Aちゃん、段々と大人になっていっているなと思った。

大人になって、自由になろうね。

 

「眠くなっちゃった」と笑って、21時過ぎにAちゃんは事務室横の別室へ寝に行った。

おやすみを言って手を振り合った。

大変な2日間だったと思う。

いや、その後の今日も、彼女は大変な1日を過ごしたのかもしれない。

Aちゃんの過酷な現実は続いていく。

私が彼女のためにできることは限られているけれど、あなたがひとりではないと知ってもらえたら嬉しい。

どうしようもなくなってすべり落ちてしまいそうになった時、もし思い出してくれたら嬉しい。

 

 

 

Blue in Green

今日は絶対的休日。

疲れているみたいだ。

午前のかなり遅い時間に起きた。

 

朝ごはんも食べずに、友だちと待ち合わせて昼ごはんを食べに行く。

暖かい陽が差す。

友だちはカウンセリング勉強会での学びの話をする。

ひとつひとつ身に染みてわかっていくことの喜びを話してくれる。

私もそんな時があったと思う、多分。

真っ直ぐ進んで行けていいなあと思う。

私は停滞しているわけではないけれど、進んでいないように感じているのだろう。

でも、以前ほど競合的にならずに職場の仲間たちと協力できるようになった私の変化を、

友だちは感じてくれていた。

車の運転も慣れたし。

皆は私を受け入れてくれていると感じられるようにもなった。

話をしていて、私は職場で自分にできる範囲の中で、できるだけのことをやっているのかもしれないと思えた。

 

私は枠を設定することを大事にしているようだ。

だからその枠を踏み越えないように慎重になる。

私にとっては重要なその枠の内外が、他の職員にとっては区別のつかないものであることも多いのだろう。

だって私と価値観が全く違うから、そこに差異を見出せない人もいるから。

彼らも彼らなりに一生懸命に、利用者さんの役に立とうと頑張っていて、

ただ私と違う価値観に基づいていて、私とは違うルートを選んで、私とは違うゴールを目指している。

ゴールは、私のゴールと、そこまでかけ離れてはいないと思うから、歩み寄ることはできると思っている。

私が、彼らに、歩み寄ることができると思っている。

でもそれは私の理想を絶対に実現できないという確信の上での、妥協だ。

協力するためには妥協が必要だ。

それはおそらく、どんな場合でも、大なり小なり必要なことなのだろう。

 

 

友だちと別れてから、また別の友だちと待ち合わせてお茶をしに行った。

町を歩いていると、大好きな方にお会いできた。

太陽のような人だ。

お会いできて今日はいい日です、と私は自然に口にしていた。

私にはこんなに、良い関係の友だちが、大切な人たちが、価値観を同じくする仲間たちがいる。

 

 

職場の皆と私があまりにも価値観と世界観が違いすぎることに、もう何度目か忘れたけれどあらためて心の底から実感して、

落ち込むというか沈み込むというか、様々な意欲が減退していた。

Miles Davisのトランペットがやっぱり好きで(特に50年代)

こういう気分の時は、マイルスのダウナー系の音が心地良い。

多分Bill Evansのピアノもダウナー系なのだろう。

Blue in Green というこの2人の作った曲は、鎮静作用がある気がする。

歌詞の意味とは違うけれど、まるで周り皆が緑に染まっている中、私はひとり青色なんだなと思える。

でも緑に染まるよう言われることもなくて、時々青だからこそできることもあったりして、

緑になれない私はこうやって生きていくしかないんだろうと思う。

でもこういう時に日中ひとりで居るとあまりよくないなと思って、友だちをご飯やお茶に誘ったのだった。

忙しい私の友だちたちが、今日はなぜかタイミングが合った。助かった。

やっぱり今日の私にはBlueを共有できる人たちが必要だったんだと思った。

 

 

お茶をして話を聴いてもらったら、それはしんどいねと言ってもらった。

「溺れかけている人に浮き輪を投げようとしたら、まだ早いって止められてるようなもんでしょ?」って。

その比喩が当てはまっているとすれば、しんどい割にはまだ私はけっこう元気だよね、とも思えた。

 

私にできることがあれば、私はそれを全力でやってみたいと思っているんだろう。

このまま時が過ぎれば、いずれ溺れることは目に見えているのに、

「溺れた」という事実確認が取れてからでないと救出作業には移れない。

ここはそういうところなのだろう。

もしかしたら体勢を立て直して泳ぎ始めるかもしれないじゃないって、思い込んでいたいんだろう。

私はいつも早めに警報を鳴らす。

でもこの職場はあまりに警報が鳴りすぎる日常だから、みんな麻痺してしまっている。

そして、目に見える危険と、精神的な危機とだったら、みんな目に見える危険に目を奪われ、

精神的な危機については後回しになってしまう。

 

私は、精神的な危機を乗り越えるお手伝いをしたいと思っているようだ。

学んできたことを活かしたいし、少しは実践も積んできたし、まさに今目の前に溺れかけている人がいるから。

その溺れかけている人の「助けなんていらない」という言葉を鵜呑みにしてはいけないと思う。

その言葉を真に受けるのは、治療的ではないと思う。

クライアントのニーズに応えるというのは第一優先にしてはいけないことだと思う。

なぜなら、それらは必ず神経症を強化する方に作用するから。

コンプライアンスに厳しい厄介な世の中になっているから、職務と責任を負える範囲とをよく考えないといけない事情もわかるけれど。

 

でも、私がもしも溺れそうになったら、規則やルールを踏み越えてでも、まずは何か掴まれる確かなものを投げてほしいと願うだろう。

誰かに正しい道を示してほしいと願うだろう。

ゆっくり自分で考えるのは、乾いた地面の上に立って、濡れた身体が温まってからでいい。

「まずは黙って温かいものを食べて、よく眠りなさい」って言える、

大人ってそういうことができる人だと思っていた。

でもそんな大人がとても減ってしまったと思う。

正しい道は確かにあると私は思っているようだ。

それは大人が示していくべきだと信じている。

「あなたが考えて自由に選べばいいよ」って、それは寛容に見せかけた無責任でしょう。

権威主義的な育児の方がまだ放任的育児よりも、子どもに善悪の価値観が育つだけマシと野田先生はおっしゃった。

放任的に育った子どもたちが大人になりきれないまま大人になっている。

恐ろしいことだ。

 

 

いや、まだ私は絶望できていないようだ。

絶望してしまえば、多分今より楽になれるけれど。

私には価値を同じくする仲間がいて、私の存在に意味を見出してくれていて、

そして私に意味を与えてくれるから。

私はBlueのままでいいんだって信じられるから。

 

ある晴れた日に

現実逃避に勤しむ日々。

アドラー心理学のオンライン勉強会に参加すると、職場での様々な出来事が思い出されて

現実逃避していることに気づく。

理想とかけ離れた事態。

その事態をどうにもできないことに苦しむことは、もうなくなった。

どうすればいいのかわからないこの事態を、受け止めようとしている。

受け止めて、支援の方向が定まらず皆で迷走する様子も受け止めて、

私にできることとしては、情報を集め、小さな安心の場作りを手伝おうとしている。

そして、皆が一生懸命に生きて、皆が一生懸命に自分のできる手伝いをしようとしていることを見ようとしている。

私の理想には向わなくても、だからといって誰かが悪いわけではないだろう。

そこまでは思えるようになった。

でも、私の理想が言語化されてしまうと、真っ直ぐに受け止めるのは辛くなる。

アドラー心理学を学ぶ時、いつも私は仲間と一緒に居るから、よかった。

同じ理想を持つ仲間とだから、この現場にひとり違う気持ちで向き合っていても

なんとかどちらも放り出さずに留まれているのだと思う。

 

 

現実逃避の方法として私には音楽がとても有効である。

ひとりでいるときは、色々なジャンルの音楽家YouTubeをサーフィンしている。

音楽的とは何かという話題について、あるオペラ歌手が言っていた。

「作曲家が伝えたいのは、1曲の中でひとつだけ。

 そのひとつの音(フレーズ)に向かって曲は組み立てられている。

 この曲は何を伝えたいのか、何が大事な音なのか、まずはそれを理解することだ。

 それ無くしては、どれほど音色、音程、リズム、技術が素晴らしくても音楽的な音楽にはならない。」

 

今日のオンライン勉強会の要素還元主義についての話題のとき、

このオペラ歌手の言葉が思い出された。

あまりに話題が逸れてしまうので、これについては黙っていたけれど。

(という判断も、科学と哲学の変遷という今日の曲の中で、この比喩はあまり相応しくない装飾過多なフレーズであると思ったからだろう。)

どれだけ技術的に素晴らしく、クラシックだったら楽譜通り、ジャズだったら思惑通り(?)の演奏だったとしても、

「歌ごころ」が無ければ音楽的でない。

その音楽の「意味」をわかっている音楽家が、その「意味」が聴衆に伝わるように演奏できなければ、それは音楽的ではない。

それは、ある事象を細分化し、それぞれの部分を「明晰判明」に探求し、漏れなく重複なく調べ尽くし、それらを正しく組み合わせれば、元の複雑な事象がそのまま理解できる、

という要素還元主義への明快な批判だと思った。

「全体は部分の総和以上である」!

はじめにこう言ったのはアリストテレスだそうだ。

生き生きとした、ものがただの物ではなかった時代の言葉だ。

機械は人を超えられないだろう。

だって機械にできるのは計算であって、どこまで緻密な計算ができるようになり、表面上は人のような判断ができるようになったとしても、

それだけでは「意味」はわからないから。

 

「意味」とは何なのだろう?

それは多分、物語なのだろうと、今私は思っている。

オペラ歌手の話はわかりやすい。

オペラははじめに物語ありき、歌詩ありきの音楽だからだ。

だから歌付きの音楽については、もっとも伝えたい言葉(フレーズ)につけられている音楽(フレーズ)が、その曲の伝えたい「意味」だといえる。

 

それならば、歌詞のない曲については?

私は音楽を言葉を通してしか理解しにくいという意味で、音楽について劣等性があると以前書いたが、

それは多分正しいと思う。

ただ、元々音楽は、神さまに捧げる言葉(祝詞)から始まったものだ。

はじめに言葉ありき、だったのだ。

そこに音楽がついた。

だから言葉から音楽を理解しようとするのは、いわば古典的な方法だろう。

歌詞のない曲の「意味」を理解するのは、歌詞のある曲の「意味」を理解するよりも高度に違いない。

 

でも、イタリア語やドイツ語や、全く知らない国の言葉で歌われている歌詞のある曲は、

私にとっては歌詞の「言葉の意味」が理解できない曲であるが、

「言葉」の理解など超えてその「音楽の意味」を感じてしまうことができる。

「音楽の意味」は「言葉の意味」を理解していなくても、きっとわかるのだろう。

音楽で感動するということは、「音楽の意味」がわかるということだと思うから。

 

映画「ショーシャンクの空に」で、モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」の「手紙の二重奏(そよ風に寄せる)」を聴いた囚人が

「こんなに美しい音楽は、きっと素晴らしいことを歌っているに違いない」と思うのだけれど、

それはこのオペラの筋とは全く違っている。

手紙の二重奏は、浮気な夫を懲らしめるために、夫人と小間使いが悪知恵を絞って手紙を書いているシーンの歌なのだから。

けれどこの曲はあまりに美しい。

だからやっぱり、音楽は音楽として、言葉と離れて、「意味」があるのだろう。

 

 

 

現実逃避の一環で、今日は夕方に仕事が終わったので、久しぶりにドラマを見た。

「刑事モース」というイギリスのドラマで、大好きで何度も観ていたものだ。

このドラマの素晴らしいところは、音楽。

主人公のモースがオペラ好きで、ちょっとご都合主義すぎるぐらい、事件解明の手掛かりにオペラが関わっていたりもする。

このドラマのテーマ曲も素晴らしくて、映像も美しいのだけど、

何気ないシーンにこのテーマ曲がかかると、ものすごく印象的で、そのシーンに「意味」が生まれてしまう。

映画なんて(イギリスのドラマではよくあるけれど、このドラマは1話が1時間半ぐらいあって、作りこみもお金のかけ方もほとんど映画のようだ)、

全てが作り物、「意味」の構築物だ。

今日、どの音楽がどのシーンに流れているかということで、そのシーンの「意味」が少しわかるようになっていた自分が嬉しかった。

何度も繰り返して観ているから、やっとわかってきたのだろうけれど。

でもその「意味」は、単なるオペラの曲の歌詞の「意味」だけではなくて、

このドラマの中の登場人物に託された「意味」とか、関係性の「意味」とか、

そういうオペラで使われる音楽の手法を、より複雑に使っていて、私はまだ味わい尽くせていないけれど、面白いなと思った。

音楽についての理解があれば、映像作品に、より深い、より多様な「意味」を見出すことができると知った。

 

 

そしてこの「刑事モース」のシーズン1第1話の中心になっている音楽が、プッチーニのオペラ「蝶々夫人」の「ある晴れた日に」。

久しぶりにプッチーニを聴いて、ああプッチーニだなあ!と感じた。

試しにトスカやトゥーランドットを聞いてみたら、やっぱりプッチーニだった。

作曲家はどんな曲を作っても、その作曲家の「らしさ」が出てしまう。

おそらくそれはアドラー心理学でいう「ライフスタイル」に近いもので、どうしても表れてしまうその人独自のものなのだろう。

だとすれば、音楽の「意味」は、人生の「意味」とも重なる。

作曲家が意味づけている人生が、作曲家の作る曲に表れるのだろう。

それは、どれだけ楽譜を探究して理論を紐解いてもわからないものだ。

どれだけ歌詞の言葉を読み解いてもわからないものだ。

それを今は、極めて多義的な「意味」という言葉でまとめてしまうことにする。

 

 

 

現実に向き合うひとつの方法として、脳内BGMを流すという試みをすることがある。

一瞬一瞬が、ドラマなのだ。

私の職場で出会う人たちは、皆、ヒリヒリと不安定に一生懸命に生きている。

私が話す一言一言が、私の見せる表情が、相手にとっては大きな「意味」を持つ。

それは私の意図からは離れた、相手にとっての、相手の物語の中での「意味」だ。

私もある意味で舞台に立っている。

私の言葉は、表情は、職場では私の個人のものではなくて、相手に良い影響を与えるためにある。

支援職というのはそういう意味で、カウンセラーにも似ているところがあるのかもしれない。

そう思えば、私にここにいる意味はあるだろうし、

こうしてドラマを作っているのだと思えば、悲しいできごとも受け止めやすくなるかもしれない。

私はきっと、麻痺はしていない。

悲しめるということは、「意味」を感じているということだ。

Peace Piece

昨日、彼に会った。

これもひとつの出会いだろう。

頑なに他人と会うことを拒絶し続けていた彼が、

今は少しだけ、外の世界と関わりを持とうとし始めている。

それは彼にとって良い変化だといえる、だろう、きっと。

でも彼の姿は私には衝撃的だった。

狂ってしまいたくてたまらないけれど、狂えない。

弱々しい脚を曲げて、イライラと動かす。

世界へのせめてもの反抗が、こんな些細なものだなんてね。

怖くはない。悲しかった。

平気な顔をして彼に話しかけて、その後職員同士で支援について話し合って、

小さい子どもたちのお世話をして、利用者さんと談笑して、

目に焼き付いた彼の姿に何も思うまいと思いながらいつも通りに仕事を続けた。

 

 

修羅場慣れしすぎた職員たちは、他の利用者さんたちのそれぞれに大変な物事に対応しながら、

彼のことをどうしたらいいか分からなくて、気休めを言ったり、関係機関に相談しに行ったりする。

最近のテンションは皆高めだ。

大変なことが重なるほどに、明るく振る舞う人たちだ。

本当にすごい人たちだと思う。

だから私も、いつもより明るく、細かい仕事を丁寧に拾うようにした。

そうやってわずかでも私に、ここに居る意味があるって、

ちゃんとみんなのお役に立てているって、思いたくて。

そうでもしなければ、沈んでしまいそうで。

 

 

 

Bill Evansの「Peace Piece」を聴いていて、押し殺していた感情がやっとほどけた。

私にはこんな風に穏やかな心になれるものがある。

言葉を忘れて、美しい別世界へ行くことができる。

私が世界と一体であることを思い出せる。

 

 

 

どうやったら彼の心は穏やかになれるのだろう。

グルグルと同じ言葉を繰り返し続ける彼の中は、嵐のようで安まる時がないだろう。

彼の自動思考の言葉に応答し続けることは、おそらく彼を幸せにはしない。

彼の神経症的策動をより強化するだけだと思う。

だけど誰も他の方法を提示できなくて、効果的な治療ができない。

だけど、そうだとしても、こうやって多くの人が入れ替わり立ち替わり、彼と関わりを持とうとして、あの悲しい部屋を訪れている。

そうやって彼はやっと社会の中で生きていると実感できるようになったのではないかと思う。

 

彼のお母さんが、

「あんたのために、今たくさんの人が動いてくれてるんだよ。ありがたいって思いなさい。

って言ったんです。そうしたらちょっと落ち着いてくれました。」

そう言って、久しぶりに、ほっとした顔をされた。

ここまでなってしまったのには様々な困難が重なり、様々なまずい事態が重なったからに違いないけれど

この事態を作り出してしまったこの方も、一生懸命、生きてきたんだなと思った。

今私と共に、一生懸命生きているんだと思った。

 

私たちは今、この親子の物語に関わっている。

おそらく私の願うような幸せな形にはならないだろうけれど、

今この親子の物語が変わろうとしている。

彼は私たちと共に生きている。

そのことを私たちも、彼自身も、思えるようになったことは

よかったことだと思う。

 

こんなにもこんなにも弱い、そよ風にも吹き消されてしまいそうな灯り。

だけど、今確かに私は彼との間に希望が灯せた。

彼はひとりじゃない。

あなたはひとりじゃないよって、伝えよう。

どれだけ治療に向わなくても、どれだけ的が外れていても、

そのことによって彼の神経症が強化されようとも、

彼がちゃんと周りとの関係の中で生きているんだと信じられるように。

泥の中に沈みすぎて、私はとんでもなく甘くなってしまったみたいだ。

彼が、ちゃんとかまってもらえているって感じてくれるのなら、

まずはそれでいいと思ってしまった。

私たちは、ここに共に生きているのだから。

どうか生き続ける勇気を持ってほしい。

 

Beautiful Love

ジャズバーで気に入った曲を見つけると

さっきの曲はなんていう曲ですかと尋ねて、覚えた曲名を帰宅してから検索してみる。

そうやってライブで味わった一瞬を消えないようになぞっている。

ジャズは元のメロディーを隠してしまうほどのアレンジもできるので、

これも同じ曲の演奏だったのかと驚くことが多い。いつも新鮮だ。

だからジャズの曲を覚えるのは私にとっては難しいのだけれど、

歌がついていると覚えられることに気づいた。

なので、曲の検索と歌詞の検索がセットのルーティーンになった。

 

何度も同じ曲を聴くのは、昔から好きだった。

何度も同じCDを聴いてそのCDすべてを覚えてしまって、曲順をシャッフルして再生するのは気持ち悪くなってしまうぐらいに、繰り返し聴いていた。

YouTubeなんてなかった私の学生時代は、自分たちが演奏する曲をどうにかして入手して、それをCDやMDに録音して繰り返し聴いていた。

何年のどの学校の演奏がいいとか、吹奏楽の友だちはマニアックな好みがあったな…。

今はスマホですぐに無料で音楽にアクセスできる。

おかげで手間なく世界がどんどん広がっていく。

だけどある程度新しいものを知って満足すると、私はその中からお気に入りの演奏を見つけて、

今度はその曲の演奏者の別の演奏とかその曲の作曲家の曲を聴いて、世界を広げていく。

今日はこの曲が聴きたいと思ったら、たいていそのまま数日はその曲ばかり聴いていたりする。

というわけで今日は「Beautiful Love」の日。

 

この私の音楽の聴き方は、全くそのまま、私の本の読み方と同じであることに気づいた。

ある本が好きになったら、繰り返しそれを読んで、その本の作者のことを調べ、その作者の別の本を読んだり、その本の書評を読んだりして、世界を広げていく。

そうやって世界を広げて、作者の頭の中や思想を知ることでその本のことをより理解し、浸ろうとする。

 

言葉が私にとっては世界を理解する方法で、

言葉を使って物語を味わおうとしているのだろう。

いかにしてこの本が生まれたかという物語、作者の生い立ちも含めた物語を。

多分そうやって、私は1曲1曲にも物語を見出そうとしているのだろう。

音だけでは、私は音楽を味わい尽くせないようだ。

サイコドラマで私のエピソードを扱ってもらった時に、BGMをつけてみるという手法でセラピーをしてもらったが、

あの時に私が出した曲は、「オペラ座の怪人」の序曲と「くるみ割り人形」の序曲だった。

つまり、言語化された物語と一体化した音楽だったということだ。

 

なるほど、私は音楽が不得意であるという劣等感を持っているが、

純粋に音楽だけで音楽を味わい尽くせないという意味で、劣等性があるといえるだろう。

だからある曲を味わおうと思うと、その曲の歌詞や背景を調べたくなる。

あるいは、その曲を聴いたその現場に物語を見出そうとする。

あの日のあの曲。あの人と共に聴いた曲。あの人が演奏した曲。

そうすると、その日の私の感情も身体の感じもありありと蘇る。

するとその曲にはもう、消せない物語が染み付いてしまう。

 

 

悲しいことがたくさんあって

ひとりでいるときにものを考えたくないから

頭の中を音楽で埋めてしまいたいと思うのだけど

結局私は1曲1曲にも物語を求めているから

頭を空っぽにはできない。当然のことだ。

悲しくても、美しい物語にどうにか変えていけないだろうかと思う。

美しければそれでいいと思う。

 

ジャズの歌詞は悲しいものが多い。

本当に満ち足りて幸せだったら、音楽なんて要らないのかもしれない。

なんとか生きていくために、私は音楽を必要としている。

 

互いを思いやって楽しく暮らしていきたいと皆望んでいるはずなのに、うまくいかない家族、友人、恋人たち。

でも私がアドラー心理学の技法を使うわけにいかない場合(治療的枠組みが成立していない場合)がほとんどだから、

私はせめて彼らを裁くことはしないで、彼らの苦しみを悲しみたい。

ジャズを聴きながら、いつも彼らのことを思う。

でもそうだ、彼らに向き合っている時に、この悲しくも美しい曲を私の身の内で流してみようか。

決して叶えられることのない悲しみを歌った歌を。

 

私の願いは、決して叶えられることはない。

彼らの苦しみは決して消えることはなく、私の大切な人たちは私を置いて遠くへ行ってしまう。

けれど不思議なもので、それが心の底からわかると陰性感情はほとんど消えてしまう。

私はこの悲しみと共に生きるしかないのだとわかる。

その現実を音楽が慰めてくれる。